海江田万里さんのインスタグラム写真 - (海江田万里Instagram)「中国の詩人「蘇軾」の人生をつづった本を出版芸術社から出版します。 アマゾンにて、予約販売も受け付けています。足かけ5年かけて書き上げた私の渾身の一冊をぜひ、ご購読ください。 https://www.amazon.co.jp/dp/488293535X/  以下、前書きをご紹介します。 ≪はじめに≫ 人生においてに二度、三度と投獄、左遷、流刑を余儀なくされた北宋の詩人にして政治家でもあった蘇軾(そしょく)に私が興味を持ったのは、二〇一四年八月、東京国立博物館の特別展『神品至宝・台湾故宮博物院』で蘇軾自筆の『黄州(こうしゅう)寒食(かんしょく)詩巻(しかん)』を目の当たりにしたときでした。『詩巻』に書かれた蘇軾の文字は、私がそれまで見ていた、例えば『漁父二首』の拓本の中の整った行書とはまるで異なった筆跡でした。最初は、端正な行書で始まりますが、「寒食(かんしょく)の雨(あめ)」の詩を書き進むうちに、筆の運びや筆致が変化してきます。流刑地である黄州での厳しい生活を思い出し、文字の大小が不揃いになり、感情の昂ぶりが、そのまま書に現れていたのです。 東京国立博物館で蘇軾の直筆を鑑賞し、大きな感動を受けたその日から、およそ四か月後に、衆議院の解散・総選挙があり、私は落選の憂き目に遭いました。「サルは木から落ちてもサルだが、国会議員は選挙に落ちたらただの人」という有名な言葉がありますが、その辛さは実際に落選を経験した人でなければ分かりません。しばらくは何も手が付かずに茫然自失の日々が続きました。その時、思い出したのが、四か月前に目にした『黄州寒食詩巻』の蘇軾の詩と直筆です。 蘇軾(そしょく)は、科挙の試験に優秀な成績で合格して、将来を嘱望されながら、宮廷内の権力争いに巻き込まれ、左遷と流刑、そして復権を繰り返し、最後は、文明の果ての海南島(かいなんとう)に流罪になり、赦されて北へ帰る旅の途中で六十六年の生涯を閉じます。 ちょうど、私の年齢が蘇軾の没年と同じということもあり、蘇軾の生涯を調べようと資料を集め始めました。中国に住む友人に蘇軾に関する書籍の購入を依頼し、日本の関係図書も集め、メモを作って資料を読み込み、翌年の夏頃から、一冊の本にすべく執筆を始めました。もちろん私自身、政治の世界と完全に縁を切ったわけではなく、選挙での雪辱を期しての毎日でしたから、筆は思うように進みませんでした。しかし、筆の運びは遅くとも、折に触れ蘇軾の作った詩を鑑賞し、歩んだ人生を辿ると、不思議なことに前向きに生きる力が湧いてくるのです。毎日、少しずつ執筆することが、当時の私の唯一の楽しみになっていました。 二〇一七年秋の総選挙で、私は幸い政界復帰を果たし、仕事に忙殺され、蘇軾の本の執筆は中断することになりました。その後、私も古希を迎え、望んで復帰した政界も憂きこと、ままならぬことは多くあり、そんな中で、私の心の隅にあった「蘇軾の本を完成させなければならない」との思いがますます強くなりました。 そして2020年に入り、世界は新型コロナウイルスの脅威に曝されます。日本でも4月7日、「緊急事態宣言」が発せられ、人々は「自粛」生活を余儀なくされ、その上、仕事を奪われ、収入がストップし、毎日の食費にも事欠く人々も生まれています。また、ウイルスに感染し入院や隔離された方、大切な家族や友人、知人の命を奪われた方もたくさんいます。 蘇軾(そしょく)が「御史台(ぎょしだい)の獄(ごく)」で味わった死の恐怖、黄州(こうしゅう)で耐えた生活の苦しみ、海南島(かいなんとう)で経験した孤独な日々など、蘇軾を苦しめた困難は現在の私たちが抱えるものとは、次元も内容も異なることは明らかです。しかし、これまで人類が経験したことのない新型コロナウイルスとの闘いという新たな試練の渦中で、私たちが蘇軾の詩を読み、彼の人生を振り返ることは意味のあることではないでしょうか。蘇軾の詩と人生は、きっと私たちに困難な時代を明るく生き抜く知恵を授けてくれるはずです。そう考えて、筆を進めました。読者諸賢のご批判とご指導をいただきたいと思います。 なお、蘇軾は「蘇」が姓で、「軾」が名。字は「子瞻(しせん)」といいますが、「東坡居士」と自ら名のったので「蘇東坡(そとうば)」とも呼ばれます。  #立憲民主党 #衆議院議員 #海江田万里 #蘇軾」11月13日 14時57分 - kaiedabanri

海江田万里のインスタグラム(kaiedabanri) - 11月13日 14時57分


中国の詩人「蘇軾」の人生をつづった本を出版芸術社から出版します。
アマゾンにて、予約販売も受け付けています。足かけ5年かけて書き上げた私の渾身の一冊をぜひ、ご購読ください。
https://www.amazon.co.jp/dp/488293535X/

以下、前書きをご紹介します。
≪はじめに≫
人生においてに二度、三度と投獄、左遷、流刑を余儀なくされた北宋の詩人にして政治家でもあった蘇軾(そしょく)に私が興味を持ったのは、二〇一四年八月、東京国立博物館の特別展『神品至宝・台湾故宮博物院』で蘇軾自筆の『黄州(こうしゅう)寒食(かんしょく)詩巻(しかん)』を目の当たりにしたときでした。『詩巻』に書かれた蘇軾の文字は、私がそれまで見ていた、例えば『漁父二首』の拓本の中の整った行書とはまるで異なった筆跡でした。最初は、端正な行書で始まりますが、「寒食(かんしょく)の雨(あめ)」の詩を書き進むうちに、筆の運びや筆致が変化してきます。流刑地である黄州での厳しい生活を思い出し、文字の大小が不揃いになり、感情の昂ぶりが、そのまま書に現れていたのです。
東京国立博物館で蘇軾の直筆を鑑賞し、大きな感動を受けたその日から、およそ四か月後に、衆議院の解散・総選挙があり、私は落選の憂き目に遭いました。「サルは木から落ちてもサルだが、国会議員は選挙に落ちたらただの人」という有名な言葉がありますが、その辛さは実際に落選を経験した人でなければ分かりません。しばらくは何も手が付かずに茫然自失の日々が続きました。その時、思い出したのが、四か月前に目にした『黄州寒食詩巻』の蘇軾の詩と直筆です。
蘇軾(そしょく)は、科挙の試験に優秀な成績で合格して、将来を嘱望されながら、宮廷内の権力争いに巻き込まれ、左遷と流刑、そして復権を繰り返し、最後は、文明の果ての海南島(かいなんとう)に流罪になり、赦されて北へ帰る旅の途中で六十六年の生涯を閉じます。
ちょうど、私の年齢が蘇軾の没年と同じということもあり、蘇軾の生涯を調べようと資料を集め始めました。中国に住む友人に蘇軾に関する書籍の購入を依頼し、日本の関係図書も集め、メモを作って資料を読み込み、翌年の夏頃から、一冊の本にすべく執筆を始めました。もちろん私自身、政治の世界と完全に縁を切ったわけではなく、選挙での雪辱を期しての毎日でしたから、筆は思うように進みませんでした。しかし、筆の運びは遅くとも、折に触れ蘇軾の作った詩を鑑賞し、歩んだ人生を辿ると、不思議なことに前向きに生きる力が湧いてくるのです。毎日、少しずつ執筆することが、当時の私の唯一の楽しみになっていました。
二〇一七年秋の総選挙で、私は幸い政界復帰を果たし、仕事に忙殺され、蘇軾の本の執筆は中断することになりました。その後、私も古希を迎え、望んで復帰した政界も憂きこと、ままならぬことは多くあり、そんな中で、私の心の隅にあった「蘇軾の本を完成させなければならない」との思いがますます強くなりました。
そして2020年に入り、世界は新型コロナウイルスの脅威に曝されます。日本でも4月7日、「緊急事態宣言」が発せられ、人々は「自粛」生活を余儀なくされ、その上、仕事を奪われ、収入がストップし、毎日の食費にも事欠く人々も生まれています。また、ウイルスに感染し入院や隔離された方、大切な家族や友人、知人の命を奪われた方もたくさんいます。
蘇軾(そしょく)が「御史台(ぎょしだい)の獄(ごく)」で味わった死の恐怖、黄州(こうしゅう)で耐えた生活の苦しみ、海南島(かいなんとう)で経験した孤独な日々など、蘇軾を苦しめた困難は現在の私たちが抱えるものとは、次元も内容も異なることは明らかです。しかし、これまで人類が経験したことのない新型コロナウイルスとの闘いという新たな試練の渦中で、私たちが蘇軾の詩を読み、彼の人生を振り返ることは意味のあることではないでしょうか。蘇軾の詩と人生は、きっと私たちに困難な時代を明るく生き抜く知恵を授けてくれるはずです。そう考えて、筆を進めました。読者諸賢のご批判とご指導をいただきたいと思います。
なお、蘇軾は「蘇」が姓で、「軾」が名。字は「子瞻(しせん)」といいますが、「東坡居士」と自ら名のったので「蘇東坡(そとうば)」とも呼ばれます。

#立憲民主党 #衆議院議員 #海江田万里 #蘇軾


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2020/11/13

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