樫原伸彦のインスタグラム(nobustagrammy) - 3月5日 03時35分
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作編曲家・プロデューサー・ベーシストの有賀啓雄とは高校2年の頃に出会いました。
YAMAHAのコンテストの予選にお互いのバンドで出場していて彼の方から「一緒にやらないか?」と声をかけられ、自分がやっていた「EXPRESS」というフュージョンバンドに加入してもらいました。
1つ年下の有賀は16才にして既にセミプロとしてライブハウスで活躍していて、六本木のホットコロッケに出演するラインを持っていました。
彼が書いてきた不思議なコード進行のサンバ調の曲を夜な夜な演奏した光景を覚えています。
次の年、YAMAHAのEAST WEST'81というコンテストに出場し、ジュニア部門でグランプリを獲得。
合歓の郷の全国大会でチェッカーズに負けて2位でした。
アルファレコードの宮住さんというプロデューサーから声をかけてもらって「カシオペアの弟分」としてデビューを目指すも、二人して挫折。
その後、袂を分かち別の道を作編曲家・プロデューサーという同業者として歩み始めました。
有賀は山下達郎さんに見初められSSWとしてデビュー。アルバムのレコーディングにピアノで呼んでくれました。
自分は尾崎豊の編曲やプロデュースをやることになったので、ベースに有賀を呼んで5曲ほどプレイしてもらいました。
他にも様々なレコーディングでベースを入れてもらいました。
日本一のベーシストだと思っていたので常にファーストコールではありましたが、なかなか来てもらえなくなり…
10年以上ブランクがあって再会したのは葉加瀬太郎さんのフェス・情熱大陸で有賀がハウスバンドのバンマスをやっていた回に→Pia-no-jaC←を率いて参戦したときでした。
新人バンドの→Pia-no-jaC←にも優しく接してくれて、藤井フミヤさんや渡辺美里さんなど有賀がレギュラーで仕事していたアーティスト達を繋いでくれました。
その打ち上げで意を決して
有賀に言いました。
「死ぬ前にさ、もういっかいセッションしようよ」
ニヤニヤと乾杯で、はぐらかされましたが、まんざらでもなかったと思っています。
それが有賀との最後でした。
青春時代にコンテストを共に戦い、激動の音楽シーンを並行して走り、多くの作品でベースを弾いてくれた人生最高の音楽仲間に先に旅立たれ、
感謝と悲しさと悔しさで一杯です。
いつか必ず
「セッションしようよ」に
「いいよ」と言わせたいと思います。
R.I.P.🙏
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2023/3/5