猫沢エミさんのインスタグラム写真 - (猫沢エミInstagram)「イオちゃん、旅立ちから初七日。  生前、最後の写真と動画。  イオが旅立つその瞬間まで、とぎれることなくゴロゴロと喉を鳴らしてくれたことは、私にとって、そして聖なるその場に立ち会った人すべてへの、最後の大きな贈り物でした。  〝ありがとう。幸せだった〟  私は、この出逢いと別れについて、100万回くらい考えたんだけれど、尊すぎて、大きすぎて、まだすべてを言葉に変換することが難しい。  イオのガンがわかった瞬間、足元の床が全部抜けてなにもなくなり、真っ暗な奈落が果てしなく広がっていたあの風景を忘れることができない。  聞いたこともなかった病名の告知から、それをどうするかの決定までたった5日間。最終的に5人のドクターに会い、このガンがどうあがいても希望のないものだということを突きつけられた。(あくまでもイオの細胞診結果に照らし合わせて)  哀しくて、受け入れがたくて、息が止まるほど苦しかった。でも、こうなった以上、どんなに苦しくても、イオの残された時間を無駄にしないために、正しく希望を捨てる必要があった。しかも最速で。  私の甘っちょろいセンチメンタルなど近寄る術のない、近くかならず訪れる、このガンの激烈な末期症状から、イオを守り抜くことだけを考えなくてはいけなかった。  絶望のなかで、良きことを見つけるのは想像以上に難しかった。人は皆、希望に向かって力を発揮するようにできているから。でも、今回はそうじゃなかった。私の生半可な希望が、進行する病気対処への大切な局面で、判断を見誤らせる無意味なファンタジーになってしまうだろうということが、始めの5日間で嫌というほどわかってしまった。  1.8kgの餓死寸前から4.55kgまで体重を戻して、いくつもの病を超えてきた彼女だからこそ、もうこれ以上なにを頑張る必要がある?とずっと自分に問い続けながら寄り添った。  ある病院の看護士さんが、扁平上皮ガンの下顎切除手術を受けたのち、8ヶ月延命した猫ちゃんの壮絶な写真を見せながら私に言った。「この子は頑張りましたよ。」頑張った?この子の意思で?人間が勝手に頑張らせたんじゃないの?8ヶ月のうち、穏やかな時間がいったいどのくらいこの子にもたらされたというの?  私は頑張らせるつもりなんか1mmもなかった。病になった身体を抱えて、これから旅立ちの日まで過ごさねばならないだけで、もうじゅうぶんすぎるほど頑張ることになるだろうから。  頑張ったり、苦しんで、やり切ったと見なす日本的な根性論なんか、クソ喰らえだった。飼い主ができるだけ長く一緒にいたいから自然死を待つ、という残酷でエゴイスティックな考えも、私には始めからひとつもなかった。〝自然〟と名のつくものの多くが、現実世界では歪んで不自然な形をとることも、これまで多く見てきた。  私の願いは明確だった。旅立つ日まで、ふだんと変わりない、イオが愛した日常を営むこと。部屋に病の匂いをたち込めさせないこと。そして、時が来たらすべてを受け入れて、躊躇なくその手を離してやること。それがどんなに、胸が張り裂けるような哀しみだとしても。  苦しかった。とても。そうできない人たちの気持ちも心底わかるほどに。私だって自然死で最後まで見守れるものならそうしたかった。でも、このガンでは無理だった。それはあまりにも残酷な結末になってしまうから。  今、すべてが終わってわかることは、私はイオちゃんを本当に愛していた。それがすべてだった。愛が、なんども迷って苦しんだ私の判断を、最終的にこの幸せな旅立ちへと導いた。  もちろん、この病気でなければ、もっと病状が良ければ、そして生きる道が残っていれば、私はイオと全力で闘う道を迷いなく選んだ。安楽死など、簡単に選べることじゃない。でもね、もしも道がもうないのだとしたら、安楽死という選択は、旅立ちの日までの大切な時間から、苦しみと死の恐怖を取り去り、幸せを感じることだけに集中できる、優しい魔法の力を持っている。罪深くなんかない。それを決断するまでに、それしか選べなかった飼い主さんはもう、すべての贖罪から解き放たれるだけの苦しみを負っているのだから。  イオはこの写真と動画の数分後、あっけないほど静かに安らかに天へ昇っていった。  最後の一瞬まで、ゴロゴロと喉を鳴らしながら。 彼女の心臓は、微笑みながら永遠に時を止めた。  そして私は、なにひとつ後悔しなかった。  #猫沢イオ #イオの扁平上皮ガン日記 #猫沢組」3月19日 13時43分 - necozawaemi

猫沢エミのインスタグラム(necozawaemi) - 3月19日 13時43分


イオちゃん、旅立ちから初七日。

生前、最後の写真と動画。

イオが旅立つその瞬間まで、とぎれることなくゴロゴロと喉を鳴らしてくれたことは、私にとって、そして聖なるその場に立ち会った人すべてへの、最後の大きな贈り物でした。

〝ありがとう。幸せだった〟

私は、この出逢いと別れについて、100万回くらい考えたんだけれど、尊すぎて、大きすぎて、まだすべてを言葉に変換することが難しい。

イオのガンがわかった瞬間、足元の床が全部抜けてなにもなくなり、真っ暗な奈落が果てしなく広がっていたあの風景を忘れることができない。

聞いたこともなかった病名の告知から、それをどうするかの決定までたった5日間。最終的に5人のドクターに会い、このガンがどうあがいても希望のないものだということを突きつけられた。(あくまでもイオの細胞診結果に照らし合わせて)

哀しくて、受け入れがたくて、息が止まるほど苦しかった。でも、こうなった以上、どんなに苦しくても、イオの残された時間を無駄にしないために、正しく希望を捨てる必要があった。しかも最速で。

私の甘っちょろいセンチメンタルなど近寄る術のない、近くかならず訪れる、このガンの激烈な末期症状から、イオを守り抜くことだけを考えなくてはいけなかった。

絶望のなかで、良きことを見つけるのは想像以上に難しかった。人は皆、希望に向かって力を発揮するようにできているから。でも、今回はそうじゃなかった。私の生半可な希望が、進行する病気対処への大切な局面で、判断を見誤らせる無意味なファンタジーになってしまうだろうということが、始めの5日間で嫌というほどわかってしまった。

1.8kgの餓死寸前から4.55kgまで体重を戻して、いくつもの病を超えてきた彼女だからこそ、もうこれ以上なにを頑張る必要がある?とずっと自分に問い続けながら寄り添った。

ある病院の看護士さんが、扁平上皮ガンの下顎切除手術を受けたのち、8ヶ月延命した猫ちゃんの壮絶な写真を見せながら私に言った。「この子は頑張りましたよ。」頑張った?この子の意思で?人間が勝手に頑張らせたんじゃないの?8ヶ月のうち、穏やかな時間がいったいどのくらいこの子にもたらされたというの?

私は頑張らせるつもりなんか1mmもなかった。病になった身体を抱えて、これから旅立ちの日まで過ごさねばならないだけで、もうじゅうぶんすぎるほど頑張ることになるだろうから。

頑張ったり、苦しんで、やり切ったと見なす日本的な根性論なんか、クソ喰らえだった。飼い主ができるだけ長く一緒にいたいから自然死を待つ、という残酷でエゴイスティックな考えも、私には始めからひとつもなかった。〝自然〟と名のつくものの多くが、現実世界では歪んで不自然な形をとることも、これまで多く見てきた。

私の願いは明確だった。旅立つ日まで、ふだんと変わりない、イオが愛した日常を営むこと。部屋に病の匂いをたち込めさせないこと。そして、時が来たらすべてを受け入れて、躊躇なくその手を離してやること。それがどんなに、胸が張り裂けるような哀しみだとしても。

苦しかった。とても。そうできない人たちの気持ちも心底わかるほどに。私だって自然死で最後まで見守れるものならそうしたかった。でも、このガンでは無理だった。それはあまりにも残酷な結末になってしまうから。

今、すべてが終わってわかることは、私はイオちゃんを本当に愛していた。それがすべてだった。愛が、なんども迷って苦しんだ私の判断を、最終的にこの幸せな旅立ちへと導いた。

もちろん、この病気でなければ、もっと病状が良ければ、そして生きる道が残っていれば、私はイオと全力で闘う道を迷いなく選んだ。安楽死など、簡単に選べることじゃない。でもね、もしも道がもうないのだとしたら、安楽死という選択は、旅立ちの日までの大切な時間から、苦しみと死の恐怖を取り去り、幸せを感じることだけに集中できる、優しい魔法の力を持っている。罪深くなんかない。それを決断するまでに、それしか選べなかった飼い主さんはもう、すべての贖罪から解き放たれるだけの苦しみを負っているのだから。

イオはこの写真と動画の数分後、あっけないほど静かに安らかに天へ昇っていった。

最後の一瞬まで、ゴロゴロと喉を鳴らしながら。
彼女の心臓は、微笑みながら永遠に時を止めた。

そして私は、なにひとつ後悔しなかった。

#猫沢イオ #イオの扁平上皮ガン日記 #猫沢組


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2021/3/19

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