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TERUのプロフィール

名前:TERU(ミュージシャン)
生年月日:1971年6月8日
出身地:北海道

姉と妹1人ずついる、5人家族で育った。母親のシャンソンを聞いて育ったこともあり、小さい頃から歌うことが得意だった。そのため、小学生の頃、町内会ののど自慢大会に出場し、3位に輝いたことも。ちなみにこの町内会ののど自慢大会では、TERUが当時大好きだった近藤真彦の「スニーカーぶるーす」を歌ったのだが、こののど自慢大会に出るために、一生懸命練習したそうだ。この頃から歌に夢中だったわけではなく、TERU少年は、じつはスポーツ抜群で、野球に熱中していた。小学校の頃は少年野球に入り、4年生になってはじめて父親にグローブを買ってもらい、レギュラーとして
活躍していた。その活躍ぶりは、チームを率いるものがあり、6年生のときにはキャプテンを任されるほど。しかし、TERUの才能は他にもあり、北海道の絵画コンクールで受賞した経験も持っている。小学生ながら、美術とスポーツ、そして音楽への才能を披露する場面があったこともそうだが、TERUの実力は確かなものだったようだ。
その後、中学生にあがったTERUは、小学校時代に熱中した野球に引き続き没頭することになった。そしてこの中学時代、のちにTERUの人生を大きく変える、TAKUROと同級生として出会っている。2人はこの頃、つながりが深いわけではなかったのだが、部活後にたまたま話すタイミングがあり、当時TERUが欲しいと思っていたファミコンをTAKUROが持っていて、TERUに売ってやる、ということが、TERUはTAKUROの音楽の世界へと足を踏み入れるきっかけになったようだ。

高校にあがった2人は別々の道。TERUは自分の姉も通っていた函館商業高校に進学し、女子にモテたいという理由もあり、野球部ではなくサッカー部へ入部。もちろん、スポーツ抜群のTERUは、サッカー部でも活躍した。TERUは先輩たちに可愛がられたこともあり、高校の先輩が聖飢魔IIのコピーバンドをやりたいけど、ドラムを叩ける人がいないか、という話があると、ドラムを触ったことさえもないのに、TERUは自分がドラムをやりますと、ドラムを買って出た。ここからTERUの音楽活動はスタートする。TERUは音楽の才能もあったため、猛練習することでドラムも自分の楽器へと作り上げることができ、高校の文化祭でTERUは先輩たちとともに聖飢魔IIのコピーを披露。すると、このバンド出演の評判がよく、とくにTERUのファッションも格好良いと、ミスター函商に選ばれたほど。この好環境もあり、TERUはサッカー部をやめてドラムをはじめとする音楽にのめり込むようになった。
その後、ハードなジャパニーズロックを聴くようになってバンドに夢中になっていたTERUだが、旧友であるTAKUROからバンドに誘われる。このバンド名は、白でも黒でもなく、中途半端、ということから「グレイ」という呼び方にし、GRAYだとそのままのため、ちょっとひねりを加えたく、「GLAY」に決めたという話がある。GLAYでは、TERUは最初、ドラマーとして活動していた。しかし、なかなかTAKUROの思い描くボーカリストがいない、といった状況が続く中、TERUがたまたまTAKUROのデモテープにイメージを湧きやすくしたいと歌を入れたところ、そのTERUの歌声をTAKUROが絶賛し、TERUはドラムからボーカルに転向することになった。

GLAYとしての活動は順調で、高校生ながらも路上ライブを行ったり、ライブハウスでライブを行ったり、地道な活動のなかでGLAYの曲とTERUの歌声が評判になり、地元・函館では多くのファンがつくようになった。GLAYとして確かな手応えを感じたメンバーたちは、高校を卒業とともに上京を決意するものの、もちろんその夢についていけないメンバーもいて、脱退。上京したメンバーで知らない街で音楽を続けてみたものの、まだまだGLAYの良さは広がらず、メンバーは生活をするので精一杯の日々を送っていた。そんななか、JIROに出会い、GLAYは4人のバンドに。生活をするのがやっとのなか、GLAYのライブにX JAPANのYOSHIKIが訪れ、メジャーデビューが決まった。こうして、TERUはGLAYのTERUとして認知されるきっかけをつかんだのだ。
GLAYはX JAPANのYOSHIKIによるプロデュース楽曲「RAIN」でデビュー。GLAYのデビュー当時は、X JAPANのYOSHIKIがプロデュースということもあり、ビジュアル系ど真ん中だったのだが、TERUが憧れていたのはチェッカーズだったことや、自分たちの音楽のルーツが70年代ニューミュージックということもあり、このデビュー当時の演出は本人たちにとってかなり無理があったようだ。GLAYのセカンドシングル「真夏の扉」は、土屋昌巳プロデュースによるものだったっが、やんちゃを求める土屋昌巳の意図と合わず、バンドと楽曲がちぐはぐになっていたのを感じ取られたのかもしれない。TERUをはじめとする、GLAYのメンバーは決してビジュアル系のロックバンドを目指してバンドを続けてきたわけではなかったため、GLAYはそのバンドイメージと裏腹に礼儀的で真面目なメンバーばかりだったのだ。しかしついに3rdシングル「彼女の“Modern…”」のプロデューサーとなった佐久間正英に、GLAYの本質が見抜かれ、脱ビジュアル系に方向転換がはじまり、8thシングル「グロリアアス」で大ヒットし、のちに日本のバンド界に欠かせない存在へと駆け上がっていったのだ。

TERUは1990年代から活躍してきているため、その存在はファンからすればかわいらしい存在というのは周知だが、GLAYは知っていても曲しかわからない、といった人からすれば意外なキャラクターの持ち主。たとえば、2017年に約2年ぶりとなるアルバムを発売するにあたり、「GLAY ARENA TOUR 2017 “SUMMERDELICS”」というツアーを開催。このツアーでは、23公演を行い、23万人の動員が決まっていたのだが、ファンたちは久しぶりのツアーを喜んでいたこともあり、大規模なツアーになるにも関わらずチケットの売り切れを心配する声が多かったのだ。この状況を目撃したメディアが「干されていても23万人動員!GLAYの凄さを今あらためて振り返る」というネット記事を書くと、この記事がTERUまで届き、この記事をTwitterでコメント付きでリツイートしたのだ。芸能人にとって、根拠もないのに干されていたというのが記事に書かれるということは、心外に感じる人も多く、憤慨してもいいはずなのに、TERUは「干されていたのか……」とコメント。このかわいらしい反応にファンはもちろん、GLAYを知っている多くの人が反響を寄せ、多くのまとめ記事が書かれたほどだ。
ほかにも、TERUはゲーム好きとして知られていて、特にファイナルファンタジー(FF)シリーズにどハマりしては、アイテムを大人買いするなど、GLAYのファンだけでなくゲーマーからも愛されている、TERU。ついにTwitterでゲーム用アカウントを開設すると、ネットニュースに取り上げられるほど多くのファンが反応したほどだ。そのTwitterアカウントが開設された経緯は、もともと開設していたTwitterアカウントでのツイートが、ハマりすぎたFF14の話題ばかりになってしまったことがきっかけで、ゲームに興味のないファンに申し訳ないと、ゲーム専用アカウント開設へと至ったようだ。TERUがどハマりしたFF14というのが、オンラインゲームなのだが、TERUは自分のキャラクター名やサーバー名などを公開してオープンにFF14をプレイし、ゲームのなかでファンたちとの交流の場を作っていた。そのため、GLAYという海外でも知られる日本のロックバンドの顔とも言える、ボーカル・TERUと、FF14では気軽にコミュニケーションをとることもできるのだ。そのため、FF14のプレイヤーはもちろん、多くの人がTERUがFF14にいると話題にし、ついにはTERUにFF14内で取材アポを成功させる人まで出てきたほど。TERUの優しさがゲームの世界にまでも進出し、その新しい魅力に触れる人が多くなっているのだ。

そんなTERUもお父さんだ。1993年、まだGLAYがインディーズとして活動していた時代に結婚。当時嫁となったのは、メジャーデビュー前からTERUを好きだった、ファンの女性だ。TERUと当時の嫁は、付き合ってすぐに子供ができてしまったために、すぐ結婚をした、できちゃった結婚をしたのだ。しかし、当時はまだGALYのデビュー前。もちろん生活は安定したものではなく、これから売れるのか、という手応えも見えていない時期にTERUとの結婚を決意し、子供を育てながらもメジャーデビュー、デビューからブレイクするまでの苦しい期間も一緒に歩んできた、苦労を知る嫁ということでファンからもよく知られていたようだ。しかし、GLAYの人気が絶頂期を迎えていた1999年にTERUの不倫スキャンダルが発覚。その相手が、のちにTERUの嫁となる大貫亜美だったのだ。大貫亜美と出会ってからは、当時の嫁との間にどんどん溝が深まるようになり、TERUは当時の嫁や子供と別居をしたのだが、やはり大貫亜美との関係を断ち切ることができず、TERUは離婚を決意。デビュー前から支えてくれていた嫁とは、離婚することになった。元嫁との間には、2人の子供がいたのだが、子供は元嫁が引き取り、養育費をTERUが払っている、という話もあるが、離婚調停の内容は明かされていない。
そして、2002年にPUFFYの大貫亜美と結婚。2人目の嫁となった大貫亜美との間には、2003年に女の子が誕生している。最初は不倫からの別居、そしてすぐ離婚、というTERUの経緯もあって、多くのバッシングがあった2人だが、いまでは嫁である大貫亜美のSNSにTERUの姿が現れると、仲のいい夫婦として好感を得ている様子も。もともと悪人ではないTERUということもあって、現在の嫁、大貫亜美とは純愛なのかもしれないという声が高まっているのだ。音楽だけではなく、プライベートでもいろんな顔を見せる機会が増えたTERU。デビューから20年以上も経ち、劣化した、老けた、という声も時々聞こえるようになってきたが、その存在感はいまも昔も変わらないようだ。

主な出演

・CM
公共広告機構(現・ACジャパン)『TERU登場』『検査に行くということ』・江崎グリコ『みんなに笑顔を届けたい。冬篇』『みんなに笑顔を届けたい。LIVE篇』…

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