松田珠希のインスタグラム(tamakimatsuda11) - 3月2日 21時43分
夏の日のシーン、登場人物の男、女、少年の3人に訪れた、ある別れの描写にとてつもなく感動。
彼らそれぞれが言葉にしなかった、もしくは出来なかった心中を、流れる空気や風景で描き、台詞で表現するよりずっと深く読者に伝えている。
自分がその中の一人に乗り移ったかのように空虚が沁み渡った。
三島さんよ、どうしたらこんなに美しい狂おしい言葉選びができるのかといつも思っていたところに読んだ、とても素晴らしい彼のインタビューがあるのだけど、そこで話していたことを思い出す。
私はこのインタビューをたまに読み返しては、なんとなく流れてしまいそうな毎日やひとつの人生の中、小さなことでも意味を持たせていけたら、もう少し新しい世界を見つけたり、自分や他人をもっと愛せるのかなと思ったりしてます。
思考することで、人生を楽しむ力を鍛えられたらと。辛いときこそ特に。
そして、誰かの意見じゃなく、自分の思考で生まれたものは、本当の意味での宝物になる気がしています。
インタビューを皆さんにもシェア。
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『先生は過去の生活から考えたものを作品にお書きになるのですか?』
それはね、体験というもの、誰でもあるんですけれども、例えば、死にそうな体験をしたとか、エベレストに登って落っこちそうになったとか、そういうものばかりが体験ではないわけですよね。体験というものは、わからないとことに隠れていて、道を歩いている時に、ちょっと石に蹴躓いて、その石というものが人生で大きな意味を持っちゃうことがある。小さな石がね。そういう体験が大事なんだが、そういう体験を自分で大きな意味を持たすという能力も大事なんだよ。
作家なんかというものは、その両方が備わっていないといけない。体験がもちろんなきゃ、生まれた時から実験室みたいなところで育てられたら、これは小説家になれないでしょうね、恐らく。同時に体験を、体験たらしめる力がなきゃならない。それを皆、才能というんだろう、と思うね、恐らく。
『そうすると、過去の何かの体験し、自分がそれについて感じた。それを書いたとすると、もしも読者が体験がなかったとして、全然掴めないという場合は?』
それを伝えるのが言葉なんだよ。音楽は音で伝えるし、絵は色で伝えるでしょ。文学者は、それを言葉で伝えなきゃならない。言葉というものは皆のものだからね。言葉というものは通じるということが前提でなっていて言葉というものが出来ているでしょ。もし、通じなかったら、言葉は意味をなさない。だから、文学者というものは、言葉を、一番人に伝えにくいことをどうやって皆が使っている言葉で伝えるか、それが文学者としても難しさですよね。
#午後の曳航 #三島由紀夫 #読書 #文学 #小説家 #横浜 #山下公園
あ、本の感想はですね、、ロマンチックかと思いきや残虐性がとんでもねぇ。しかも私のあまり好きではない子供の残虐。
チラチラ出動される三島さんの社会思想を纏った少年倶楽部に心臓腎臓あらゆる臓器がバクバクでした。
短いのに要素が多くて飲み込めてない部分も結構あったので、改めてもう一回読もう。
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2021/3/2