現在、熊本市立現代美術館で、『バブルラップ』という展覧会をキュレーションしています。(3月3日まで)しかし、美術館から、内容がよくわからないから、わかりやすいのに変えて欲しい、とのリクエストがあったので、サブタイトルとして、展覧会内容がわかるように、要素を全部書きました。僕としては「スーパーフラット」シリーズに次ぐ新シリーズの立ち上げなので、渾身のキュレーション展ではありますが、九州の熊本(東京羽田から飛行機で90分、空港から美術館まで、車で45分、と、かなり遠いです)なので、観に行って頂くとなると、ワザワザな感じになるので、此処で、展覧会を写真で報告します。 また、展覧会のステイトメントも書きましたので、転載します。是非、観に来ていただきたいと思います。 ★写真は展覧会の最後の部屋、もの派の作品と、古道具坂田のお店のレプリカがインスタレーションされてる状況です。 ■□■□■□■□ 僕が現代美術界で活動できている要因の一つに「Superflat 」の提唱者であるから、という事実があります。 ある一定期間に発表された文化的な事象をまとめてネーミングすることで、日本の人以外に簡易に説明可能なようにと思って、本の制作、そして展覧会をキュレーションをしました。 その一定期間とは、僕自身がデビューした頃としました。僕がデヴューする前、それは日本がバブル経済に浮かれていて、世界一の金満国家として数年間君臨していた時期で、その大波に僕は乗り遅れて、もし くは全く同期できなくて、いじけるような形で表現者としてのスタートを切らざるを得なかったのです。僕の乗れなかったバブル経済期の表現とはなにか?と、当時美大生だった僕の感覚を思い出すと、おしゃれで、アメリカンで自信に満ちてて、そして不良的に世の中を斜めに考えていたような、そういう気分でした。ああ、ファッションではコムデギャルソン、ワイズとかが一世を風靡し始めてて、日本もなかなか大したもんだ的な、気分でした。世界一の経済のうねりが街中に満ちていたわけですから、その余波で西武美術館とか、たくさんの洋物文化を輸入してくれていて、それを全部食べきろうと努力していたのが、僕の美大生時代、1980年代中頃でした。 しかし、そのバブル経済はなんだか知らないうちにガタガタと崩れて行き、西武セゾンもなんとなく元気がなくなってゆき、ああ、一つの時代が終わっ たなぁ、と思わざるを得なかったのです。同時に、その頃、パソコン文化が台頭してきて、圧倒的な文化の変革期が訪れました。 だから、僕はそのバブル崩壊を句読点として、ちがった文化が出てくるんだぞ!と「Superflat 」を唱えたのです。 そしてうまいこと「Superflat 」は海外のアートシーンで波を作れて、勢い余って「Superflat」シリーズと銘打って、「ぬりえ(coloriage)」展をカルティエ現代美術財団で「Littleboy」をNYのジャパン・ソサエティで行って、主に、バブル最盛期ではアングラであった、オタク文化方面をガンガン掘り下げて行きました。 で、時は過ぎてゆき、オタク文化もどんどんメジャー化、そして世界的な共通言語となってゆき、僕がたどたどしく、そのへんを語らずとも、というムードにもなってゆきました。 その間にも日本はどんどん貧しくなってゆき、その貧しさの中で、やりくりしながら元気に表現している集団を見つけたのです。それが生活工芸、というジャンルみたいで、そのへんのムーブメントとはなんぞや?と、よくわからないので、作品をどんどん購入しました。大衆 に向けた「買うことが可能」な価格帯での真剣な芸術。ある意味、オタク文化にも似ていて、発信先はあくまでも大衆なのです。 10年ほど、買い続けてきた頃、そのへんの作家さんたちの語る言葉が気になり始めてきました。表現をしてゆくクリエーターも、時として言葉が必要になります。 その彼らが拠り所としているのが、「民藝」を提唱した柳宗悦でした。その柳の理論を援用する形で、一軒の骨董屋、というか、骨董という概念からもこぼれ落ちた古道具、という呼称で商いをする「古道具坂田」というお 店の持つ、理念というか、方向性も若い表現者にとって寄る辺となっていました。店主の坂田さんが見つけてきて、お店に並べるものに関する美意識を、いかに咀嚼しようか、と、生活工芸三羽烏の、安藤雅信、赤木明登、内田鋼一の 三人の男性らが、その作品に、もしくは様々な媒体に書くエッセイに、精力的に理解の方向づけを行っていました。 その三羽烏もちょっと古いな、と思える頃、現代陶芸作家の作品を扱う陶芸商「うつわ祥見」が鎌倉あたりにほっくり商売を はじめ て、それと同時に本も刊行。「うつわ日和。」というオーナー祥見知生さんの本が発売され、そこには柳の民藝の理念を借り受けた作家の作品があるん だけれど も、男性的な理念闘争とは全く無関係に、器を愛せ、という情念的な方向性を打ち出し、それがなんだか、時代の変わり目そのものに見えた時期が ありました。? @chiaki_kasahara_ つづく

takashipomさん(@takashipom)が投稿した動画 -

村上隆のインスタグラム(takashipom) - 1月30日 10時05分


現在、熊本市立現代美術館で、『バブルラップ』という展覧会をキュレーションしています。(3月3日まで)しかし、美術館から、内容がよくわからないから、わかりやすいのに変えて欲しい、とのリクエストがあったので、サブタイトルとして、展覧会内容がわかるように、要素を全部書きました。僕としては「スーパーフラット」シリーズに次ぐ新シリーズの立ち上げなので、渾身のキュレーション展ではありますが、九州の熊本(東京羽田から飛行機で90分、空港から美術館まで、車で45分、と、かなり遠いです)なので、観に行って頂くとなると、ワザワザな感じになるので、此処で、展覧会を写真で報告します。
また、展覧会のステイトメントも書きましたので、転載します。是非、観に来ていただきたいと思います。
★写真は展覧会の最後の部屋、もの派の作品と、古道具坂田のお店のレプリカがインスタレーションされてる状況です。
■□■□■□■□ 僕が現代美術界で活動できている要因の一つに「Superflat 」の提唱者であるから、という事実があります。
ある一定期間に発表された文化的な事象をまとめてネーミングすることで、日本の人以外に簡易に説明可能なようにと思って、本の制作、そして展覧会をキュレーションをしました。
その一定期間とは、僕自身がデビューした頃としました。僕がデヴューする前、それは日本がバブル経済に浮かれていて、世界一の金満国家として数年間君臨していた時期で、その大波に僕は乗り遅れて、もし くは全く同期できなくて、いじけるような形で表現者としてのスタートを切らざるを得なかったのです。僕の乗れなかったバブル経済期の表現とはなにか?と、当時美大生だった僕の感覚を思い出すと、おしゃれで、アメリカンで自信に満ちてて、そして不良的に世の中を斜めに考えていたような、そういう気分でした。ああ、ファッションではコムデギャルソン、ワイズとかが一世を風靡し始めてて、日本もなかなか大したもんだ的な、気分でした。世界一の経済のうねりが街中に満ちていたわけですから、その余波で西武美術館とか、たくさんの洋物文化を輸入してくれていて、それを全部食べきろうと努力していたのが、僕の美大生時代、1980年代中頃でした。
しかし、そのバブル経済はなんだか知らないうちにガタガタと崩れて行き、西武セゾンもなんとなく元気がなくなってゆき、ああ、一つの時代が終わっ たなぁ、と思わざるを得なかったのです。同時に、その頃、パソコン文化が台頭してきて、圧倒的な文化の変革期が訪れました。
だから、僕はそのバブル崩壊を句読点として、ちがった文化が出てくるんだぞ!と「Superflat 」を唱えたのです。
そしてうまいこと「Superflat 」は海外のアートシーンで波を作れて、勢い余って「Superflat」シリーズと銘打って、「ぬりえ(coloriage)」展をカルティエ現代美術財団で「Littleboy」をNYのジャパン・ソサエティで行って、主に、バブル最盛期ではアングラであった、オタク文化方面をガンガン掘り下げて行きました。
で、時は過ぎてゆき、オタク文化もどんどんメジャー化、そして世界的な共通言語となってゆき、僕がたどたどしく、そのへんを語らずとも、というムードにもなってゆきました。

その間にも日本はどんどん貧しくなってゆき、その貧しさの中で、やりくりしながら元気に表現している集団を見つけたのです。それが生活工芸、というジャンルみたいで、そのへんのムーブメントとはなんぞや?と、よくわからないので、作品をどんどん購入しました。大衆 に向けた「買うことが可能」な価格帯での真剣な芸術。ある意味、オタク文化にも似ていて、発信先はあくまでも大衆なのです。
10年ほど、買い続けてきた頃、そのへんの作家さんたちの語る言葉が気になり始めてきました。表現をしてゆくクリエーターも、時として言葉が必要になります。
その彼らが拠り所としているのが、「民藝」を提唱した柳宗悦でした。その柳の理論を援用する形で、一軒の骨董屋、というか、骨董という概念からもこぼれ落ちた古道具、という呼称で商いをする「古道具坂田」というお 店の持つ、理念というか、方向性も若い表現者にとって寄る辺となっていました。店主の坂田さんが見つけてきて、お店に並べるものに関する美意識を、いかに咀嚼しようか、と、生活工芸三羽烏の、安藤雅信、赤木明登、内田鋼一の 三人の男性らが、その作品に、もしくは様々な媒体に書くエッセイに、精力的に理解の方向づけを行っていました。
その三羽烏もちょっと古いな、と思える頃、現代陶芸作家の作品を扱う陶芸商「うつわ祥見」が鎌倉あたりにほっくり商売を はじめ て、それと同時に本も刊行。「うつわ日和。」というオーナー祥見知生さんの本が発売され、そこには柳の民藝の理念を借り受けた作家の作品があるん だけれど も、男性的な理念闘争とは全く無関係に、器を愛せ、という情念的な方向性を打ち出し、それがなんだか、時代の変わり目そのものに見えた時期が ありました。? @chiaki_kasahara_
つづく


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2019/1/30

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