Tammyさんのインスタグラム写真 - (TammyInstagram)「昨日、急用があって、デビュー当時お世話になったワーナー時代のレーベルのボスと話した。  2000年にデビューをして、ワーナーインディーズネットワークから2作のマキシシングルをリリースした。 その直後に生活も含め、子供も小さかったし、まだ離婚して間もなくて、色々なプレッシャーに追われて、焦って、唄う為の声が出なくなってしまった。  そしてメジャーデビューが決まったと聞いていたのに自分から辞めた。  色々な迷惑をかけてしまった事で、逃げたのかもしれない。  「いつでも連絡するんだよ」と、プロデューサーの方は言ってくれたけど、申し訳なくて、出来なかった。  それ以来、そのボスにも、当時お世話になったプロデューサーにも、連絡していなかった。  ボスとの電話はホンマに久しぶりで、ご無沙汰していたのに、 電話の第一声からもの凄い感じが良くて、ハリのある明るい声で、  「おぉ〜っ!東京でまたふらっと彷徨ってないか〜?笑」  と、  言われて  「ずっと大阪ですよ〜」  と笑いながら、その一言で思い出した。  初めて東京行った時、ノンアポで、レコード会社にデモ持ち込んで、殆どのとこは預かりだけやったけど、ここだけ 「聴いてもらうまで帰りません、」と受け付けの人に言って、入り口でしばらく待ってたら、困り果てて、プロデューサーに通してくれた。  ウチの格好は知らない東京で、地図を持ってフラフラと歩きまくって、白いシャツが排気ガスで真っ黒に汚れてた。めっちゃ汚かった。笑  そのプロデューサーはめんどくさそうに、意地悪そうに、 「何?観光かなんかで来たの?」 と言って、とっとと帰らせたがってたが、 「聴いて下さい」 と、究極の人見知りだった私は一言だけゆーて、5曲入ったデモMDを渡した。  そして、一曲目で 「これ全部誰が作ったの?」 と言われ、 「私です。」 と言った。 で、二曲目は5分過ぎるバラードを飛ばさずに最後までその場で聴いてくれた。  そして三曲目に入った時、  「他は回ったの?」と言われ、  「はい、受付で受け取ってくれたのが2件ありますが、こんな風には聴いてはもらってません。」  と言うと、  「もう他は周らないでいいよ。 ゆっくり観光して帰りなさい。 来週までに必ずこちらから連絡するからね。」  と、ちゃんと私の目を見て名刺をくれた。  帰りの新幹線では色々な想いが溢れて、泣いた。  それからデビューが決まった。  その時のエピソード話をプロデューサーがボスにしていたから、その事(のちに、東京フラフラと名付けるw)を知っていたのだなぁと、  懐かしさがこみ上げてきた。  ひょんな事から急遽連絡を取らないといけなくなった事に、  「これも何かのご縁だな!お互いがんばろうぜ!」  と、言ってもらえて、何だか勇気をもらった。  子供がその後1人増えて3人になって、3人とも巣立ちました、と言うと、「おお!20年って凄いな」と笑いあってました。  今では長野に居て、引退してからずっとやりたかった事を続けてらっしゃるそうで、  長野に来たら、必ず連絡しろよと言ってくれた。  今の私の唄を、ものすごく聴いて欲しくなった。  そして、そん時の気持ちを忘れずにまだまだがんばるんや。と  思った。  色々な事があるなぁ、  まるでタイムマシンに乗ったみたいに。  今回のアルバムには、このデビュー当時リリースした曲のセルフカバー曲が入ります。  今の私で唄った、この頃の曲。  皆さんに届けれる日が決まったので、  近々発表しますね😊  長くなった、、笑  すいません。  皆さん、どうぞ良い一日を♡  ※写真は20年前の白髪の私。笑  #Tammy #Tammyyanen #photo #シンガーソングライター #唄 #ギター #singer #songwriter #guitar #artist  #solo #music #song #恩学 #音楽 #想い #live #love #life #20年 #20周年 #久しぶり #ご縁 #大切 #勇気もらった #思い出した #ありがとうございます #懐かしい #今の自分で #がんばろう」10月14日 11時27分 - tammyyanen

Tammyのインスタグラム(tammyyanen) - 10月14日 11時27分


昨日、急用があって、デビュー当時お世話になったワーナー時代のレーベルのボスと話した。

2000年にデビューをして、ワーナーインディーズネットワークから2作のマキシシングルをリリースした。
その直後に生活も含め、子供も小さかったし、まだ離婚して間もなくて、色々なプレッシャーに追われて、焦って、唄う為の声が出なくなってしまった。

そしてメジャーデビューが決まったと聞いていたのに自分から辞めた。

色々な迷惑をかけてしまった事で、逃げたのかもしれない。

「いつでも連絡するんだよ」と、プロデューサーの方は言ってくれたけど、申し訳なくて、出来なかった。

それ以来、そのボスにも、当時お世話になったプロデューサーにも、連絡していなかった。

ボスとの電話はホンマに久しぶりで、ご無沙汰していたのに、
電話の第一声からもの凄い感じが良くて、ハリのある明るい声で、

「おぉ〜っ!東京でまたふらっと彷徨ってないか〜?笑」

と、

言われて

「ずっと大阪ですよ〜」

と笑いながら、その一言で思い出した。

初めて東京行った時、ノンアポで、レコード会社にデモ持ち込んで、殆どのとこは預かりだけやったけど、ここだけ
「聴いてもらうまで帰りません、」と受け付けの人に言って、入り口でしばらく待ってたら、困り果てて、プロデューサーに通してくれた。

ウチの格好は知らない東京で、地図を持ってフラフラと歩きまくって、白いシャツが排気ガスで真っ黒に汚れてた。めっちゃ汚かった。笑

そのプロデューサーはめんどくさそうに、意地悪そうに、
「何?観光かなんかで来たの?」
と言って、とっとと帰らせたがってたが、
「聴いて下さい」
と、究極の人見知りだった私は一言だけゆーて、5曲入ったデモMDを渡した。

そして、一曲目で
「これ全部誰が作ったの?」
と言われ、
「私です。」
と言った。
で、二曲目は5分過ぎるバラードを飛ばさずに最後までその場で聴いてくれた。

そして三曲目に入った時、

「他は回ったの?」と言われ、

「はい、受付で受け取ってくれたのが2件ありますが、こんな風には聴いてはもらってません。」

と言うと、

「もう他は周らないでいいよ。
ゆっくり観光して帰りなさい。
来週までに必ずこちらから連絡するからね。」

と、ちゃんと私の目を見て名刺をくれた。

帰りの新幹線では色々な想いが溢れて、泣いた。

それからデビューが決まった。

その時のエピソード話をプロデューサーがボスにしていたから、その事(のちに、東京フラフラと名付けるw)を知っていたのだなぁと、

懐かしさがこみ上げてきた。

ひょんな事から急遽連絡を取らないといけなくなった事に、

「これも何かのご縁だな!お互いがんばろうぜ!」

と、言ってもらえて、何だか勇気をもらった。

子供がその後1人増えて3人になって、3人とも巣立ちました、と言うと、「おお!20年って凄いな」と笑いあってました。

今では長野に居て、引退してからずっとやりたかった事を続けてらっしゃるそうで、

長野に来たら、必ず連絡しろよと言ってくれた。

今の私の唄を、ものすごく聴いて欲しくなった。

そして、そん時の気持ちを忘れずにまだまだがんばるんや。と

思った。

色々な事があるなぁ、

まるでタイムマシンに乗ったみたいに。

今回のアルバムには、このデビュー当時リリースした曲のセルフカバー曲が入ります。

今の私で唄った、この頃の曲。

皆さんに届けれる日が決まったので、

近々発表しますね😊

長くなった、、笑

すいません。

皆さん、どうぞ良い一日を♡

※写真は20年前の白髪の私。笑

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2020/10/14

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