岡清華のインスタグラム(okasaya) - 3月11日 22時14分
【 生きるということ 】
死と生は、となり合わせ。
当たり前のことですが、命は、有限なのです。
目に見えるものには、全てに終わりがある。
その終わりがあるから、新しいものが生まれる。
今日が最後の1日だとしたら、
あなたは、それをしているだろうか?
それをしないだろうか?
自分の人生に責任を持つということは、
命が明日で終わりかもしれないという覚悟をして
いろんなことに取り組む…
人生を楽しみ切るためのもの。
その法則を教えてくれるのが、
アーユルヴェーダだと思います。
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今日は、とあるウェブ媒体の取材があり、
きほんの、"き" を話す予定が、
根本の本質を全て出し切って話し込んでしまいました。
その中の一つのお話が今日のテーマでもありました。
生きるとはなんだろう?
幸せとはなんだろう?
様々な専門家やプロフェッショナルに
取材を重ねてきたからこその質問にノリにのって
話していると、このようなテーマになりましたが、
極論、本当の幸せとは、自由と解放であるが、
その究極的な幸福を得た人生の中に、
今辛いと感じている出来事がまだ残るかもしれない。
むしろ、より大きな辛さが宿るかもしれない。
勘違いしては誤差が生まれてしまうのですが、
苦しみが一切なくて、ハッピー!ハッピーな毎日が
永遠と続くわけではないということ。
(私もそう見られがちだということに話していて、気がついたのですが。)
磁石には+と− という反対極がありますが、
幸 と 辛 という漢字こそが、 + と − の象徴のようなもの。
辛いことを辛いこととして認識するのではなく、
幸せのためのステップ、土台、ジャンプ台になる。
今より高く飛ぶ(成長)するためには、
一度今よりしゃがまなければ、高くは飛べない。
そのように、どれだけしんどいことがあっても、
幸せな出来事や幸せを感じる為のプロセスの一部になる。
何かのせいにしていると未来は暗くなる。
何かのおかげにしていると未来は明るくなることを確約される。
しんどい、辛い、苦しい、
そう思ったら、その先には必ず幸福が待っている。
影が生まれている場所には光が存在するのです。
その自然の法則を、信じるクリアな目で世を見ることができるか?
それとも疑いの目で、曇りガラスで世を見続けるのか?
幸せという漢字の中には、辛いという字がはいっている。
しかし、一見、幸のインパクト(光)が強すぎて、
それが見えないものだから、勘違いされやすいが、
生きている中から苦しみは消えることはない。
しかし、それがただの苦しみであることもない。
起こることには全て、必ず意味がある。
お陰様での精神で、感謝して、今日も締めくくりたい。
本日も素晴らしいイチニチでした。
明日も与えていただいた命に仕えていこうと思います🙏
穏やかな夜をお過ごしください。
#アーユルヴェーダ #哲学 #死生観
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2021/3/11