名前:槙野智章(サッカー選手)
生年月日:1987年5月11日
出身地:広島県
スポーツ万能一家の槙野家、3人兄弟の末っ子として生まれた槙野智章。父親がサッカーファンで男ばかりの兄弟のなかで育ったこともあり、上の兄2人がサッカーをはじめていたのをきっかけに、槙野智章も小学校1年生のときから、井口明神小学校のサッカークラブ、「井口明神SC」に入団し、サッカーをはじめるようになった。井口明神SCに入団した理由は、地元に小学校1年生から入れるサッカークラブがなかったから。そんな理由で隣町の井口明神
SCでサッカーをしていたのだが、小学2年生のときから6年生チームの試合に出るほどの才能を見せ、小学校6年生にあがったときには、フジパンCUP 広島県大会で3位入賞するなど、地元ではすでに注目されていた存在だったそう。中学校にあがると同時に、サンフレッチェ広島ジュニアユースに入団。ここではのちに日本代表としてもいっしょにプレーすることになる、森重真人と同期として出会っている。運動神経抜群の槙野智章は、小学校からFWとしてプレーしていたものの、点を取るという部分だけでなく、声を出して指示ができるプレーヤーという槙野智章の統率力が買われ、この頃にセンターバックにポジションが変わった。このセンターバックへのコンバートをきっかけに槙野智章の存在感は増していき、高校ではサンフレッチェ広島のユースチームに昇格。1年生のときから試合に恵まれたが、2年生のときにはセンターバックとしてレギュラーを獲得すると、槙野智章の鉄壁の守りもあり、ユースの3大大会すべてで決勝進出を果たし、チームは2冠を達成。3年生になるとサンフレッチェ広島ユースのキャプテンだけでなく、「おかやま国体」と呼ばれた2005年開催の国体に出場した広島県選抜のキャプテンも務めるなど、同世代の中心選手として活躍するようになっていた。このころU-18日本代表にも選出され、日本代表への道も拓いていたころだ。
サンフレッチェ広島ユースのキャプテンを務めた槙野智章は、高校卒業と同時にサンフレッチェ広島に正式入団を果たす。アジアユース選手権2006にU-19日本代表として、そしてFIFA U-20ワールドカップには、U-20日本代表として出場している。所属チームのサンフレッチェ広島でレギュラーに定着したのはプロ2年目。きっかけは主力のデイフェンダー陣の負傷だったこともあり、2007年末にサンフレッチェ広島はJ2に降格してしまった。そんな状況でもくじけない槙野智章は、J2降格で離れる選手も多いなか、真っ先に佐藤寿人とともにサンフレッチェ広島への残留を表明し、移籍した選手たちの穴を埋めるプレーで出場停止の1試合を除いた全試合に出場し、チームを守り、翌年のJ1昇格に大きく貢献した。J1に上がった2009年は、1年間レギュラーの座を守り続け、ディフェンダーとしてJリーグ最多の年間8得点を挙げるなどの好プレーを見せたのだが、日本代表合宿に初招集されても出番がないなど、苦しい時期も経験している。
そんななか、翌年、AFCアジアカップ最終予選のイエメン戦で日本代表として試合に初出場を果たすと同時にゲームキャプテンを務めるなど、持ち前のムードメーカーぶりを日本代表でも発揮。その後、日本代表として爪痕を残す機会にはなかなか恵まれなかったものの、所属するサンフレッチェ広島ではリーグ戦全試合に出場し、Jリーグベストイレブンに初選出された。そして全試合に出場するなか、警告・退場などのカードを受けることがなかったことから、フェアプレー個人賞を獲得するなど、その存在が評価される機会も出てきた。
そんな実績があるにもかかわらず、招集された日本代表ではなかなか出番に恵まれないという状況にも焦りを感じていたのか、2010年には海外でのプレーを希望。ボルシア・ドルトムントやTSG1899ホッフェンハイムなど、ドイツのトップリーグであるブンデスリーガのチームの練習に参加し、アピールしたものの契約の機会に恵まれなかったのだが、槙野智章の海外でプレーしたいという熱意を理解したサンフレッチェ広島は、槙野智章との契約を解除し、移籍金0円という槙野智章を獲得しやすい状況に。古巣であるサンフレッチェ広島にとって、チームのムードメーカーをただただ手放す状況になってしまったものの、槙野智章はこのサンフレッチェ広島の計らいもあって、ブンデスリーガの1.FCケルンへの移籍を決めることができた。しかし、ブンデスリーガという壁は厚く、移籍金0円で獲得に至った槙野智章にプレーする機会はなかなか回ってこなかった。サッカー選手として出場機会を確保するため、Jリーグのチームへレンタル移籍の話が出たものの、槙野智章のレンタル移籍先となったのは、浦和レッズ。槙野智章の獲得に熱意を出したのは、サンフレッチェ広島時代の恩師、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督だったのだ。そしてドイツ、ブンデスリーガで失ってしまった自分のプレーへの自信を取り戻すべく、2010年から浦和レッズへ1年の期限付き移籍が決まり、2011年からは浦和レッズに完全移籍することとなった。
海外でプレーするには、181cmの身長はセンターバックとして足らないという弱点になる槙野智章だが、日本に戻れば、ムードメーカーとしてチームをまとめる存在となる。そんな槙野智章だが、1.FCケルンへの移籍は、移籍金が発生しないフリーでの移籍だったことで古巣であったサンフレッチェ広島に何も残せなかったことや、ドイツから帰ってくるときに所属したチームがサンフレッチェ広島ではなく浦和レッズだったことから、サンフレッチェ広島というジュニアユース時代から槙野智章を育てたチームへの経緯が足りないと、多くのサッカーファンから叩かれてしまったことも。実際、槙野智章が海外でのプレーを望んでからサンフレッチェ広島に残せた部分はまったくないのだが、槙野智章はJリーグへの復帰を決めたときに真っ先にサンフレッチェ広島へと声をかけたりと、古巣への復帰を希望したものの、サンフレッチェ広島からのOKが出なかったという話もある。
プレーだけでなく、さまざまな面が注目されてしまう槙野智章だが、本人がお調子者で目立ちたがり屋ということもあり、自ら話題を振りまくこともある。たとえば、槙野智章のスパイクだ。とくに槙野智章のスパイクとして周知されたのは、いまは廃盤となってしまったadidasのF50adizero。所属する浦和レッズのユニフォームに合わせて赤と白のスパイクを左右で履く姿は、海外サッカー情報サイト「soccerbible」でも取り上げられたほど、槙野智章のトレードマークになっていた。槙野智章が左右色違いのスパイクを履き始めたのは、きっと目立ちたかったから、が最初の要因になるだろう。実際、槙野智章は他のプレーヤーたちの言動などを取り入れて自己流にしてしまうスタイルでも知られている。左右で色違いのスパイクは以前からたびたび人気が出ていたこともあり、プーマでメーカー公式の色違いスパイクが誕生したほど。このプーマのもともと左右で色が違うスパイク「Tricks」の発売開始の際には、槙野智章のようなスパイクの履き方“槙野スタイル”ができると話題になったほど、槙野智章のスパイクは左右違う、というのが浸透している。槙野智章が左右で違う色のスパイクを続けている理由は、サッカーを観に来た人にもっとサッカーを面白いと思ってもらうきっかけを作るためだとか。小さい頃からずっとサッカーに打ち込んできながら、プロサッカー選手になるという夢を叶え、さらには日本代表としても活躍するようになったことで、自分の立ちたかった場所にいることをもっと楽しむことで、人に夢を与えたいという気持ちがあったそうだ。
槙野智章はプライベートも派手。2018年2月に女優の高梨臨との結婚したのだが、それ以前にも数々の女性芸能人が彼女という噂があったのだ。槙野智章にとって最後の彼女になった高梨臨と出会ったのは、2016年6月くらい。食事をしているときに偶然出会った2人の熱愛報道が出たのは、同年9月だったものの、そのときには高梨臨との交際はすでに周囲に報告済みの公認の彼女で、真剣交際だという話も出ていたほど。振り返ってみると、当時彼女であった高梨臨は、外食好きで知られていたはずなのに夏に開設したインスタグラムで健康的な自炊していることをアピールしたり、槙野智章は彼女である高梨臨がCM出演しているスリムウォークを履いた写真をアップしたりと、自分たちの交際をアピールしているような投稿もあったのだ。それほど真剣な交際をしていた高梨臨には、2017年末にプロポーズし、2018年1月中旬にはお互いのインスタで2月に結婚することを報告するなど、最初から最後まで順調な交際となったようだ。
高梨臨より前に付き合っていたのが、水沢アリー。水沢アリーが槙野智章の彼女になった経緯は、友人の紹介だった。水沢アリーとの交際は、水沢アリー本人が恋人がいるとテレビで発言したことから発覚し、槙野智章の彼女が水沢アリーだったということが判明してからも、交際をオープンにしていたのだが、もともとサッカーなどのスポーツに興味のなかった水沢アリーと、スポーツ大好きの体育会系槙野智章との趣味やテンションの差が埋められず、破局に至ったとのことだった。水沢アリー以前にも、彼女と噂された女性芸能人がいるのだが、それは剛力彩芽だ。以前からスポーツ選手がタイプと公言していた剛力彩芽と槙野智章は朝まで飲み明かしていた夜があり、そのことから彼女なのでは、という報道が出たのだが、この交際について認めるコメントは出ていなかった。
複数の女性芸能人を彼女にしながら、高梨臨とゴールインした槙野智章。2度、ワールドカップへの出場機会を逃している彼にとって、2018年のロシアワールドカップは絶対に逃せない機会だ。プライベートも安定した今年、日本代表のディフェンダーとして、また、ムードメーカーとして、槙野智章の活躍が大きく期待されている。
主な出演
・CM
AS進学セミナー・「守ろうよ広島」広島県消費生活相談窓口・クオリティファースト「フェイスパック・オールインワンシートマスクEX」・NTT docomo「DAZN」…