猫沢エミのインスタグラム(necozawaemi) - 8月26日 16時04分
ワタナベアニ節✨
#Repost @watanabeani (@get_repost)
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毎日の大部分を、渋谷、原宿、六本木あたりで過ごす。自分とは無関係な膨大な数の人々を見ていると、その全部が「情報」であり「ドラマ」の集積であることを思う。クラクラするけど俄然楽しくなってくる。
性別、年齢、国籍、仕事、そこにいる目的は、全員が違っている。情報やドラマに関わらないように生きていくこともできるんだけど、それは勿体ないと思っている。MOTTAINAIのである。
情報は増えるほど輪郭の解像度が上がっていく。「渋谷ではこんな場所でこんなことがあって、こんな人たちがいる」という知識や実感において俺は数十年の蓄積を持っている。
でも愛媛県に関しては「みかん」「伊丹十三記念館」「がんばっていきまっしょい」「四国カルスト」と4つの四角を描いたらそれで終わりなのだ。解像度がモザイク状にもなっていない。
自分が関係のない出来事についてはそれが当然なんだけど、良くないのはそれでも「善悪や価値」について話してしまうことだよね。
俺は北朝鮮にもシリアにも行ったことがないから、低い解像度で渋谷と同じようには語れない。もっと言えば俺の「渋谷の知識」だって危ういのだ。知らないことは知らないんだから。
ネットで残念な気持ちになるのはパソコンの前のコントロールセンターみたいな場所で「あれは正しい」「あれは間違ってる」と言ってるだけのドあつかましい人を見たとき。ワンガリ・マータイさんに言わせれば、DOATSUKAMASHIIのである。 「じゃあ世の中の何でも全部知らないと発言しちゃいけないのか」と、また短絡的な反論をされるのは面倒なんだけど、知らないことを自覚して謙虚でありさえすればいいのだ。
能力のある人の多くは他人の話に驚くものだ。「へえ、知らなかった。そうなんですか」と素直に言う。でも「そんなの知ってたよ」と言いたがる人の周りには誰も集まってこない。その人と話す楽しさがないからだ。
そして「情報とドラマ」と書いたのは、情報を持っていてもそれがヒューマニズムと連結させられない人は、山手線の駅を全部言うような、ただのデータベース以下なんだよと思いながら、おはようございます。
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2017/8/26