知念ありかさんのインスタグラム写真 - (知念ありかInstagram)「✴︎ 注文してたイカしたTシャツが届いた。 ⁡ このTシャツを見てたら 昔の話しを書きたくなりました。 ちょっと長いよ。 ⁡ ………  ⁡ 2歳からやってたピアノ。 ⁡ 小学2年生で選抜クラスみたいのに移って、 中部各地から集まった6人で 週に2回、4年間 グループレッスンと個人レッスンを受けてた。 ⁡ 6人の中にひとりだけ男の子がいて。 ⁡ 彼はとっても無口で穏やかだけど、 ピアノに対する情熱はすごくて いつも黙々と人一倍練習してた。 ⁡ 個人レッスンの時間が彼と同じ時間帯で、 着いたときにはいつも彼がもう 先に着いて階段をのぼってる姿があった。 ⁡ いつもこんなにはやく着いて 熱心だなーって思ってた。 ⁡ 小学生だったし最初は気づかなかった。 ⁡ もともと穏やかだった彼の動きは どんどんゆっくりになって、 ⁡ 階段をのぼるスピードも どんどん遅くなって、 ⁡ なんだか動きづらそうだなって思ってたとき ⁡ 彼のお母さんから 彼は病気なんだって打ち明けられた。 ⁡ 筋ジストロフィーって言葉は そのとき初めて聞いた。 ⁡ 大きい音をたててバタンって閉まる アルミの銀の扉から入ったらすぐにある 2階にあがる急で長い階段。 ⁡ いつもは2分くらいで登ってたけど 時がたつにつれてどんどん時間はのびて、 ついには15分かけて登るようになってた。 ⁡ いつも先に彼がいたのは レッスンに間に合うように 階段をのぼるためだった。 ⁡ 病気のことは知らないふりして 荷物待とうか?とか 手かそうか。って声をかけるけど、 いつも、大丈夫。先に行って。って。 ⁡ 彼を追い越すことが なんとなくできなくて ⁡ 彼が登ってるって足音でわかったときは 扉を開けずに登り切るのを待ってた。 ⁡ 中学生になって、選抜クラスはおわったけど 引き続き同じ先生についてピアノを習った。 彼も同じだった。 ⁡ 中学2年生になって半年くらいで あかはピアノの教室を変えた。 しばらくして彼も別の先生のところに うつったことを聞いた。 ⁡ 理由は、あの急で長い階段を 登れなくなったから。 ⁡ 何年かたって大学で再会した彼は 電動車椅子になってた。 ピアノはずっと続けてた。 ⁡ 介助をするために大学に来てた 彼のお母さんともよく立ち話ししてた。 あんた小さいときはほぼ男の子だったのに ちゃんと女の子なってるさ!って言われたり いつも懐かしい話しなんかして。 ⁡ 彼がホールでやったピアノの コンサートにも行ったりして。 ⁡ 電動車椅子に乗って、タキシード着て、 優しい音を出す彼の演奏に聴き入った。 ⁡ そんな彼は、24歳で旅立ちました。 ⁡ あの急で長い階段を ひと足ずつ踏みしめながら、 ときに顔をゆがめながら ⁡ 一歩一歩、ゆっくり時間をかけて のぼってゆく彼の姿は あかの中にずっと残ってる。 ⁡ きっとこれからもずっと忘れない。 ⁡ あの気迫を見てたら 声はかけられるけど手は出せなかった。 ⁡ 登りたかったんだろうな。 自分の足で。自分の力で。 ⁡ 大丈夫。きょうも登れた。って。 かばんを持って、自分の足で、いつも通り。 ⁡ 闘ってた。 ⁡ 本当のことは彼にしかわからないけど、 あかにはそう見えてた。 ⁡ ゆっくり響く彼の足音を 扉の向こうで聞きながら、 がんばれ。がんばれ。って思ってた。 胸がきゅーってなってた。 ⁡ ピアノに対しても学びに対しても、 ⁡ 自分のやりたいことをやるために まいにち、自分にある力を全部使って 果敢に向かっていく彼の姿は、 本当に本当にかっこよかった。 ⁡ 彼はなにも諦めてなかった。 ⁡ とっても無口で とっても勇敢なひと。 ⁡ ピアノ、もっと聞きたかった。  ⁡ 筋ジストロフィーの治療薬が 2020年の5月にできたそうです。 ⁡ ⁡ このTシャツを作っているのは、 自分の歌の活動やCDとグッズの売上利益を ALSの治療法確立を支援している団体に 全額寄付しているシンガーで、 クリエイティブプロデューサーでもある はなちゃん。 @hana_singer_0228  ⁡ 友だちのお店じるやで @jill_ymmt と @sunnyyamamoto の つながりで出会いました。 ⁡ ALSと生きるすべての人に、 ALSと生きる人を愛するすべての人に、 1分1秒でもはやく 希望の光が降り注ぎますように。 ⁡ はなちゃんの活動、 微力ながら、心から応援してるよ。 ⁡ #ENDALS @end.als」9月21日 20時14分 - arika_chinen

知念ありかのインスタグラム(arika_chinen) - 9月21日 20時14分


✴︎
注文してたイカしたTシャツが届いた。

このTシャツを見てたら
昔の話しを書きたくなりました。
ちょっと長いよ。

………

2歳からやってたピアノ。

小学2年生で選抜クラスみたいのに移って、
中部各地から集まった6人で
週に2回、4年間
グループレッスンと個人レッスンを受けてた。

6人の中にひとりだけ男の子がいて。

彼はとっても無口で穏やかだけど、
ピアノに対する情熱はすごくて
いつも黙々と人一倍練習してた。

個人レッスンの時間が彼と同じ時間帯で、
着いたときにはいつも彼がもう
先に着いて階段をのぼってる姿があった。

いつもこんなにはやく着いて
熱心だなーって思ってた。

小学生だったし最初は気づかなかった。

もともと穏やかだった彼の動きは
どんどんゆっくりになって、

階段をのぼるスピードも
どんどん遅くなって、

なんだか動きづらそうだなって思ってたとき

彼のお母さんから
彼は病気なんだって打ち明けられた。

筋ジストロフィーって言葉は
そのとき初めて聞いた。

大きい音をたててバタンって閉まる
アルミの銀の扉から入ったらすぐにある
2階にあがる急で長い階段。

いつもは2分くらいで登ってたけど
時がたつにつれてどんどん時間はのびて、
ついには15分かけて登るようになってた。

いつも先に彼がいたのは
レッスンに間に合うように
階段をのぼるためだった。

病気のことは知らないふりして
荷物待とうか?とか
手かそうか。って声をかけるけど、
いつも、大丈夫。先に行って。って。

彼を追い越すことが
なんとなくできなくて

彼が登ってるって足音でわかったときは
扉を開けずに登り切るのを待ってた。

中学生になって、選抜クラスはおわったけど
引き続き同じ先生についてピアノを習った。
彼も同じだった。

中学2年生になって半年くらいで
あかはピアノの教室を変えた。
しばらくして彼も別の先生のところに
うつったことを聞いた。

理由は、あの急で長い階段を
登れなくなったから。

何年かたって大学で再会した彼は
電動車椅子になってた。
ピアノはずっと続けてた。

介助をするために大学に来てた
彼のお母さんともよく立ち話ししてた。
あんた小さいときはほぼ男の子だったのに
ちゃんと女の子なってるさ!って言われたり
いつも懐かしい話しなんかして。

彼がホールでやったピアノの
コンサートにも行ったりして。

電動車椅子に乗って、タキシード着て、
優しい音を出す彼の演奏に聴き入った。

そんな彼は、24歳で旅立ちました。

あの急で長い階段を
ひと足ずつ踏みしめながら、
ときに顔をゆがめながら

一歩一歩、ゆっくり時間をかけて
のぼってゆく彼の姿は
あかの中にずっと残ってる。

きっとこれからもずっと忘れない。

あの気迫を見てたら
声はかけられるけど手は出せなかった。

登りたかったんだろうな。
自分の足で。自分の力で。

大丈夫。きょうも登れた。って。
かばんを持って、自分の足で、いつも通り。

闘ってた。

本当のことは彼にしかわからないけど、
あかにはそう見えてた。

ゆっくり響く彼の足音を
扉の向こうで聞きながら、
がんばれ。がんばれ。って思ってた。
胸がきゅーってなってた。

ピアノに対しても学びに対しても、

自分のやりたいことをやるために
まいにち、自分にある力を全部使って
果敢に向かっていく彼の姿は、
本当に本当にかっこよかった。

彼はなにも諦めてなかった。

とっても無口で
とっても勇敢なひと。

ピアノ、もっと聞きたかった。


筋ジストロフィーの治療薬が
2020年の5月にできたそうです。


このTシャツを作っているのは、
自分の歌の活動やCDとグッズの売上利益を
ALSの治療法確立を支援している団体に
全額寄付しているシンガーで、
クリエイティブプロデューサーでもある
はなちゃん。 @hana_singer_0228

友だちのお店じるやで
@jill_ymmt@sunnyyamamoto
つながりで出会いました。

ALSと生きるすべての人に、
ALSと生きる人を愛するすべての人に、
1分1秒でもはやく
希望の光が降り注ぎますように。

はなちゃんの活動、
微力ながら、心から応援してるよ。

#ENDALS @end.als


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2021/9/21

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