林信行さんのインスタグラム写真 - (林信行Instagram)「昨日は京都で「 #テクノロジーの佇まい 」というイベントに参加。 聞香、お経、講和、詩吟、活花、座談、香りのマリアージュを楽しむディナー、邦楽2.0… 日本の伝統文化と、その延長線上にある革新を一日に凝縮したフルコースの体験だった。  京都ならではのテクノロジー会社、 @muilabo のイベントだ。 伝統的価値観と、テクノロジー時代を丁寧に紡ごうという試み、素晴らしいと思った。  法然院の美しさも素晴らしかったが、登壇者からの話もいずれもインスパイアリングだったので簡単にシェアしたい。と言っても全部を書くと長くなるので、特に感動した花道家/アーティストの上野雄次さんの話に絞るので、興味が湧いた人は、是非とも昨日の私の(誤字だらけの)ツイッター実況を見てもらえればと思う。 https://twilog.org/nobi/date-201017  床の間に見立てた台の上に、故青木亮作の割れた壺をなんとか固定させた後、その日の朝、山科で拾ってきたという樹の枝をバキバキと折って立てたかと思うと、そこかkら光に向かって季節の花、秋明菊を挿した上野氏は「日本文化において床の間がいかに重要か」を語り始めた。 床の間こそが日本の文化の象徴と上野氏。床の間が無ければ、そもそも活け花も生まれなかった。床の間とは3方が囲まれ、正面が開いた空間。この正面は結界で、あの世とこの世を隔っている。「あの世」というのは「死後の世界」ではなく、「この世」つまり現実ではない場所。フィクション。脳の中のイメージを引き出して作られた世界。  日本人は、そんな床の間を家に持ち、何を飾ったのか。代表的なものは花鳥風月だが、花は見て愛でるもので視覚、鳥は聴いて楽しむもので音、風は触覚で感じるもの、そして月は空想を膨らませるもの。  これは日本だけのユニークな文化だ。日本の文化は中国や韓国などの大陸から渡ってきたものが多い。例えば着物を売っている店は「呉服屋」、つまり「呉」の国(中国)の影響を受けたもの。でも、「床の間」はそうした輸入した文化でなく、日本にしかない。  日本人は自分だけのアートギャラリーを家に持つ習慣を作ったのだ。  では、そこに飾るアートとは何か?例えばイチロー選手がライトから、キャッチャーミットに向けてレーザービーム送球をしてランナーを刺すと、見た人はそれを「アートだ」と言って、そのことに文句をつける人はいない。「人をアっと言わせる技がアート」。多くの人が、アートというと思い浮かべるファインアートは、たまたま広がった1ジャンルに過ぎない。  では、日本人はなんでそんなにアートを求めるようになったのか。それは農耕民族ならではの苦しみがあったから。濃厚と言っても帝国主義の国は麦作が中心だが、日本は稲作が中心。  どこでも育つ麦と違って、稲作では人々が1箇所にかたまって住むことになり、それだけにコミュニティーに属することのフラストレーションも大きい。そこで、そのフラストレーションを発散させるために、人々は心のトリップ(陶酔)を求めた。  アートはすごい技で人々を酔わせることで、その命を救っている。  帝国主義の国々の考え方は、ゼロサムでどこかが勝てばどこかが負ける。世の中に流通しているお金の量も基本的には一定のはずで、誰か成功して大儲けをしている人がいるということは、その影で損をしている人もいる、ということ。  これに対して日本人は分け合って、皆で豊かになる方法を知り実践してきた。これからの世界を救うヒントもそこにある。  ここで上野氏が自らの作品を解説した。底のない割れ壺を台にしたのは、見る人々をアっと思わせたいから。そして木片から花が覗いているが、人は花を見ると、それを人に見立てる。その花がピョンと開放的なところに顔を出し光を浴びているのを見て、人はそこに希望を感じる。  人々は重力に抗った姿にも心を打たれる。植物というものは、そもそも重力に反して、素直に光に向かって伸びていく。形あるものが生み出す感動の多くはこの「重力への抗い」に起因している。「自分との戦いでした」と振り返るスポーツ選手も、実は重力と戦っていることが多い。人が感動するのは、その上で願望をかなえることで光に向かって素直に伸びる花はその願望を表している。  話を戻して、日本から床の間が無くなったのは、テレビの普及と同じタイミング。我々から想像力を奪ったテレビが普及しリビングの中央に置かれたことで、床の間が消えた。  しかし、今日、人々はテレビの代わりにスマートフォンを使い始めている。この画面の小さなデバイスをずっと眺めているのは身体的にもストレスが大きい。だからこそ、今、床の間を復活させるべきだ。  溜飲が下がる、というのはこういうことを言うのだろう。いちいち納得しかなかった。  (他の出演者についてはFacebook投稿参照)  自分の国の良い伝統文化を語れなくて、どうやって未来に残るものを作れると言えるのか。 人々の生活を変え、社会に浸透するインフラテクノロジーを作っていると自負する人にとって、このイベントで行われたいたような新旧の文化のたしなみは必須ではないかと改めて思った。」10月18日 23時39分 - nobihaya

林信行のインスタグラム(nobihaya) - 10月18日 23時39分


昨日は京都で「 #テクノロジーの佇まい 」というイベントに参加。
聞香、お経、講和、詩吟、活花、座談、香りのマリアージュを楽しむディナー、邦楽2.0…
日本の伝統文化と、その延長線上にある革新を一日に凝縮したフルコースの体験だった。

京都ならではのテクノロジー会社、 @muilabo のイベントだ。
伝統的価値観と、テクノロジー時代を丁寧に紡ごうという試み、素晴らしいと思った。

法然院の美しさも素晴らしかったが、登壇者からの話もいずれもインスパイアリングだったので簡単にシェアしたい。と言っても全部を書くと長くなるので、特に感動した花道家/アーティストの上野雄次さんの話に絞るので、興味が湧いた人は、是非とも昨日の私の(誤字だらけの)ツイッター実況を見てもらえればと思う。
https://twilog.org/nobi/date-201017

床の間に見立てた台の上に、故青木亮作の割れた壺をなんとか固定させた後、その日の朝、山科で拾ってきたという樹の枝をバキバキと折って立てたかと思うと、そこかkら光に向かって季節の花、秋明菊を挿した上野氏は「日本文化において床の間がいかに重要か」を語り始めた。
床の間こそが日本の文化の象徴と上野氏。床の間が無ければ、そもそも活け花も生まれなかった。床の間とは3方が囲まれ、正面が開いた空間。この正面は結界で、あの世とこの世を隔っている。「あの世」というのは「死後の世界」ではなく、「この世」つまり現実ではない場所。フィクション。脳の中のイメージを引き出して作られた世界。
 日本人は、そんな床の間を家に持ち、何を飾ったのか。代表的なものは花鳥風月だが、花は見て愛でるもので視覚、鳥は聴いて楽しむもので音、風は触覚で感じるもの、そして月は空想を膨らませるもの。
 これは日本だけのユニークな文化だ。日本の文化は中国や韓国などの大陸から渡ってきたものが多い。例えば着物を売っている店は「呉服屋」、つまり「呉」の国(中国)の影響を受けたもの。でも、「床の間」はそうした輸入した文化でなく、日本にしかない。
 日本人は自分だけのアートギャラリーを家に持つ習慣を作ったのだ。
 では、そこに飾るアートとは何か?例えばイチロー選手がライトから、キャッチャーミットに向けてレーザービーム送球をしてランナーを刺すと、見た人はそれを「アートだ」と言って、そのことに文句をつける人はいない。「人をアっと言わせる技がアート」。多くの人が、アートというと思い浮かべるファインアートは、たまたま広がった1ジャンルに過ぎない。
 では、日本人はなんでそんなにアートを求めるようになったのか。それは農耕民族ならではの苦しみがあったから。濃厚と言っても帝国主義の国は麦作が中心だが、日本は稲作が中心。
 どこでも育つ麦と違って、稲作では人々が1箇所にかたまって住むことになり、それだけにコミュニティーに属することのフラストレーションも大きい。そこで、そのフラストレーションを発散させるために、人々は心のトリップ(陶酔)を求めた。
 アートはすごい技で人々を酔わせることで、その命を救っている。
 帝国主義の国々の考え方は、ゼロサムでどこかが勝てばどこかが負ける。世の中に流通しているお金の量も基本的には一定のはずで、誰か成功して大儲けをしている人がいるということは、その影で損をしている人もいる、ということ。
 これに対して日本人は分け合って、皆で豊かになる方法を知り実践してきた。これからの世界を救うヒントもそこにある。
 ここで上野氏が自らの作品を解説した。底のない割れ壺を台にしたのは、見る人々をアっと思わせたいから。そして木片から花が覗いているが、人は花を見ると、それを人に見立てる。その花がピョンと開放的なところに顔を出し光を浴びているのを見て、人はそこに希望を感じる。
 人々は重力に抗った姿にも心を打たれる。植物というものは、そもそも重力に反して、素直に光に向かって伸びていく。形あるものが生み出す感動の多くはこの「重力への抗い」に起因している。「自分との戦いでした」と振り返るスポーツ選手も、実は重力と戦っていることが多い。人が感動するのは、その上で願望をかなえることで光に向かって素直に伸びる花はその願望を表している。
 話を戻して、日本から床の間が無くなったのは、テレビの普及と同じタイミング。我々から想像力を奪ったテレビが普及しリビングの中央に置かれたことで、床の間が消えた。
 しかし、今日、人々はテレビの代わりにスマートフォンを使い始めている。この画面の小さなデバイスをずっと眺めているのは身体的にもストレスが大きい。だからこそ、今、床の間を復活させるべきだ。
 溜飲が下がる、というのはこういうことを言うのだろう。いちいち納得しかなかった。

(他の出演者についてはFacebook投稿参照)

自分の国の良い伝統文化を語れなくて、どうやって未来に残るものを作れると言えるのか。
人々の生活を変え、社会に浸透するインフラテクノロジーを作っていると自負する人にとって、このイベントで行われたいたような新旧の文化のたしなみは必須ではないかと改めて思った。


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2020/10/18

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