竹澤汀のインスタグラム(migiwaaaaaaaaaa) - 5月17日 02時08分
【ことば】
大学4年の時、英語の楽しさを教えてくれた先生に出会うまで、英語とは自分には縁遠いものだと思っていました。
もともと海外に行くことは好きだったけれど、自分の大学の学費を払うことに精一杯で、留学などを考えたこともなかったし、一度、その先生が推薦で、とても貴重なマレーシア政府受け入れの留学を考えてくれた時には、本当に忙しくて、私に選択肢はなく、断らざるを得なかった。
大学生活が慌ただしかった私にとって、今、ここデンマークでの生活は、遅れてきた学生生活のようです。というか、本当に学生生活なんだけど。。。 笑
そして、飽き性のために、慣れない事を定期的にしないと少々不安になってくる性格の私にとってこの場所での言語のハードルは、とてもいい刺激です。
そして言葉がなぜ大事なのかという感覚がとてもわかってきた気がします。
それはきっと、この歳になっても、言語習得に取り組んでいるからだと思うと、完璧でない事も、とても意味があるなあと思います。いいたい事がいえないときのもどかしさは、水の中にいる時のようだし、伝わった時の視界の開けたような感覚は、楽しい。
きっと、自分より何才も歳下の人たちにも、歳下のように思われていると思うのだけど、それは、英語が堪能な他の人たちよりもまだまだ言語力が低いからだと思います。
でもこれきっと、母語でもそうですよね。
伝えたいことを伝えるということは、母語でだってときどき大変なのだから。
端的に伝えられる人は賢くみえるし、賢く扱われる。逆に、思っていなくても、めんどくささなどから、何も伝えようとしない人は、例え本当はそうでなくても、冷たい人だと思われてしまったり、何も考えていない人だと思われてしまったりする。
あるとき、ツイッターで、
未来ある若い人たちが自分を表現する言葉をおざなりにする事は、とてももったいない(もっと深い内容だった)、という旨のツイートをみて、
どこか、心にずっと残っていたのだけれど、ここにきて、人間関係や、自分自身の問題で憤ったり、心配事を解決するのは、言葉と、行動だなと心底感じています。
それは、魔法や時間が解決するものでは決してなく、技術であるということ。学校では、その真の意味をなかなか教えてもらえなかったかもしれない。
知っているだけのことと、使いこなせるかどうかというのは、全く別物だから、楽しいし、伝えることは大変なのだろうな。
自分を表現する言葉を知るということは、自分を解放するための作業の一つであり、
誰かとより関係を深めるための方法だということを、水の中にいる時も、いない時にもちゃんと肝に銘じて、丁寧に色んなものと向き合いたいです。
逆に、時々、伝えようという強い覚悟は、もはや言葉を越えることがある。
私はそれも好きです。
それはまるで魔法みたいだけど、きっと、ちゃんと、色んな努力と繋がっているんだろうね。
みんなが知りたい事があったら、ぜひコメントに質問してみてね。
#旅ログ #journey #旅 #🇩🇰 #Denmark
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nano_hn0328
私には絵を見て何かを感じ取れるような能力も感性もないけれど、絵本となると絵がとても好きに思えます。
西洋美術を知りたいのに、絵だけじゃ重苦しいとしか感じられなかったようなものが、中野京子さんの本を読みながら絵を見ることでようやく楽しめるように、やっとなってきました。
文字が付くと、視覚的にじゃなくて頭で考えるほうに持っていけるから、背景までがっちり固めて物事を見れるからかなと思ってみたり。
そう思うと、言葉が好きというよりは、物事を捉えるために言語表現に頼り切っていたのだと最近考えるようになりました。
言葉や言語や文字ってとてもありがたいです。
人の行動を見てちゃんと理解するためには言語化して考えることが絶対に必要で、海外の人の行動を本当の意味で理解するにはその国の言葉がいるんだなと感じています。行動や考えに1番ちかい単語を見つけられるようになれば、つよい。でも、どうしても単語じゃ届かない時、その行動と考え、感覚は、言語を超えたことになります、よね??
それを楽しむことのできる人になれるようにもっと色んなことを知ろうと思いました。
長々ごめんなさい、書きたくなってしまった(笑)
残りの授業も生活も楽しんできてください!
ma.ri.be___
書いたりすることは好きですが、言葉を発するとなると考えすぎて億劫になったりします。人に伝えたり理解してもらえるまで、し合えるまでにかなり時間がかかることが多いですし、最初の印象と大分違うと後から言われたりします。でも伝わったり分かり合えることはとても嬉しくて心が満たされるような感じです。言葉を発することもっと訓練したいです。
汀ちゃんの旅ログを読んでデンマークに興味が湧き、デンマークの育児の本を読んでみました。相手の気持ちや行動をまず受け入れ、同じ人間として大人子ども関係なく寄り添う印象を受けました。
中でもヒュッゲの習慣には驚きました。正直なところ、そんなにゆっくり優しい時間を持てるのかな、慌ただしい中でも持つ努力をしているのかな、など思いました。汀ちゃんがヒュッゲに対して想像していたこと、現地でのヒュッゲで実際に感じたことがあれば知りたいです。
rimacchi_10
私は正論を伝えすぎてしまいますし、そのせいか、自信あっていいよねと言われる。ほんとは自信ないから、自信持てるまで120%の準備をして臨むのと、自信がないまま、表に出るのはとても失礼な行いだと思っている責任感からそう接しています。だから、自分より準備や努力をしてない友達が許せません。みんながみんなそこまで責任感を持ってできることではないと分かっているけど、できていないものはできていない。できているものはできている。と捉えてその子的には精一杯やってるのだろうけど、私は言いすぎてしまいます。そうすると私ばっかり、自信があっていいよねとか言いたいこと言えていいよねとか、そんな風にモヤモヤして傷つきます。いっそ言葉なんてなかったらいいのかな、、、そんなことも思います。私も言葉が通じないところへ行って、自分の言葉言動を見直してみたい
watanabeyuusuke
来年からオーストラリアにワーホリで行こうと思ってて、やっぱりことばが心配で、行けばなんとかなるって言う人もいるけど、何というか伝わらないもどかしさというか、悔しさみたいなのは感じたことが過去にあって、それが本当に不安で心配で、勉強はしてみてはいるけど、その先はやっぱり気持ちというか、伝えたい!っていうその瞬間瞬間の努力、姿勢、そんなやらなければならない立場になって初めて見えてくるんかなぁと、、不安だったけど、水の中から、視界が開けるように、、なんやかんやで聞きたいことは、どうやって勉強しましたか??
m_vvj45
私も最近ひとり旅で海外へ行き、言葉の大事さを痛感しました。日本にいるときは喋れることが当たり前で、なんとも思ってなかったのに、いざ離れてみると言葉1つでこんなにも不自由になるのか…と孤独感も感じました。そして、その他国に行く以上言葉はその国の文化で学ばなければならないものなんだと身に染みてわかりました。また、伝えようとする気持ちが、言葉を越えることもあるというのも同じくらいわかりました。
みぎちゃんが感じたデンマークにいるからこそわかる良さ、もっと知りたいです。
hanetaroo
異なる言語文化で、果敢に行動していくみぎわさんがとても誇らしいです。私はいま南米に来てから4ヶ月ですが、まだまだホームステイ先や職場での会話が聞き取れず、気付けば家の中では会話を避けるように過ごしていました。このままではいけないと思っていた時に、投稿を見させて頂き、この言葉の壁を乗り越えるために向き合って、自分を表現していきたいと思えました。ありがとうございます! よい休日をお過ごし下さい(^-^)
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