干場義雅さんのインスタグラム写真 - (干場義雅Instagram)「【怪しそうなおじさんとの出会い‼️】  24年前ぐらいだっかなぁ。スイスのジュネーブ、バーゼルで開かれている高級機械式腕時計の新作が発表される取材に行っていた時。  その期間中は、カルティエやらフランク ミュラーやら、毎晩のように華やかな高級腕時計ブランドのパーティが開かれているんですが。  そんなパーティ会場に行くと、必ずのように会う怪しそうなおじさんがいて……。  あまりに毎晩その怪しそうなおじさんと会うので、だんだん顔見知りになってきて、ある時、知り合いのライターの方が紹介してくれたんです。  で、その怪しそうなおじさんと毎晩のようにお酒を呑みながら、面白オカシイ話をいろいろしていると……、「ところでお前、何やってんだ❓」って言われて。  「僕は、『エスクァイア日本版』という雑誌の編集者をやっていて、ファッション担当をしてます!」って言ったら……。  「そうか。お前むちゃくちゃお洒落だなぁ。一度ウチの編集部に遊びにいらっしゃいなさいよ‼️」。(岸田さん特有の丁寧な命令口調)  「あれっ⁉️(知らんけど、なんかとてつもないパワーを感じる」  と思ったら、実はその怪しそうなおじさんこそが、広告売上げ年間25億を稼ぎ出すことになる、あの化け物雑誌『LEON』を立ち上げようとしていた伝説の編集長、岸田さんだったのです(笑)  「一度、ウチの編集部に遊びにいらっしゃいなさいよ!」って言われたので、行かないのも悪いなぁと思って、何の気無しに編集部に遊びに行ったら。  そこで待ち構えていたのが、編集長の岸田さんと、その当時、副編集長だった大久保さん(大久保さんは、その後、『OCEANS』や『ローリングストーン日本版』を立ち上げて編集長をやったり、ILMを起業したりする、これまた天才的なビジネスマン)。この2人が、いきなり「ホッシーさぁ……」とか言ってくるわけです。その時点で「干場」じゃないんですね(笑)   そしたら、いきなり、「ホッシー、ちょっとこの10ページぐらいやってくんない❗️やっちゃいなさいよ‼️」って言ってきて。  僕が、他の出版社に勤めている違う雑誌の編集者だってことを知っているのにも関わらず、『LEON』創刊準備号の巻頭ページを手伝えって言うんですよ。(当時らしいと言えば当時らしいんですが、ある意味むちゃくちゃ🤣)  僕は、当時社員だったし、普通に考えて無理じゃないですか。「そんなの無理ですよ!」って言ったら、 「内緒にしといてやるから、ちょっとだけでいいからやってくれ。頼むからそこを何とか」とか言うわけです🤣  当然「わかりました!」なんて言えないわけですが、それでも食い下がられて、「とにかくやって欲しい」と……😂   それで渋々引き受け、仕方なく内緒で作ったら、実はそのページが大反響をいただいてしまうことになってしまい……。  すぐに岸田さんから「お前、もう大至急、『エスクァイア』編集部を辞めていらっしゃいなさい。ウチの編集部に来ちゃいなさいよ‼️ (岸田さん特有の丁寧な命令口調)」って言われて。  それで、僕は26歳の時に、『LEON』の創刊に参加することになったのです。  編集部に行ってみたら、そこには岸田さんと大久保さんと、デスクの田上さんと僕という、たった4人だけ😭 『LEON』の創刊は、小さい部屋でそうして始まっていったのです。  そこからは、表紙を始め毎月80ページとか担当しました。「岸田さんには、我が子のように、それはそれは可愛がってもらい、やりたいことは自由にやらせて頂き、これは自分のやりたいことができる‼️」と思って、ヒット企画をたくさん作っていくことになり……  「モテるオヤジ」っていう言葉が生まれたのが創刊3号目で、「ちょい不良(ワル)」っていう言葉が生まれたのが1年後。  そういう言葉が生まれて、『LEON』のスタイルが段々と出来上がり快進撃が始まっていったのです。  話は長くなりましたが、隣に写ってる怪しそうなおじさんこそ、創刊する雑誌は絶対的なヒットを飛ばす出版界のイチローと言われ、『LEON』を世に送り出した岸田一郎さん。ある意味、僕のお父さんであり、ある意味、恩師です☺️  岸田さんとの、とんでも面白話は、山のようにあるので、また時間がある時に‼️  @kishidaichiro  #岸田一郎 #編集長 #伝説の編集長 @yoshimasa_hoshiba  #yoshimasahoshiba  #干場義雅 @forzastylecom  #forzastyle @minimalwardrobe_official」12月2日 10時51分 - yoshimasa_hoshiba

干場義雅のインスタグラム(yoshimasa_hoshiba) - 12月2日 10時51分


【怪しそうなおじさんとの出会い‼️】

24年前ぐらいだっかなぁ。スイスのジュネーブ、バーゼルで開かれている高級機械式腕時計の新作が発表される取材に行っていた時。

その期間中は、カルティエやらフランク ミュラーやら、毎晩のように華やかな高級腕時計ブランドのパーティが開かれているんですが。

そんなパーティ会場に行くと、必ずのように会う怪しそうなおじさんがいて……。

あまりに毎晩その怪しそうなおじさんと会うので、だんだん顔見知りになってきて、ある時、知り合いのライターの方が紹介してくれたんです。

で、その怪しそうなおじさんと毎晩のようにお酒を呑みながら、面白オカシイ話をいろいろしていると……、「ところでお前、何やってんだ❓」って言われて。

「僕は、『エスクァイア日本版』という雑誌の編集者をやっていて、ファッション担当をしてます!」って言ったら……。

「そうか。お前むちゃくちゃお洒落だなぁ。一度ウチの編集部に遊びにいらっしゃいなさいよ‼️」。(岸田さん特有の丁寧な命令口調)

「あれっ⁉️(知らんけど、なんかとてつもないパワーを感じる」

と思ったら、実はその怪しそうなおじさんこそが、広告売上げ年間25億を稼ぎ出すことになる、あの化け物雑誌『LEON』を立ち上げようとしていた伝説の編集長、岸田さんだったのです(笑)

「一度、ウチの編集部に遊びにいらっしゃいなさいよ!」って言われたので、行かないのも悪いなぁと思って、何の気無しに編集部に遊びに行ったら。

そこで待ち構えていたのが、編集長の岸田さんと、その当時、副編集長だった大久保さん(大久保さんは、その後、『OCEANS』や『ローリングストーン日本版』を立ち上げて編集長をやったり、ILMを起業したりする、これまた天才的なビジネスマン)。この2人が、いきなり「ホッシーさぁ……」とか言ってくるわけです。その時点で「干場」じゃないんですね(笑) 

そしたら、いきなり、「ホッシー、ちょっとこの10ページぐらいやってくんない❗️やっちゃいなさいよ‼️」って言ってきて。

僕が、他の出版社に勤めている違う雑誌の編集者だってことを知っているのにも関わらず、『LEON』創刊準備号の巻頭ページを手伝えって言うんですよ。(当時らしいと言えば当時らしいんですが、ある意味むちゃくちゃ🤣)

僕は、当時社員だったし、普通に考えて無理じゃないですか。「そんなの無理ですよ!」って言ったら、
「内緒にしといてやるから、ちょっとだけでいいからやってくれ。頼むからそこを何とか」とか言うわけです🤣

当然「わかりました!」なんて言えないわけですが、それでも食い下がられて、「とにかくやって欲しい」と……😂 

それで渋々引き受け、仕方なく内緒で作ったら、実はそのページが大反響をいただいてしまうことになってしまい……。

すぐに岸田さんから「お前、もう大至急、『エスクァイア』編集部を辞めていらっしゃいなさい。ウチの編集部に来ちゃいなさいよ‼️ (岸田さん特有の丁寧な命令口調)」って言われて。

それで、僕は26歳の時に、『LEON』の創刊に参加することになったのです。

編集部に行ってみたら、そこには岸田さんと大久保さんと、デスクの田上さんと僕という、たった4人だけ😭 『LEON』の創刊は、小さい部屋でそうして始まっていったのです。

そこからは、表紙を始め毎月80ページとか担当しました。「岸田さんには、我が子のように、それはそれは可愛がってもらい、やりたいことは自由にやらせて頂き、これは自分のやりたいことができる‼️」と思って、ヒット企画をたくさん作っていくことになり……

「モテるオヤジ」っていう言葉が生まれたのが創刊3号目で、「ちょい不良(ワル)」っていう言葉が生まれたのが1年後。

そういう言葉が生まれて、『LEON』のスタイルが段々と出来上がり快進撃が始まっていったのです。

話は長くなりましたが、隣に写ってる怪しそうなおじさんこそ、創刊する雑誌は絶対的なヒットを飛ばす出版界のイチローと言われ、『LEON』を世に送り出した岸田一郎さん。ある意味、僕のお父さんであり、ある意味、恩師です☺️

岸田さんとの、とんでも面白話は、山のようにあるので、また時間がある時に‼️

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2023/12/2

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