池田健三郎さんのインスタグラム写真 - (池田健三郎Instagram)「原爆罹災75年・終戦の日、戦没者に心から哀悼のまことを捧げます。 良い戦争・悪い戦争の区別があるのではなく、人間同士が愚かにも武力により殺し合い、傷つけあうことでしか問題解決を図れない事態をいかに回避するか、あらゆる当事者の不断の努力が必要です。 今日は、わたくしの政策研究の他のもう一つのライフワークである、郵便の歴史研究の材料から、これまで公開していなかったもの(昔の郵便物)をご紹介します。 いずれも原爆投下により広島・長崎で名宛人に届けることができず、郵便局から差出人に返戻された郵便物です。ともに「罹災のため返戻する」旨の印鑑が押捺されています。 1点目(左)は、昭和20年8月10日に博多から広島市・比治山本町あてに差し出された私製葉書です。「戦災のため転居先不明/広島駅前局」の罹災印が捺されています。2点目は昭和20年9月10日に八王子から広島市・中広北町あてに差し出された封書です。これには広島局の「罹災戻」という大きな印鑑が捺されて返戻されています。3点目は昭和20年8月17日に神奈川・葉山局から長崎市松山町あてに差し出された封書です。これも名宛人には届けることができず、「罹災返戻」の印鑑が捺されて差出人に戻されました。 これら3点の郵便物は、いずれも公的機関である郵便局が、罹災直後から、変わり果ててしまった広島・長崎の町で懸命に郵便物の返送作業を行ったことを示す紛れもない証拠です。 こうした郵便物が二度と出現することがないよう祈り、戦後75年の節目に画像で公開することにしました。 人々の記憶は時間と共に薄らいでいきますが、こうした郵便物たちは、いつまでも「歴史の証人」として、当時の様子を語り続けてくれます。   #戦後75年  #被爆75年目の祈り  #原爆  #広島  #長崎」8月15日 18時17分 - kenzaburo_official

池田健三郎のインスタグラム(kenzaburo_official) - 8月15日 18時17分


原爆罹災75年・終戦の日、戦没者に心から哀悼のまことを捧げます。
良い戦争・悪い戦争の区別があるのではなく、人間同士が愚かにも武力により殺し合い、傷つけあうことでしか問題解決を図れない事態をいかに回避するか、あらゆる当事者の不断の努力が必要です。
今日は、わたくしの政策研究の他のもう一つのライフワークである、郵便の歴史研究の材料から、これまで公開していなかったもの(昔の郵便物)をご紹介します。
いずれも原爆投下により広島・長崎で名宛人に届けることができず、郵便局から差出人に返戻された郵便物です。ともに「罹災のため返戻する」旨の印鑑が押捺されています。
1点目(左)は、昭和20年8月10日に博多から広島市・比治山本町あてに差し出された私製葉書です。「戦災のため転居先不明/広島駅前局」の罹災印が捺されています。2点目は昭和20年9月10日に八王子から広島市・中広北町あてに差し出された封書です。これには広島局の「罹災戻」という大きな印鑑が捺されて返戻されています。3点目は昭和20年8月17日に神奈川・葉山局から長崎市松山町あてに差し出された封書です。これも名宛人には届けることができず、「罹災返戻」の印鑑が捺されて差出人に戻されました。
これら3点の郵便物は、いずれも公的機関である郵便局が、罹災直後から、変わり果ててしまった広島・長崎の町で懸命に郵便物の返送作業を行ったことを示す紛れもない証拠です。
こうした郵便物が二度と出現することがないよう祈り、戦後75年の節目に画像で公開することにしました。
人々の記憶は時間と共に薄らいでいきますが、こうした郵便物たちは、いつまでも「歴史の証人」として、当時の様子を語り続けてくれます。

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#被爆75年目の祈り
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2020/8/15

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