つづき、です。 (先日、美術評論家の、椹木野衣さんが、展覧会に合わせたレクチャーをしていただきました。その時のスナップ) で、僕はうつわ祥見あたりと、三羽烏と、そして当時、ブログ文化が台頭してきた時期で、そこに「うつわノート」という後に同名の、お 店をつく る松本武明さんのブログがあって、当時サラリーマンであったであろう彼が休みごとにいろんなお店を回って、作品を購入したり展覧会をレヴュー したりし て、その文脈にも僕個人は感化されていきました。 ポストバブルはとてもわかりやすく、貧しい文化であり、それは柳の民藝的な無名性を発端にして、しかし、ユーザーベース、しかも女性ユーザーに重点 を置く文 化になってゆき、それを批評するブログが出来て、僕の脳内においては、立派な日本の新文化の構造が成立しはじめていました。ですが、そもそも、起点として、柳の民藝があることが、どうにも居心地が悪いことに僕が気がついてしまい、、、、というか、他の生活工芸の人々 は、今も民藝を起点にして崇めているのですが、僕は、なんか違う!と思い始めたのです。 これって、バブル期のあの頃の文化、アメリカに追いつけ追い越せとなって、日本人のアイデンティティは発想の起点にはあんまりなっていな かったことへの違和感、、、と、柳の民藝って似てる気がしてきたのです。柳の民藝は、決して彼のオリジナルな目線だけではなく、あの当時、ピカソとかもハマっていた第三世界の再発見という、植民地主義的な上から目線の受け売りだったわけで、まぁ、柳自身も当時のブルジョア階級であった訳で、それを敗戦後の貧しく不勉強な輩が日本独自だとかありがたがりすぎてきた訳で、発祥地点における独自性は色あせ、上から目線を隠す巧妙な文章にも気がつけず、といったテイタラクを補完しているのが、坂田和實さんの古道具坂田であるという、なんとも奇妙な文化の継承劇であったりするのです。 坂田にしても、民藝は常に相対化される大事な経典であることに間違いはないにせよ、現代の情報が満載の時代においては、後生大事にされるには綻びが多すぎるわけで、そのへんの綻びを補完し、その理念を文章で残すのではなく、商いするお店の形で伝播していって、若手のクリエーターがフォローしてきた、というムーブメントが面白い。 そして、近年の坂田さんの最高にして究極のセレクションは、渋谷松濤美術館で展示した、坂田さんの展覧会に出展していた、2000年代初頭の中国深圳からセレクトした作業員のぼろぼろになったランニングシャツ、そこに見る、清貧の美の極致をして、見事、柳からの脱皮を図れた、、、否、それも また、植民地主義的な目線ではないのか?という問いもあるであろうが、そうではない。坂田さんの出自の敗戦後の左翼的な思想をベースにしつつも、ヒッピー的な自由なライフスタイルと共に、貧を美とするという揺るがぬ理念の投げかけにおいて、経済的に世界から取り残されはじめた日本における、オリジナルな美の理念の誕生とも言える。 バブル経済の前夜、日本の美術シーンには「もの派」という、まぁ、イタリアのアルテポーヴェラ=貧しい芸術、やら、アメリカのミニマリズ ム等と呼応するムーブメントがあって、同時多発的に発祥した芸術運動ですが、三羽烏の安藤さんなんかは、このもの派に当てられて、表現者になったと言っているぐらいで。で、そのもの派は、韓国から戦後の日本に入国してきた李禹煥が明文化した理念で持って起動していたわけで、にもかかわらず、日本 独自の文化としてアートシーンでは認識されており、しかし、戦後のどさくさや、日本と韓国、朝鮮との関係性を考えると、大変コスモポリタンなムーブメントであったのです が、これは、バブル経済の大波に一瞬さらわれてしまって、見えなくなって、しばらくなりを潜めてましたが、数年前アメリカで再発見され て、今は大きなジャンルになってるわけですが、その「もの派」があって「Superflat」があって、となって、間の抜け落ちをどうしたものかと。 「もの派」 「バブル経済と西武セゾングループ」 「Superflat」 「生活工芸」 「坂田の清貧の美」 となるわけです。 もの派の頃、貧しい芸術のアルテポーヴェラから端を発して、バブって、はじけて、貧しくなって、ぐるっとひと回りして、清貧に行き着いた、と。 それをくるむには、まさに陶芸を購入する際に使う、バブルラップのような、なんとも実体のない、いい加減な、しかし、機能的な梱包材をして包んで見れば、敗戦後のアレヤコレヤがまとまるのではないかと。特にバブル経済最盛期の表現が命名できなかった理由に、日本人の西欧コンプレックスの究極の裏返しの、日本人表現者特有の、我は日本人にしてあらず、コスモポリタンであるというネジ曲がったプライドが邪魔していたのではないかと推察するが、そのへんもやんわりと包んでしまえないかと。 それを「Bubblewrap」と、英字でネーミングしたいと思います。 で、この「Bubblewrap」は、そういう目論見の日本の美を検証するための展覧会なのであります。 村上隆(本展キュレーター)📷 @chiaki_kasahara_

takashipomさん(@takashipom)が投稿した動画 -

村上隆のインスタグラム(takashipom) - 1月30日 10時47分


つづき、です。
(先日、美術評論家の、椹木野衣さんが、展覧会に合わせたレクチャーをしていただきました。その時のスナップ)

で、僕はうつわ祥見あたりと、三羽烏と、そして当時、ブログ文化が台頭してきた時期で、そこに「うつわノート」という後に同名の、お 店をつく る松本武明さんのブログがあって、当時サラリーマンであったであろう彼が休みごとにいろんなお店を回って、作品を購入したり展覧会をレヴュー したりし て、その文脈にも僕個人は感化されていきました。
ポストバブルはとてもわかりやすく、貧しい文化であり、それは柳の民藝的な無名性を発端にして、しかし、ユーザーベース、しかも女性ユーザーに重点 を置く文 化になってゆき、それを批評するブログが出来て、僕の脳内においては、立派な日本の新文化の構造が成立しはじめていました。ですが、そもそも、起点として、柳の民藝があることが、どうにも居心地が悪いことに僕が気がついてしまい、、、、というか、他の生活工芸の人々 は、今も民藝を起点にして崇めているのですが、僕は、なんか違う!と思い始めたのです。

これって、バブル期のあの頃の文化、アメリカに追いつけ追い越せとなって、日本人のアイデンティティは発想の起点にはあんまりなっていな かったことへの違和感、、、と、柳の民藝って似てる気がしてきたのです。柳の民藝は、決して彼のオリジナルな目線だけではなく、あの当時、ピカソとかもハマっていた第三世界の再発見という、植民地主義的な上から目線の受け売りだったわけで、まぁ、柳自身も当時のブルジョア階級であった訳で、それを敗戦後の貧しく不勉強な輩が日本独自だとかありがたがりすぎてきた訳で、発祥地点における独自性は色あせ、上から目線を隠す巧妙な文章にも気がつけず、といったテイタラクを補完しているのが、坂田和實さんの古道具坂田であるという、なんとも奇妙な文化の継承劇であったりするのです。
坂田にしても、民藝は常に相対化される大事な経典であることに間違いはないにせよ、現代の情報が満載の時代においては、後生大事にされるには綻びが多すぎるわけで、そのへんの綻びを補完し、その理念を文章で残すのではなく、商いするお店の形で伝播していって、若手のクリエーターがフォローしてきた、というムーブメントが面白い。
そして、近年の坂田さんの最高にして究極のセレクションは、渋谷松濤美術館で展示した、坂田さんの展覧会に出展していた、2000年代初頭の中国深圳からセレクトした作業員のぼろぼろになったランニングシャツ、そこに見る、清貧の美の極致をして、見事、柳からの脱皮を図れた、、、否、それも また、植民地主義的な目線ではないのか?という問いもあるであろうが、そうではない。坂田さんの出自の敗戦後の左翼的な思想をベースにしつつも、ヒッピー的な自由なライフスタイルと共に、貧を美とするという揺るがぬ理念の投げかけにおいて、経済的に世界から取り残されはじめた日本における、オリジナルな美の理念の誕生とも言える。

バブル経済の前夜、日本の美術シーンには「もの派」という、まぁ、イタリアのアルテポーヴェラ=貧しい芸術、やら、アメリカのミニマリズ ム等と呼応するムーブメントがあって、同時多発的に発祥した芸術運動ですが、三羽烏の安藤さんなんかは、このもの派に当てられて、表現者になったと言っているぐらいで。で、そのもの派は、韓国から戦後の日本に入国してきた李禹煥が明文化した理念で持って起動していたわけで、にもかかわらず、日本 独自の文化としてアートシーンでは認識されており、しかし、戦後のどさくさや、日本と韓国、朝鮮との関係性を考えると、大変コスモポリタンなムーブメントであったのです が、これは、バブル経済の大波に一瞬さらわれてしまって、見えなくなって、しばらくなりを潜めてましたが、数年前アメリカで再発見され て、今は大きなジャンルになってるわけですが、その「もの派」があって「Superflat」があって、となって、間の抜け落ちをどうしたものかと。 「もの派」
「バブル経済と西武セゾングループ」
「Superflat」
「生活工芸」
「坂田の清貧の美」

となるわけです。
もの派の頃、貧しい芸術のアルテポーヴェラから端を発して、バブって、はじけて、貧しくなって、ぐるっとひと回りして、清貧に行き着いた、と。
それをくるむには、まさに陶芸を購入する際に使う、バブルラップのような、なんとも実体のない、いい加減な、しかし、機能的な梱包材をして包んで見れば、敗戦後のアレヤコレヤがまとまるのではないかと。特にバブル経済最盛期の表現が命名できなかった理由に、日本人の西欧コンプレックスの究極の裏返しの、日本人表現者特有の、我は日本人にしてあらず、コスモポリタンであるというネジ曲がったプライドが邪魔していたのではないかと推察するが、そのへんもやんわりと包んでしまえないかと。
それを「Bubblewrap」と、英字でネーミングしたいと思います。
で、この「Bubblewrap」は、そういう目論見の日本の美を検証するための展覧会なのであります。
村上隆(本展キュレーター)📷 @chiaki_kasahara_


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2019/1/30

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