清水文太のインスタグラム(bunta.r) - 12月5日 03時07分
清水文太です。 明日は長丁場の撮影なのに、夜寝れなくて。
独裁国家の風刺を感じる、閉館した映画館のフィルムから西部劇に入り込んでしまったクレヨンしんちゃんの映画を鑑賞しながら考えていたことを綴る。
「責任」や「一言」の言葉について。
僕自身、20歳以前の時は責任というものから逃れて生きてきたような気がします。
というか、大人になった瞬間に刻まれる押印という認識でした。
だけど、違かった。
僕らが生きている世界は広いようで、とても狭くて、年齢など関係ない。
実力や人望が伴う世界。甘くはない。
高校の教科書で習った「モラトリアムの期間」なんて、この世界には存在しない。
僕は、未成年という概念が未だ18歳というのは考える時があります。もう、立派な大人じゃないか。
だけど、最初の支援はしてほしいな。大人になる準備を。恋愛とか、仕事とか、社会的な部分は平等で 良いと思う。
確定申告とか、知るべきことを教えるべきだなあ。
そう思えば、
僕は17歳の頃、スタイリストアシスタントをしていましたが辛かった。けど、やりきりました。数ヶ月間の撮影の手伝いだったけど。
もし、僕がそこから連絡を取らず辛いからといってバックれたら、ここにはいません。
いくら、自分が悪くても、相手が悪くても
「辛かったからやめます」 その一言で世界が変わる。
一言って、大きいんです。
逃げ出して、いなくなることと。
伝えてから逃げる事はまるで違うと思ってい
ます。
言いづらいのかもしれない。その人が、その企業が怖いのかもしれない。嫌かもしれない。
だけど、言っていいこともあると思うんです。
ただ、猛ダッシュで逃げないといけない時もある。
だけど、それは周到な準備が必要です。
運動会のパン食い競争や、ムカデ競争と一緒。
走る速度が遅いのなら、トレーニングしたり、周りを見渡さなければなりません。
それをしないと、あっという間に置いてかれたり、いつのまにかムカデをする相手が誰もいなくなることがある。
今は、嫌かもしれない。辛いかもしれない。
でも、再びその人と出会う瞬間があるかもしれない。というか、あるんだよねえ。そういう時って。
だったら、うまい具合に離れたらいいじゃないか。
そこは、大人になってもいいのでは。と思います。互いの為を思ってさ。
クレヨンしんちゃんの映画の中で、映画館から戻ってきて、ヒロインが登場人物であることに気づいたしんちゃんが悲しむシーンがあります。
例えが少し違うけど、いくら探しても、再び出会いたくてももういない。そんなの悲しいじゃん。
だったら、再び出会える準備ができるように大人に逃げようかな。まあ、俺はそんなこと今はないけど。
最後の最後、ヒロインがいなくて、ずっとしんちゃんが悲しみ続けてて。
そしたら家族や友人が「彼女はいないかもしれないけど、幸せに過ごしてる。代わりといってはなんだけど、僕たちがいるじゃないか」って。
胸を張って帰る場所が、戻れる場所があるのは素晴らしいことだ。
それは、自分の日々の行いなのかもしれない。
僕も、笑って生きようっと。大変なこともたくさんあるけどさ。
なんかやらかしても、「やべえ」って言える人がいれば良いな。
きっといるよね。
さて、明日仕事頑張ろ。
この写真は、ひーちゃんと山登りした時に見つけたハローキティ。
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2018/12/5