猫沢エミさんのインスタグラム写真 - (猫沢エミInstagram)「深夜にふと拙著を開いて、ひさしぶりにイオちゃんと語らっている。  今回の確定申告が無事に期限内提出できたっていうのは、だだ確定申告が嫌いっていうことじゃなくて、私にとってはもっと深い意味があった。  イオの病が発覚して、それから3週間は比較的緩やかなガンの進行を見守りつつ、哀しみや迷いのなかにいても、最後の時間をとても有意義に過ごしていた。  彼女に直接関わって、心を砕いてくれた友達を、イオの体調を見ながらたくさんお招きして、何度もお茶会を開いた。夜は、猫沢組で静かな猫集会と、Jazzを聴く夕べを過ごしていた。  それが、4週間目に入ったあたりで、ガンの進行が急激にスピードをあげた。その頃から私の頭の片隅には〝確定申告の締め切りは3月15日てある〟っていう事務的な暦がチラついていたのだけど、本当に心底どうでもよく、落とそうがなんだろうが、そんなことはゴミ箱に丸めて捨てる勢いだった。  3月15日という日付そのものも怖かった。普段ならなんてことのない2〜3週間先の未来は、私にとって遥か彼方にあって、その日、その一瞬しか見つめずに暮らしていたからだ。  イオが死に、確定申告がやってきて、失望のどん底で領収書を計算している自分など想像するだけで、まるで地獄絵図だった。  イオが3月12日に旅立ち、その3日後、予想だにしなかった親友の死に見舞われた。彼は『猫と生きる』の装丁をデザインした人だった。私は、あまりの衝撃で、現実の時間の流れを完全に見失った。  大切なふたりが逝ってしまってからも、私はいちおう生きていて、家の向かいのスーパーへ、死人のような顔して、日々食べるものを買い出しに行った。  ある日、そのスーパーの前に、親友とイオが並んでいるのを見た。もちろん、私の心が勝手に作り出したまぼろしだったが、その場に崩折れそうになった。頼むから、戻ってきて。そのために、なにを差し出したらいい?と悪魔に懇願するような気持ちで。  ふたりは生前と変わらず、静かな微笑みを浮かべて、ただそこに佇んでいた。サイフを握りしめて、夜の路上で号泣する私を、ただ優しく見つめながら。  ここにこのままいてはいけない。一歩でいいから、前に進まねば、と最初に思ったのが、たぶんあの夜だった。  朝が来て、夜が来て、また朝が来た。日暮れとともに哀しみに襲われて、部屋の片隅でうずくまった。どんなに泣いても、消えたふたりはもう二度と見える形では会えなかった。世界の隅々を訪ね歩いても、決してどこにもおらず、二度ともう会えないことが理屈ではわかっていても、物理的な法則を無視して、心は理解することを全力で拒んでいた。  そうして1ヶ月が経った。  食べて、仕事をして、また食べた。おなかが空くという生理現象と、仕事をせねば生きていけないという現実が、世知辛くも私を徐々に正気へと導いた。  そんななか、ほんの少し前にあれだけ怖がって、非現実の世界みたいに捉えていた確定申告の締め切りがいよいよ近づいてきた。  そこにはレシートをちゃんと計算している自分がいて、忙しい仕事の合間に着々と作業を進めていた。無機質な〝やらねばならないこと〟によって、めちゃくちゃだった思考回路と時間の流れがどんどんデフラグされて、今、私はこれを真夜中に書くに至る。  たくさんの方たちが発売直後にも関わらず「ねこしき」を読んでくださり、感想を書いたり、料理を作ってくださっている。イオちゃんへ心を寄せながら。  今、確かにわかることは、イオちゃんも親友も、狭い身体を捨て去ることで、自由に活動を始めて輝きだしたということ。それを感じる人々のなかで、永遠に生き始めたということだ。  会いたいことに変わりはない。けれど私は、新しい生に転ずる死の本当の姿を、少しずつ捉え始めていると思う。  この隅田川の川べりで、水面に浮かぶ水の光ひとつひとつにふたりの命を見つけては、笑顔で手を振る私がここにいる。 ふたりがこの世界に遺してくれた愛は、私という増幅装置を通り抜けて、今こうしている間にも、果てしなく大きく膨らみ、広がっていくのをたしかに感じている。  イオちゃん、あなたは遠ざかっているのでも、薄らいているのでも、ましてや忘れていくものでもない。深く、果てしなく、私のなかで広がっていくものへと姿を変えたのよ。  #ねこしき  #猫沢イオ #イオの扁平上皮ガン日記  #イオちゃんフォーエバー #真舘嘉浩-waters/orgasmo」4月16日 3時37分 - necozawaemi

猫沢エミのインスタグラム(necozawaemi) - 4月16日 03時37分


深夜にふと拙著を開いて、ひさしぶりにイオちゃんと語らっている。

今回の確定申告が無事に期限内提出できたっていうのは、だだ確定申告が嫌いっていうことじゃなくて、私にとってはもっと深い意味があった。

イオの病が発覚して、それから3週間は比較的緩やかなガンの進行を見守りつつ、哀しみや迷いのなかにいても、最後の時間をとても有意義に過ごしていた。

彼女に直接関わって、心を砕いてくれた友達を、イオの体調を見ながらたくさんお招きして、何度もお茶会を開いた。夜は、猫沢組で静かな猫集会と、Jazzを聴く夕べを過ごしていた。

それが、4週間目に入ったあたりで、ガンの進行が急激にスピードをあげた。その頃から私の頭の片隅には〝確定申告の締め切りは3月15日てある〟っていう事務的な暦がチラついていたのだけど、本当に心底どうでもよく、落とそうがなんだろうが、そんなことはゴミ箱に丸めて捨てる勢いだった。

3月15日という日付そのものも怖かった。普段ならなんてことのない2〜3週間先の未来は、私にとって遥か彼方にあって、その日、その一瞬しか見つめずに暮らしていたからだ。

イオが死に、確定申告がやってきて、失望のどん底で領収書を計算している自分など想像するだけで、まるで地獄絵図だった。

イオが3月12日に旅立ち、その3日後、予想だにしなかった親友の死に見舞われた。彼は『猫と生きる』の装丁をデザインした人だった。私は、あまりの衝撃で、現実の時間の流れを完全に見失った。

大切なふたりが逝ってしまってからも、私はいちおう生きていて、家の向かいのスーパーへ、死人のような顔して、日々食べるものを買い出しに行った。

ある日、そのスーパーの前に、親友とイオが並んでいるのを見た。もちろん、私の心が勝手に作り出したまぼろしだったが、その場に崩折れそうになった。頼むから、戻ってきて。そのために、なにを差し出したらいい?と悪魔に懇願するような気持ちで。

ふたりは生前と変わらず、静かな微笑みを浮かべて、ただそこに佇んでいた。サイフを握りしめて、夜の路上で号泣する私を、ただ優しく見つめながら。

ここにこのままいてはいけない。一歩でいいから、前に進まねば、と最初に思ったのが、たぶんあの夜だった。

朝が来て、夜が来て、また朝が来た。日暮れとともに哀しみに襲われて、部屋の片隅でうずくまった。どんなに泣いても、消えたふたりはもう二度と見える形では会えなかった。世界の隅々を訪ね歩いても、決してどこにもおらず、二度ともう会えないことが理屈ではわかっていても、物理的な法則を無視して、心は理解することを全力で拒んでいた。

そうして1ヶ月が経った。

食べて、仕事をして、また食べた。おなかが空くという生理現象と、仕事をせねば生きていけないという現実が、世知辛くも私を徐々に正気へと導いた。

そんななか、ほんの少し前にあれだけ怖がって、非現実の世界みたいに捉えていた確定申告の締め切りがいよいよ近づいてきた。

そこにはレシートをちゃんと計算している自分がいて、忙しい仕事の合間に着々と作業を進めていた。無機質な〝やらねばならないこと〟によって、めちゃくちゃだった思考回路と時間の流れがどんどんデフラグされて、今、私はこれを真夜中に書くに至る。

たくさんの方たちが発売直後にも関わらず「ねこしき」を読んでくださり、感想を書いたり、料理を作ってくださっている。イオちゃんへ心を寄せながら。

今、確かにわかることは、イオちゃんも親友も、狭い身体を捨て去ることで、自由に活動を始めて輝きだしたということ。それを感じる人々のなかで、永遠に生き始めたということだ。

会いたいことに変わりはない。けれど私は、新しい生に転ずる死の本当の姿を、少しずつ捉え始めていると思う。

この隅田川の川べりで、水面に浮かぶ水の光ひとつひとつにふたりの命を見つけては、笑顔で手を振る私がここにいる。
ふたりがこの世界に遺してくれた愛は、私という増幅装置を通り抜けて、今こうしている間にも、果てしなく大きく膨らみ、広がっていくのをたしかに感じている。

イオちゃん、あなたは遠ざかっているのでも、薄らいているのでも、ましてや忘れていくものでもない。深く、果てしなく、私のなかで広がっていくものへと姿を変えたのよ。

#ねこしき #猫沢イオ #イオの扁平上皮ガン日記 #イオちゃんフォーエバー #真舘嘉浩-waters/orgasmo


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2021/4/16

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