清水文太のインスタグラム(bunta.r) - 3月25日 03時56分
ここ最近、正しさとはなんだろうと、思考を巡らせることが多い。
僕らは人から生まれて、学校や社会、他のもっと外の世界へ出るときに
経験や知識を蓄え、失敗をし自らの「正しさ」というものを育てる。
それは、高校の教科書にも載っている「自我同一性の形成」というもの。
だけど、あの本に載っている数行なんかでは表せないほど、人々は複雑な生き物だ。
それぞれの正しさを持って、争う。
戦争や痴話喧嘩、デモで焼き払いが起きたりするのも同じラインだと僕は思っているんだ。
相手のことを否定して、自らの肯定感を表現したいから。だけど、それをするなというのもとても難しい。
僕ら人間は、そんな理性的に働けてるものではないから。
許せないものは許せない。悔しいものは悔しい。そんな、「文字」だけでは表せないことが世の中に沢山あるのだと知った。
大人と子供にも争いの差異はないと思っていた。
大人と言われる年齢の人々は、喧嘩したら「こう思われた」「こういうデメリット」がと、お互いの利権や関係性を曲げて考察する。
子供は単純に「食べ物」としてのお菓子を取り合いするのであって、そのあとは平然と接することもできる。
だが、その「年齢」による差も、どんどん埋まりつつある。
友人の子供が幼稚園で仲間外れにされているという話を聞いた。
理由は「気に入らないから」だそうだ。
大人と、変わらない。
10代前半の死因の一位も戦後初めて自殺が一位になった。10歳から14歳までの子の死は、自らの手で始まったばかりの物語を閉じたということになる。
そんな悲しいことがあるのだろうか。
正しさなんてない。
こんな短い文字では伝わらないくらい、いろんな意味が詰まっている。
沢山の社会や情報、生きていて感じることがどんどん増えていく中で
そこからフェードアウトし、耳を塞ぎ、目を閉じる人々も増えてきた。
だからこそ、僕らの仕事は「なんだあれ、楽しそうじゃん」「僕らも頑張りたい」「生きようと思った」と感じてもらえることなのだと思う。
先日、初めて歌って、トラックを作って、ライブをしたのですが(内容は後日載せます)
「感動した、生きようと思った。」
「布団の中より布団だった」と声をいただいた。
これほどまでに嬉しいことはなかった。
僕は人に生きる希望を少しだけ、与えられたのだ。
職業を敢えて語らないのも、記号としての「文字」がいらないから。
もっと、楽しいことをしていればいいのだ。たまに、苦しいことと向き合えばいい。
そして、喧嘩しそうになったら話し合いをすればいい。高校の教科書ではなく、小学校の道徳に書いてあることが一番大切なのだ。
明日から、また頑張るぞー!
この絵は、 @kyocomori さんからいただきました。有難う。
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2019/3/25