八つ橋てまりのインスタグラム(temari.odebu) - 3月11日 18時31分
#東日本大震災 #9 年目。
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お話させてください。
私は、9年前の3.11福島県の浪江町というところに住んでました。
とても、いいところです。
あの頃、地震が続いてて、お昼ご飯を食べながら「大きい地震が朝方きたら、起きれないよね?」とか地震の話しをしていた。
まさか、こんなことにもなるとも知らず、、、 次の日には、お家に帰れると思っていた。お掃除が大変だなーと思いながら、次の日の朝には、立入禁止と警察に止められ、あの日から自分のお家に入ることも許されなかった。
家に入れるって行ったときには、泥棒やら動物やらで、言葉にもならないくらい、家の中が散乱してた。写真の家の中は、帰って片付けしても、次いくと、また散乱してて、それでも母は片付ける。そんな母に声もかけれなかった。
部屋の時計が、止まってた。
父が建ててくれた家は、そろそろ壊される。もう入ることが許されない。
私が、最後に家に入ったとき、2階のベランダから撮った夕日。もう、ここから見ることは出来ない。
よしくんとは全然連絡取れず、死に別れを覚悟した。そして、原発が爆発したとき、もう死んじゃうんだって思って震えが止まらなかった。
現状も、まったく分からず、ただただ不安しかなかった。
関東に逃げるって覚悟したとき、ガソリンなくて、スタンドに手を合わせたら、奇跡で入れてもらった。
そして、お父さんの透析出来る病院を、必死で探した。
病院が見つかったとき「お父さん良かったね!」と、喜んだ。
透析してるときに、看護婦さんから、透析出来なかった場合は、死ぬと一緒なんだって聞いた。と同時に、病院見つけてくれた従姉妹に感謝した。
お姉ちゃんの家に到着したときは、やっとお家で寝れるんだって安心した。
でも、よしくんとは会えてない。
心配で心配で、お願いだから生きてますようにって願ったんだ。
よしくんに会えたのは震災から2週間後くらいだったかな。
・・・・ この9年間、いろんな事があった。
怒り、悲しみ、悔しさ。
それと同時に優しさも沢山頂いた。
私が、いつも笑顔でいられるのも、応援してくれてる人がいるからだ。
同情してほしいのではない。
ここに、書き残したいのと、自分は前にすすんでるってことを知ってもらいたい😊
さぁーてと、生きっぺ😊
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2020/3/11