寺川俊平さんのインスタグラム写真 - (寺川俊平Instagram)「「夢と現実と」  ちょうど1週間前、ドーハのホテルの自室で 胸を高鳴らせながら小さなノートPCに向かっていたのが 嘘のような自宅のソファからこんばんは。  目の当たりにしたたくさんの現実は いまだに夢の中の出来事だったんじゃないかと思うくらい 実感としては捉えきれず 日付や時間、年末の感覚もさしてなく なんとなく生きる毎日を送っています。  4年間、これまで以上に思いを馳せたサムライブルー。 その戦う姿にたくさんの勇気や感動をもらいました。 本当に感謝の思いでいっぱいです。  実は… いやまぁ実はというほどたいして実は、でもないのですが  「奇跡」や「歓喜」という言葉は最後まで 一度も使いませんでした。  それは指揮官が僕たちメディアにも「ともに戦いましょう」と常々言ってくれていたからで、 これはあくまでも積み重ねに対する「結果」なんだと思っていたからでした。  この4年、時に代表が晒された様々な批判は 我が事のように心が痛かったし だから、初戦に勝った時も GSの突破が決まったときも 嬉しくて嬉しくて仕方がなかったけど 選手も監督も自信に満ち溢れた顔で次に向かっていたし 横にいたレジェンドも すぐ気持ちを切り替えて次に向かうから 僕もどこか共に戦っている気持ちになれていたんだと思います。 (メディアに身を置く人間のこの感覚に賛否両論があることは認識しています。)  ラウンド16。 カタールのアルワクラ。 日本は必ず勝つ。 その時にどんな言葉を添えよう。 そんなことを前日まで必死に考えていたのだけれど、 前日会見を聴きながら、 もはや「アルワクラの何か」を僕が決める必要なんかどこにもない、ということに ひとつ自分の中で辿り着いて考えるのをやめました。 それは選手の心の中にあるそれぞれの「何か」で良いじゃないかと。  だから勝った時には「ドーハの悲劇」を使って歴史を紐解いたり、「アルワクラの歓喜」みたいな言葉を言い放って気持ちよくなったりは絶対しない、と決めていました。  (もし喋り手の性みたいなもので、何か言いたくなったら、ドーハ、ジョホールバル、ロストフ、のような後世にも「その何か」で語り継がれたりするような言葉ではなく「アルワクラのブラボー!」くらいの言葉にして、本田さんと大笑いするイメージ、でした。)  夢が、儚く、燃え尽きたその時。 もはや言葉を紡ぎ出すのを辞めたのを昨日のことのように思い出します。 何をどう伝えるべきかわからなかった、というより 火を見るよりも明らかな現実を前に 添える言葉に意味など持たないと瞬間的に思ったから。 喋り手としてそれが正解だったのかは 今もまだ整理しきれず、悩み続けています。  アルゼンチンとフランスの決勝戦。 日本を発つ前に この4年、運営側で日本代表をともに応援してきた友人から「早めの誕生日プレゼント」ともらった 日本代表の公式ネクタイを締めました。  いつか。この場所でこの日とは違う「青」を見たいという思いで、願掛け的な気持ちで。  4年はスポーツ選手にとっては 途方もなく長く ましてやピークを合わせるなど 想像を絶する苦労がなければ辿り着けないはずです。  だからワールドカップは面白い、のだけれども。  もう既に “彼ら”の未来を信じる過酷な日々は始まっています。 そして、またここから僕も これまでと同じように その未来を楽しみにしながら、 “彼ら”を追いかけていこうと思います。  1ヶ月間、間違いも多々あり 少々うるさめの実況にお付き合い頂いたみなさん ありがとうございました。 あと相変わらず陰気で長文でたまにしか上げず、大した文章力もないこの投稿を見てくださったことにも御礼申し上げます。  メリークリスマス! そして良いお年を!」12月25日 2時32分 - shumpei_terakawa

寺川俊平のインスタグラム(shumpei_terakawa) - 12月25日 02時32分


「夢と現実と」

ちょうど1週間前、ドーハのホテルの自室で
胸を高鳴らせながら小さなノートPCに向かっていたのが
嘘のような自宅のソファからこんばんは。

目の当たりにしたたくさんの現実は
いまだに夢の中の出来事だったんじゃないかと思うくらい
実感としては捉えきれず
日付や時間、年末の感覚もさしてなく
なんとなく生きる毎日を送っています。

4年間、これまで以上に思いを馳せたサムライブルー。
その戦う姿にたくさんの勇気や感動をもらいました。
本当に感謝の思いでいっぱいです。

実は…
いやまぁ実はというほどたいして実は、でもないのですが

「奇跡」や「歓喜」という言葉は最後まで
一度も使いませんでした。

それは指揮官が僕たちメディアにも「ともに戦いましょう」と常々言ってくれていたからで、
これはあくまでも積み重ねに対する「結果」なんだと思っていたからでした。

この4年、時に代表が晒された様々な批判は
我が事のように心が痛かったし
だから、初戦に勝った時も
GSの突破が決まったときも
嬉しくて嬉しくて仕方がなかったけど
選手も監督も自信に満ち溢れた顔で次に向かっていたし
横にいたレジェンドも
すぐ気持ちを切り替えて次に向かうから
僕もどこか共に戦っている気持ちになれていたんだと思います。
(メディアに身を置く人間のこの感覚に賛否両論があることは認識しています。)

ラウンド16。
カタールのアルワクラ。
日本は必ず勝つ。
その時にどんな言葉を添えよう。
そんなことを前日まで必死に考えていたのだけれど、
前日会見を聴きながら、
もはや「アルワクラの何か」を僕が決める必要なんかどこにもない、ということに
ひとつ自分の中で辿り着いて考えるのをやめました。
それは選手の心の中にあるそれぞれの「何か」で良いじゃないかと。

だから勝った時には「ドーハの悲劇」を使って歴史を紐解いたり、「アルワクラの歓喜」みたいな言葉を言い放って気持ちよくなったりは絶対しない、と決めていました。

(もし喋り手の性みたいなもので、何か言いたくなったら、ドーハ、ジョホールバル、ロストフ、のような後世にも「その何か」で語り継がれたりするような言葉ではなく「アルワクラのブラボー!」くらいの言葉にして、本田さんと大笑いするイメージ、でした。)

夢が、儚く、燃え尽きたその時。
もはや言葉を紡ぎ出すのを辞めたのを昨日のことのように思い出します。
何をどう伝えるべきかわからなかった、というより
火を見るよりも明らかな現実を前に
添える言葉に意味など持たないと瞬間的に思ったから。
喋り手としてそれが正解だったのかは
今もまだ整理しきれず、悩み続けています。

アルゼンチンとフランスの決勝戦。
日本を発つ前に
この4年、運営側で日本代表をともに応援してきた友人から「早めの誕生日プレゼント」ともらった
日本代表の公式ネクタイを締めました。

いつか。この場所でこの日とは違う「青」を見たいという思いで、願掛け的な気持ちで。

4年はスポーツ選手にとっては
途方もなく長く
ましてやピークを合わせるなど
想像を絶する苦労がなければ辿り着けないはずです。

だからワールドカップは面白い、のだけれども。

もう既に
“彼ら”の未来を信じる過酷な日々は始まっています。
そして、またここから僕も
これまでと同じように
その未来を楽しみにしながら、
“彼ら”を追いかけていこうと思います。

1ヶ月間、間違いも多々あり
少々うるさめの実況にお付き合い頂いたみなさん
ありがとうございました。
あと相変わらず陰気で長文でたまにしか上げず、大した文章力もないこの投稿を見てくださったことにも御礼申し上げます。

メリークリスマス!
そして良いお年を!


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2022/12/25

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