猫沢エミのインスタグラム(necozawaemi) - 10月5日 17時38分


今日は自転車も捨てて、ゆっくりゆっくり歩いてみる。そうすると、今まで見えなかった些細な美しさがよく見えるようになるね。近所の公園のアーチ、こんなに綺麗だったのか…とか。

先日、ほしよりこさんの『逢沢りく』を読んで、ずっと感想文が書きたかったので、今、記してみようと思う。あの物語は、14歳の主人公りくのストーリーというよりも、りくをああゆう風に育ててしまった母・朝絵の物語だと思うのだ。おそらく出産前はキャリアウーマンだったセンスのいい朝絵。そのセンスの良さの描き方に、ほしさんのさらなるセンスが見て取れる。無農薬野菜を通販し、本当の意味でセンスのいい、いわゆる今のちまたに溢れている『ハイセンスな雑貨女子』が母親になったような朝絵。夫はアパレル勤務の誰もが羨むイケメン。一見幸せの塊に見えるふたりだが、夫は会社バイトでさほどセンスが良くもなく、普通の女の面倒くささを持った内野と浮気している。それを勘付きながら、朝絵は決して声をあらげて感情をむきだしにしたりはしない。彼女は自分の理想世界から決して出てゆくことはない。その美しい世界をさりげなく近しい人々に押し付けて、人柱のように周りを取り囲ませ、自分を守っているのだ。動物は汚いから、世界はバイキンだらけだからと朝絵の作り上げた無菌世界で育ったりくは、いつの間にか人間的な感情を素直に出せない代わりに、いつでも人の気を引く武器としての涙を流すことが出来るようになってしまう。。。 これはなにも朝絵のような立場になった女性や、りくのような14歳の多感な少女期に限った話ではない。人は理想を追い求めて一見ムダに見える雑多なものを排除してゆくと、誰しも身動きの取れないジレンマに陥る、という示唆なのではないかと思うのだ。かく言う私も、いわゆる『ハイセンスな雑貨女子』に気がつけば、片足つっこんでいると思うし、決してそれが悪いわけではないのだが、得てして今の空虚な東京という街では、クリーンな理想世界があまりにも作りやすい環境にあるのだということを、今一度自覚しなくてはいけないように思う。お洒落なものは大好きだ。朝絵のように、カタチだけでなく中身も充実させるために勉強を怠らず、自分を日々ブラッシュアップすべく最大限の努力をすることは素晴らしい。ただ、人間は一皮むけばただの動物で、割り切れない風に出来ている。たとえば親戚のおばさんからもらった趣味に合わないお土産をダサいから捨てるのではなく、心を受け取る意味で飾ってみるとか、うまくもないそのへんのラーメンを時々食べて、愚痴をこぼして泣いてみるのも必要なのだ。物語のなかで、りくの哀しみを打破するきっかけとなるのが、大阪の親類宅での(朝絵が思うところの)『ダサい』日々だ。ノリツッコミで出来た、人間的な温かい日常。どちらがいいということではなく、人間どこかに偏りすぎたり、ましてやその世界にとらわれ過ぎて逃げられなくなってしまうことが恐ろしいと、『逢沢りく』は教えてくれる。しかもその世界は、他からやってくるのではなく、自らが作り出してしまうものだということも。

なんだか、今日の自分には重なる部分が多すぎて、書いていて胸が痛いけど、ガツンと向き合って良かったなと思いました。(3年2組・猫沢エミ)

#猫沢図書館


[BIHAKUEN]UVシールド(UVShield)

>> 飲む日焼け止め!「UVシールド」を購入する

196

2

2015/10/5

猫沢エミを見た方におすすめの有名人