職人.comのインスタグラム(shokunincom) - 10月5日 16時09分


【伊賀焼】

「忍者の里」として知られる三重県伊賀市。その地理的要因から、非常に高い耐火度と蓄熱性を持つ、素晴らしい特性の土が採れる地でもあります。

伊賀焼は、三重県伊賀市周辺で作られる焼き物です。使用される粘土は、400万年前の古琵琶湖層から産出されたもの。琵琶湖と聞くと滋賀県が思い浮かぶと思いますが、実は約400万年前、琵琶湖は現在よりも小さく、場所は伊賀の位置にありました。その後、琵琶湖は現在の場所に移り、もともと琵琶湖であった所が隆起して伊賀になったといわれています。古琵琶湖が隆起した地層には、堆積した植物や微生物の化石が含まれています。この土を高温で焼くと、化石が燃え尽き、細かな穴が無数に空いた多孔質な焼き物になります。

この状態の土は熱をすぐに通さず一度蓄熱する性質を持ち、じっくりと食材に熱が伝わるため、調理に適しているのです。日本で採れる陶土の中で土鍋になるほどの耐火度、蓄熱性を持つのは伊賀の粗土のみといわれているほど。耐火度の高い粘土が採取できる古琵琶湖層、そして薪に最適な赤松の森林という2つの大きな資源を持っていたことから、伊賀では古くから陶磁器の製作が行われてきました。

茶の湯が盛んとなった17世紀初めの桃山時代には、武将茶人の古田織部などの指導で茶陶の水指や花入が焼かれました。それまで伊賀焼は、信楽焼と同じような擂鉢や甕(かめ)、壺などが焼かれていましたが、この時代になると信楽焼と明らかに区別される作品が焼かれました。2つの産地の違いとして、「伊賀に耳あり、信楽に耳なし」という言葉がありますが、この時代の信楽焼は作為性や装飾性が少なく単純な造形だったのに対して、伊賀焼には左右に一対の耳と呼ばれる装飾、器壁にはヘラ工具を使用した波状の文様や格子状の押し型文様、ゆがみ、緑色のビードロ、灰かぶりや焦げといった意匠が見られます。この時代の伊賀焼は一般に「古伊賀」といわれ、以前、作家の川端康成はノーベル賞受賞の記念講演『美しい日本の私』の中で、わび・さびといった日本文化を代表する焼き物として古伊賀を取り上げ絶賛しました。

茶陶として名を馳せた伊賀焼でしたが、桃山時代が終焉を迎えると一時衰退します。その後、18世紀中ごろの江戸時代に藤堂藩の支援もあって、「再興伊賀」の時代を迎えます。京都や瀬戸の陶工から釉薬の技術がもたらされ、それまでの茶陶ではなく土鍋や行平、土瓶などの日常の器を中心に再び焼かれるようになり、現在の伊賀焼の基礎ができました。耐火度・蓄熱性の高い伊賀の土の特性を生かした耐熱食器製作の技術は、今日まで受け継がれています。

当店では、主に「長谷園」と「松山陶工場」の伊賀焼を取り扱っております。長谷園の「燻製土鍋 いぶしぎん」や松山陶工場の「あたため鍋」など、数々の伊賀焼ならではの人気商品がありますが、なかでもおすすめしたいのは松山陶工場の「土灰斑点土鍋」。こちらは、当店から特別に製作をお願いした土灰釉の土鍋です。この土鍋でお鍋をすれば、土灰釉の優しい色味と質感、ざっくりとした土味を楽しみながら、食材の芯までじっくりと火を通し、うまみを引き出すことができます。これから向かう肌寒い季節に向けて、伊賀焼を食卓に迎えてみてはいかがでしょうか?

長谷園 燻製土鍋 いぶしぎん
https://www.shokunin.com/jp/nagatanien/ibushigin.html
松山陶工場 土灰斑点土鍋
https://www.shokunin.com/jp/matsuyama/donabe.html

参考資料
http://www.igayaki.or.jp/
https://igamono.co.jp/
https://nagatanien.life/know/history
https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/igayaki/

@職人.com

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2023/10/5

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