猫沢エミのインスタグラム(necozawaemi) - 1月29日 21時01分
昨日、東京猫医療センターの腫瘍科の原先生に、これまですべてのデータを持って、セカンドオピニオンを取りに行った。
まだ細胞診の結果が出ていないので、確かな助言はできないけれど、おそらくイオちゃんの扁平上皮ガンは、そのなかでもかなり悪性の進行が早いものだろうという予見だった。
ただ、この時点で、私はそれでもまだ70%、手術にかけてみたいという気持ちだった。
家に帰って雪が降った。とても美しい雪で、イオを抱いて窓から眺めた。そして、ふたりで布団にくるまって、幸せなお昼寝をした。その一瞬、決して劣化することのない心のフィルムがカタカタと回り出して、私の胸に顔を埋めるイオを克明に撮った。あゝ…永遠だ。こうして人は、一瞬を永遠に変えることができるのだ。
昨夜のイオはとても穏やかで、いつもと変わらないJazzが流れるこの部屋で、ピガとユピが賑やかに追いかけっこしていた。イオが彼女の猫生でおそらく唯一得ただろう《家庭》の生活音が満ち溢れていた。これだ…これなのだ。イオを病猫として扱って、妙に静かにしないこと。彼女が知っているいつもの空気感。これを守ってやればいいのだと気づいた。
父が生前、ガン告知をされた際、手術も積極的治療もすべてはねのけて、最後にやりたいのは「家でいつもと何ひとつ変わらず暮らすこと。朝が来て、ごはんを食べて、散歩に行って…そうゆうことがしたい。旅行に行ったり、豪華な食事はいらない。」と言ったのを思い出した。
今朝はみごとな青空だった。
イオがピコピコ枕元にやってきて、布団の中に滑り込んだ。とても深遠なまなざしで私をじっと見て「ママ、苦しまないで。」と言った。それで「イオちゃん。ママが決めてもいい?」と聞くと、イオがにっこり笑った気がした。
イオを救い、糖尿病を寛解まで持っていってくださった園田先生のいる日本橋動物病院へ、データを持ってこれまでの総括を伝えに行った。そのときにはもう、手術をせず、彼女がまだ穏やかなうちに早期安楽死させると心に決めていた。先生も、その決断を支持してくださった。早期安楽死とはいえ、すぐにどうこうというのではなく、イオの緩和ケアをしつつ、できるだけ普通の穏やかな生活を営んで、苦しい予兆を見たら、早めに決断するというものだ。彼女の尊厳が守れるうちに。きれいなまま、送り出してやれるように。
この5日で、世界が変わってしまった。本当に苦しみぬいた。そしてこれは、私にできる道探しを精一杯やった結果の答えだった。心は穏やかだった。もう、私の願いやエゴで、手術という過酷な道を歩ませなくていい。痛かったり、知らない人に囲まれた入院生活を送ったり、食道チューブをつけたりしなくていい。イオは、昨日と同じ今日を、大好きなこの家で、私たち家族に囲まれて過ごすのだ。
夕方、一本の電話がかかってきた。手術予定の病院からだった。細胞診の結果が出た。昨日、原先生が予見した通り、イオは扁平上皮ガンであり、しかもかなり悪性度の高いもので、たとえ手術しても予後は期待できないという知らせだった。
あゝ…こうゆうことだったのだな。と私は思った。そしてその場で、手術はしない方向で考えていますとの旨を伝えた。先生はとても親身になって、予約を解除できる1日まで考えたり、他にご相談されてみてくださいとおっしゃってくださった。
昨日は雪。今夜は満月。
自然がイオにくれた、美しい命を讃える贈り物だと思った。
今、私はこれをイオが眠るベッドに腰掛けて書いている。
#猫沢イオ #イオの扁平上皮ガン日記
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2021/1/29