猫沢エミさんのインスタグラム写真 - (猫沢エミInstagram)「もっと眠れるかと思ったら、うとうとと浅くまどろんだ挙句、ふくらはぎが肉離れかと思うほど、ビキーン⚡️とつって目が覚めた。  すぐさま携帯で〝こむらがえりに足りない栄養素〟と検索してみたら、カリウムとマグネシウムが足りないとあった。食べてるけどな…いや、ここ数日、足りてなかったのかしら…今夜はわかめでも食べるかしら…そんなことを思いながら、ランニングとサルエルパンツっていう、川崎競輪場にいるおっさんみたいな姿でのろのろと起きる。  まだ日は高く、あ…夕方まで眠り込まなくてよかったかも。と、思った。  それからしばらく、おっさんのまま、ベランダの椅子に座って、ぼんやりと風に吹かれていた。  心の定点観察場を眺めて、またイオちゃんと、彼女にまつわるここまでの日々を思った。そして当然、心にも少しぴゅ〜と風が吹いた。あ…こんなことを考えられるほど、私、暇になったんだな。  イオが亡くなって、しばらくして猛烈に忙しくなった。泣いている時間はすべて仕事にとって代わられた。なにもかもに疲弊していたから、ほんとうにキツかったのだけど、一番辛い時期をああして乗り越えられたのは、幸いだったな。これもまた、まるでイオがそう仕組んだんじゃないかと思うほどに。  そもそも今回の本の好調な売れ行きは、もちろん時代の呼び声に合っていた…というのもあると思うけど、やっぱりイオちゃんの闘病日記を読んだ方々の、深い共感と広がりがベースになっていることは否めない。  はじめ私は、イオの病について書き始めてしまったことを悔やんでいた。辛い事象を現在進行形で書き続けるのは、想像以上にキツいのだと、始めてしまってから気がついたから。一度書き始めてしまって引っ込みがつかないモヤモヤと、グタグタと負の感情を公表しているだけなのでは?という気持ちも、辛さに追い討ちをかけた。  ところが、そのありのままの辛さに、想像もしなかったたくさんの方が「まるで自分の気持ちを代弁してくれているかのようだ」と共感してくださった。  私は、自分が書いたものをどう見られるか?という他人の目線をまったく持っていない。だだ書く。感じたままに書く。そして、書くことは他者に向けてではなく、今自分が何を考え、どう感じているのかを外側から見るためにある。身体と心から生まれたものを、言葉という目に見える形でテーブルの上に置いて、向き合うためのものだから。そのスタンスは今も変わっていない。ただ、あの極限状態で言葉を繰り出す耐久性や、より揺らぎのない強固な客観視は、イオの見送りで恐ろしく鍛え上げられたと感じている。  あの頃は必死で、その瞬間瞬間、思いを書き綴ってはテーブルにならべ、確信しては前に進むということをしていた。でないと、壊れそうだったから。  1月24日、イオの病が発覚してから途切れることなく続いていた修行期間がひとまず終わった今だからこそ、私はおっさんの姿で、こんなことを冷静に見れているのだと思う。  イオが、あのタイミングで病になって、責了の翌日に危篤へ陥って天国タクシーへ乗ったのは、あまりにもドラマチックすぎるし、葬儀の日がホワイトデーだわ春のお彼岸の初日とかって、いくらなんでも自己プロデュースしすぎやろ👀と驚愕していた。  ここまで振り返ると、なにもかもがイオの意思によって選ばれたことだったんじゃないかと思えてくる。そして、たしかにそのすべてが〝イオの恩返し〟にも思える。  ただ、まことしやかな愛猫の美談なだけでなく、イオ自身が私という物書きを使って、この世に置いていったたくさんの〝大切なことを忘れないで〟が、この一冊に込められる結果となった。そして、私という地味な存在を、今一度、表舞台へ押し出したのは、まぎれもなくイオだった。  おそらくイオはまだ働くつもりだ。  「もっともっと伝えたいことがあるのよ。だからママ、手を貸してちょうだい。」  私の耳元で、彼女がそう囁く声がする。  #東京下町時間 #イオちゃんフォーエバー #ねこしき #イオの扁平上皮ガン日記」4月30日 18時34分 - necozawaemi

猫沢エミのインスタグラム(necozawaemi) - 4月30日 18時34分


もっと眠れるかと思ったら、うとうとと浅くまどろんだ挙句、ふくらはぎが肉離れかと思うほど、ビキーン⚡️とつって目が覚めた。

すぐさま携帯で〝こむらがえりに足りない栄養素〟と検索してみたら、カリウムとマグネシウムが足りないとあった。食べてるけどな…いや、ここ数日、足りてなかったのかしら…今夜はわかめでも食べるかしら…そんなことを思いながら、ランニングとサルエルパンツっていう、川崎競輪場にいるおっさんみたいな姿でのろのろと起きる。

まだ日は高く、あ…夕方まで眠り込まなくてよかったかも。と、思った。

それからしばらく、おっさんのまま、ベランダの椅子に座って、ぼんやりと風に吹かれていた。

心の定点観察場を眺めて、またイオちゃんと、彼女にまつわるここまでの日々を思った。そして当然、心にも少しぴゅ〜と風が吹いた。あ…こんなことを考えられるほど、私、暇になったんだな。

イオが亡くなって、しばらくして猛烈に忙しくなった。泣いている時間はすべて仕事にとって代わられた。なにもかもに疲弊していたから、ほんとうにキツかったのだけど、一番辛い時期をああして乗り越えられたのは、幸いだったな。これもまた、まるでイオがそう仕組んだんじゃないかと思うほどに。

そもそも今回の本の好調な売れ行きは、もちろん時代の呼び声に合っていた…というのもあると思うけど、やっぱりイオちゃんの闘病日記を読んだ方々の、深い共感と広がりがベースになっていることは否めない。

はじめ私は、イオの病について書き始めてしまったことを悔やんでいた。辛い事象を現在進行形で書き続けるのは、想像以上にキツいのだと、始めてしまってから気がついたから。一度書き始めてしまって引っ込みがつかないモヤモヤと、グタグタと負の感情を公表しているだけなのでは?という気持ちも、辛さに追い討ちをかけた。

ところが、そのありのままの辛さに、想像もしなかったたくさんの方が「まるで自分の気持ちを代弁してくれているかのようだ」と共感してくださった。

私は、自分が書いたものをどう見られるか?という他人の目線をまったく持っていない。だだ書く。感じたままに書く。そして、書くことは他者に向けてではなく、今自分が何を考え、どう感じているのかを外側から見るためにある。身体と心から生まれたものを、言葉という目に見える形でテーブルの上に置いて、向き合うためのものだから。そのスタンスは今も変わっていない。ただ、あの極限状態で言葉を繰り出す耐久性や、より揺らぎのない強固な客観視は、イオの見送りで恐ろしく鍛え上げられたと感じている。

あの頃は必死で、その瞬間瞬間、思いを書き綴ってはテーブルにならべ、確信しては前に進むということをしていた。でないと、壊れそうだったから。

1月24日、イオの病が発覚してから途切れることなく続いていた修行期間がひとまず終わった今だからこそ、私はおっさんの姿で、こんなことを冷静に見れているのだと思う。

イオが、あのタイミングで病になって、責了の翌日に危篤へ陥って天国タクシーへ乗ったのは、あまりにもドラマチックすぎるし、葬儀の日がホワイトデーだわ春のお彼岸の初日とかって、いくらなんでも自己プロデュースしすぎやろ👀と驚愕していた。

ここまで振り返ると、なにもかもがイオの意思によって選ばれたことだったんじゃないかと思えてくる。そして、たしかにそのすべてが〝イオの恩返し〟にも思える。

ただ、まことしやかな愛猫の美談なだけでなく、イオ自身が私という物書きを使って、この世に置いていったたくさんの〝大切なことを忘れないで〟が、この一冊に込められる結果となった。そして、私という地味な存在を、今一度、表舞台へ押し出したのは、まぎれもなくイオだった。

おそらくイオはまだ働くつもりだ。

「もっともっと伝えたいことがあるのよ。だからママ、手を貸してちょうだい。」

私の耳元で、彼女がそう囁く声がする。

#東京下町時間 #イオちゃんフォーエバー
#ねこしき #イオの扁平上皮ガン日記


[BIHAKUEN]UVシールド(UVShield)

>> 飲む日焼け止め!「UVシールド」を購入する

5,017

43

2021/4/30

猫沢エミを見た方におすすめの有名人