畑中葉子のインスタグラム(hatanaka_yoko) - 4月26日 16時04分
掃除をしていたら、父の写真が掲載された本が出てきた。
父は伊豆七島初の一級建築士で、八丈島で建築業を営んでおりましたが、1973年、私が中学2年生になるときに東京に支店を出すために家族で中目黒に越してきました。
そして、この写真から4年後の1975年4月、45歳のときに脳溢血で他界します。
父は歌が好きでとても艶のある声で、八丈島の五右衛門風呂では大きな声で歌を歌っており、大学生のときには歌を習っていたと言っておりました。
私の声は父譲りですね。
私が歌手になりたいと言ったときも、反対する母に「女の子は結婚したら好きなことができなくなるから、親元にいるうちは好きなことをやらせてあげようじゃないか。どうせ、歌手になんかなれないのだから」と母を説得してくれたそうです。
しかし、父は私のデビュー前に他界したので、私が歌手になったことを知りません。
写真:1971年6月1日発行『人物評論』
八丈島の事務所にて
父の名は、畑中英明と書いてハタナカエイメイと読みます
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2020/4/26