ダンデライオン・チョコレート・ジャパンさんのインスタグラム写真 - (ダンデライオン・チョコレート・ジャパンInstagram)「現代におけるチョコレートを語る上で欠かせないアメリカ。チョコレートのマーケットシェアが最も大きく、クラフトチョコレート・ムーブメントにおいても重要な役割を担うアメリカのチョコレートの歴史についてここで少し触れていきたいと思います。   ■アメリカでの広がり アメリカで初のチョコレートバーを作ったのは、キスチョコでお馴染みのミルトン・ハーシーで、1894年のことでした。ハーシーは元々キャラメル工場を経営していましたが、展示会でチョコレートの機械と出会ったことがきっかけで、チョコレートの製造に乗り出します。そして1900年、今でもアメリカでは定番のミルクチョコレートバー(板チョコレート)を発売します。  ハーシーは砂糖とカカオの価格が暴落したのを機に、チョコレートを大量生産化させることに成功。さらに、チョコレートのサイズを150gから30〜45g程度まで小さくしたことで、「5セントのチョコレートバー」を実現し、庶民のスナック菓子として定着させました。   当時のチョコレートバーには”MORE SUSTAINING THAN MEAT(肉より持続力あり)”とも書かれており、エネルギー補給の目的でも消費されていました。 この“4 oz chocolate”(113g程度)は今もアメリカ軍用のチョコレートとして活用されているそうです。   アメリカのチョコレートの文脈では、キスチョコの他に忘れてはならない、M&M’sの誕生にも興味深いものがあります。  M&M’sの誕生のきっかけは1930年代。スペイン内戦時に現地を訪れたフォレスト・マースが、兵士たちが「戦時中でも溶けないチョコレート」として食べていた、砂糖でコーティングされたチョコレートに着想を得たそうです。  1940年に帰国後、マースは友人であるブルース・ムリーと共同で、ニュージャージー州に工場を設立します。ブルースはあのHershey‘s社長の息子で、当時はHershey’sのチョコレートを使って製造していたそうです。この商品はマースとムリー、二人の苗字の頭文字である「M」をつなげて「M&M's」(マース&ムリーズ)と名付けられ、翌1941年より本格的に製造を開始しました。  しかし、ムリーは名ばかりで仕事をしなかったため、終戦後にマースは独立。 ペットフード業態と共にMarsを設立し、今やHershey‘sとMarsは競合他社になってしまったのです。日本に暮らすわたしたちにとってもアメリカの2大スナックチョコレートとして馴染みのあるキスチョコとM&M’sですが、歴史的にも深いつながりがあったのはとても興味深いと感じました。   *『チョコレートの歴史を知ろう - 海を渡って進化するチョコレート』では、カカオの発祥から現在のクラフトチョコレートの成り立ちまで、幅広く解説しています。興味のある方は、WEBサイトの記事も合わせてお読みいただけると幸いです。   Photo by @dandelionchocolate   #dandelionchocolate #ダンデライオンチョコレート #beantobar #ビーントゥーバー #craftchocolate #クラフトチョコレート #chocolate #チョコレート #cacao #カカオ #アメリカ #アメリカチョコレート」11月9日 12時08分 - dandelion_chocolate_japan

ダンデライオン・チョコレート・ジャパンのインスタグラム(dandelion_chocolate_japan) - 11月9日 12時08分



ダンデライオン・チョコレート ファクトリー&カフェ蔵前 - Instagrammers Gourmet


現代におけるチョコレートを語る上で欠かせないアメリカ。チョコレートのマーケットシェアが最も大きく、クラフトチョコレート・ムーブメントにおいても重要な役割を担うアメリカのチョコレートの歴史についてここで少し触れていきたいと思います。


■アメリカでの広がり
アメリカで初のチョコレートバーを作ったのは、キスチョコでお馴染みのミルトン・ハーシーで、1894年のことでした。ハーシーは元々キャラメル工場を経営していましたが、展示会でチョコレートの機械と出会ったことがきっかけで、チョコレートの製造に乗り出します。そして1900年、今でもアメリカでは定番のミルクチョコレートバー(板チョコレート)を発売します。

ハーシーは砂糖とカカオの価格が暴落したのを機に、チョコレートを大量生産化させることに成功。さらに、チョコレートのサイズを150gから30〜45g程度まで小さくしたことで、「5セントのチョコレートバー」を実現し、庶民のスナック菓子として定着させました。


当時のチョコレートバーには”MORE SUSTAINING THAN MEAT(肉より持続力あり)”とも書かれており、エネルギー補給の目的でも消費されていました。
この“4 oz chocolate”(113g程度)は今もアメリカ軍用のチョコレートとして活用されているそうです。


アメリカのチョコレートの文脈では、キスチョコの他に忘れてはならない、M&M’sの誕生にも興味深いものがあります。

M&M’sの誕生のきっかけは1930年代。スペイン内戦時に現地を訪れたフォレスト・マースが、兵士たちが「戦時中でも溶けないチョコレート」として食べていた、砂糖でコーティングされたチョコレートに着想を得たそうです。

1940年に帰国後、マースは友人であるブルース・ムリーと共同で、ニュージャージー州に工場を設立します。ブルースはあのHershey‘s社長の息子で、当時はHershey’sのチョコレートを使って製造していたそうです。この商品はマースとムリー、二人の苗字の頭文字である「M」をつなげて「M&M's」(マース&ムリーズ)と名付けられ、翌1941年より本格的に製造を開始しました。

しかし、ムリーは名ばかりで仕事をしなかったため、終戦後にマースは独立。
ペットフード業態と共にMarsを設立し、今やHershey‘sとMarsは競合他社になってしまったのです。日本に暮らすわたしたちにとってもアメリカの2大スナックチョコレートとして馴染みのあるキスチョコとM&M’sですが、歴史的にも深いつながりがあったのはとても興味深いと感じました。


*『チョコレートの歴史を知ろう - 海を渡って進化するチョコレート』では、カカオの発祥から現在のクラフトチョコレートの成り立ちまで、幅広く解説しています。興味のある方は、WEBサイトの記事も合わせてお読みいただけると幸いです。


Photo by @dandelionchocolate


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2020/11/9

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