ずっと探してる人がいる。 宮沢賢治との出会いは 13歳の時、ニューヨークで友だちになった テンさんという人。 彼は当時たしか20代半ばで、 神戸で育った中国人でニューヨークの大学に勉強に来ていた。 なぜか友情を感じ、 母と会いにいける機会にはいろんな話をし よく手紙も書いた。 (メールはまだ頻繁には使ってなかった) 95年の一月、 阪神淡路大震災が起こり テンさんは実家の家族を案じて 急に学校をやめて本帰国することになった。 慌ただしく引っ越しの準備をして、 といってもアパートメントにはもともと物は少なかったけれど、ほとんどの物を処分してスーツケースひとつで帰る用意をしていた。 最後の挨拶に行った時、 餞別をくれた。 銀色の重い置き時計と、 宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の文庫。 『きみにはまだよくわからないかもしれないけど、読んでみて。いつかわかるから』と言われた。 テンさんに会ったのはそれが最後で 震災直後の神戸の町に帰っていったテンさんの連絡先はわからなくなった。 銀河鉄道の夜は、 たしかに、当時はあまりピンとこなかった。 けれど、繰り返しめくり、 忘れ、まためくり、言葉をすくって、 20年以上たって体の中に染み込んできた。 そして数年前 haruka nakamuraが『星めぐりの歌』を歌うことを提案してくれたときに 宮沢賢治がまた重要な人として現れた。 たぶんこの曲は一生歌い続けるんだと思う。 とても痩せてて丸メガネで天然パーマで 寡黙で優しいテンさん。 覚えてるのは Tien Ming Huangという中国名だけで たまにFacebookやいろんなSNSで検索してみるけど、それらしい人はいない。 いつかまた話したい。 宮沢賢治の歌を歌い、 これから賢治がいた教会で歌い、 賢治が弾いたオルガンに触れるよ。 テンさんがくれた一冊から、 ここまできたんだよ、と話したい。

miu_sakamotoさん(@miu_sakamoto)が投稿した動画 -

坂本美雨のインスタグラム(miu_sakamoto) - 2月5日 20時58分


ずっと探してる人がいる。

宮沢賢治との出会いは
13歳の時、ニューヨークで友だちになった
テンさんという人。
彼は当時たしか20代半ばで、
神戸で育った中国人でニューヨークの大学に勉強に来ていた。
なぜか友情を感じ、
母と会いにいける機会にはいろんな話をし
よく手紙も書いた。
(メールはまだ頻繁には使ってなかった)

95年の一月、
阪神淡路大震災が起こり
テンさんは実家の家族を案じて
急に学校をやめて本帰国することになった。

慌ただしく引っ越しの準備をして、
といってもアパートメントにはもともと物は少なかったけれど、ほとんどの物を処分してスーツケースひとつで帰る用意をしていた。

最後の挨拶に行った時、
餞別をくれた。

銀色の重い置き時計と、
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の文庫。 『きみにはまだよくわからないかもしれないけど、読んでみて。いつかわかるから』と言われた。

テンさんに会ったのはそれが最後で
震災直後の神戸の町に帰っていったテンさんの連絡先はわからなくなった。

銀河鉄道の夜は、
たしかに、当時はあまりピンとこなかった。
けれど、繰り返しめくり、
忘れ、まためくり、言葉をすくって、
20年以上たって体の中に染み込んできた。

そして数年前
haruka nakamuraが『星めぐりの歌』を歌うことを提案してくれたときに
宮沢賢治がまた重要な人として現れた。
たぶんこの曲は一生歌い続けるんだと思う。

とても痩せてて丸メガネで天然パーマで
寡黙で優しいテンさん。

覚えてるのは
Tien Ming Huangという中国名だけで
たまにFacebookやいろんなSNSで検索してみるけど、それらしい人はいない。

いつかまた話したい。

宮沢賢治の歌を歌い、
これから賢治がいた教会で歌い、
賢治が弾いたオルガンに触れるよ。

テンさんがくれた一冊から、
ここまできたんだよ、と話したい。


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2019/2/5

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