SHIROSEのインスタグラム(wjf_shirose) - 9月15日 07時24分


曲を書くようになった、きっかけの話。
「中学3年生の夏」 

…(前の投稿からの続きです)

【③叫び】
たぶんちょっと
刺激的な話をしたのだろうな。
俺には普通だったが
先生は、公演のあと
沢山色んな人に
あたまをさげまくってくださった。

また呼び出された。
また「普通にしろ」とか、
なんか怒られるのかと思った。
俺、普通にしてるし、
いうことは聞くタイプなのにな。
迷惑かけてるなら申し訳ない。
あやまる準備をしてた。

でも先生は、意外にも
「シロセ君らしくて、凄かったよ。お見事!
でも、早口すぎたし声も割れてたね。
うまくなくてもいいから、ゆっくり目を見て話せば、もっと伝わるよ。」

と、素晴らしいアドバイスをくださった。
(「適当にといったのは、先生だ!」)

あの日は、息ができた。
俺のノート。誰にも見せなかったページ。
俺は、早口で、超でかい声で叫んでたらしい。
おもろいよな、自分って。
そんな叫んだ記憶ない。


【④2020年。】
とても時間がたった。
先生は、あのあと、京都の高校の校長先生になった。出世したね。

始業式では
その頃の俺の話を、自慢みたいに話してくれているという話をきいた。
「こんな生徒がいたんだよ」と。

そして、怖い先生の自慢(?)の生徒の俺は。
"SHIROSE"というアーティストになった。
今、詩や曲を書く仕事をしている。
それはきっと、先生のおかげなんじゃないかと、思っている。
曲を出すたびに、あーだこーだ言われる。
「J-popとして」とか「普通に」とか
「他の人は」
みたいなことだ。
俺、普通にしてるし、
いうことは聞くタイプなのにな。
全部、素直にきいてきたつもりではある。
迷惑かけてるなら申し訳ない。
でも、
中には、こんな俺の書いた歌を「歌いたい」
って言ってくれるアーティストもできた。
自分の人生初のソロのアルバムもできた。
たまたま好きになってくれた人を
大切にする。
だって、奇跡だし。

先生があの場所を用意してくれなかったら
たぶん、曲なんて書いてない。
歌詞になんてならず、オシイレだった。
俺一人だけの宝物だった。
あの頃、こんな自分を自慢してくれたのは
先生しかいなかった。
ファン第1号だね。

先生は、俺が気に食わなかった生徒手帳の文章まで、
変えてくれるような人だった。
大変だっただろうな。
というか、クレイジーすぎるよ。先生。

俺に良くないことが起こった時は
よくわからんけど
「泣くな!!」と、怒ってくれた。
あれは、よくわからんかったよ!
泣きたい時もあるよ!なぐさめろよ!

イジメ問題の全校集会では、いきなり
「最後にシロセ君の意見もききたい」
と、無茶振りされたときもありましたね。
俺は、生徒会では無いんですよ!!
うまくは喋れなかったし、先生には
今まで5回以上、スベらされた。


【⑤ショッぱいラブソング】
よし。
仕返しに
この内容ドンビキのアルバムを
俺のファーストアルバムを
あのクレイジー先生に贈ってみよう!
先生は、爆笑してくれそうな気がする。
先生はたしか、塩辛いフォークソングが好きだった!
同窓会でも、ショッぱいラブソングを何曲も教えてくれたね。
だから、そんな歌も入れてやったぜ。
女の子にはショッパすぎるほど
辛くて昭和な曲。

先生からみて
俺って、変わっただろうか?
アルバムをきいて、なんて思うかな?
大人になったなぁって思う?
あの頃の面影はどれくらいありますかね。
変わってない部分なんて
少ししかないか。

別にいい。
その少しを大切にしながら生きてますよ。
俺が俺な部分なんて
たった少しでいい。
それに毎日感謝してます。
先生がくれた、「俺らしさ」。
たった少し、愛してくれる人も
ありがとう。息ができる。


【⑥暗いトンネル】
今だって書いてないと息ができない。
書いてない時間は
真っ暗なトンネル。光もない。

書いたら書いたで
足にオモリとくさりを繋がれて
海に沈む。
窒息する。たまに、誰か助けて。

一生懸命いきをする。
どこまで沈むのかもわからない。
書けば書くほど沈む。
でも、信じて書く。
海底に
何があるのか、知りたいから。

…(長すぎたので次の投稿に続きます)


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2020/9/15

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