MAH さんのインスタグラム写真 - (MAH Instagram)「・ me with Pay money To my Pain at BLARE FEST. 2020  高校生の頃、GUNDOGが地元のライブハウスに襲来。ボーカリストが轟音の中でパーカーのフードを深く被ったまま唄う姿、アクシデントで音が止まった時、「これだから生は良いんだよ」と言い照れ笑いした姿。全てがかっこよくて、その時配られたロゴステッカーをチャリンコに貼って、毎日通学してた。  後にそのボーカリストがPTPというバンドを組んだと知った。  PTPは、俺ら世代ではcoldrainと一番対バンしていたと思う。だから、俺は一歩退いて少し遠くからPTPを見ていた。  BLARE FESTの初回である2010年の「BLARE DOWN BARRIERS」で対バンしたときも、打ち上げで楽しそうに、アツい会話をするMasatoとK君の姿を、テーブルを挟んだ目の前でただ眺めていた。Masatoが俺に話を振ったりしてくれたが、二人の邪魔をするような感じがして、聞こえないフリをして隣の仲間と喋っていた。  少し経って、「This Life」の映像にもなったAIR JAM 2011が開催された。その時に書いたブログの内容について、K君から電話があった。「ああいう書き方はやめた方がいいんじゃない?」と。俺としてはAIR JAM世代のレジェンド達の凄さを書きたかったのだが、稚拙な表現力のせいで一部誤解を招いてしまったからだ。本当に後悔したし、わざわざ注意してくれたK君に感謝し、改めて尊敬したとともに「嫌われちゃったな…」とも思った。こいつダメだなと思われただろうな、と。でもそれも俺の低レベルな邪推に過ぎなかった。  翌年に入ってから徐々に対バンする機会も増えていき、遂にはPTP主催イベント「HOUSE OF CHAOS 〜high definition〜」(2012.9.6)に呼んでもらった。  打ち上げでK君から「これからもっと一緒にやってこうよ!」と言われた時は、社交辞令なんて一切言えない真っ直ぐな人だってわかってたから心底嬉しかった。やっと仲間と思ってもらえた。これから対バンを繰り返して行くうちに、いつかはひとりのボーカリストとしても、認めてもらえるかもしれない。そう思った。  3ヵ月後の、大晦日。  横浜F.A.Dで年内最後のライブを終えた直後、マネージャーからK君の死を告げられた。  告別式で会ったK君は、眠っているようにしか見えなかった。  そのまま、参列者全員で生前のK君も含め当時バンドマン達が毎日集まっていたBARへ行き、泣きながら語り合った。ZAX君から「coldrain、SiM、これからはお前らに任せたからな」と言われたけれど、俺はまだPTPが止まるって事を理解できずにいた。途中トイレに立った時も、「おう、お疲れ」とK君がトイレから出てくるんじゃないかって気がしてた。  3.8の追悼献花式は、当時渋谷の聖地的ライブハウスだったSHIBUYA-AXで行われた。その20日後に同会場でcoldrain / SiMのヘッドライナーツアーが控えていたため、それぞれPTPのカバーをやろうと話し合い、SiMは「Weight of my pride」を選んだ。歌詞も間違えるし歌も下手くそだけど、必死に唄った。K君に聞いて欲しかった。  BLARE FEST. 2020で再び、そして今回はPTPの楽器陣と一緒に演奏するとなって、ステージに出て行く直前までゲロ吐きそうなくらい緊張してたし、1人でスタジオに入って練習もしたのに結局本番では一箇所歌詞を間違えたし、全然思うように唄えなかった。すみません。「俺の方がうめえな」と笑ってただろうな。 当たり前だよ(笑)  スタジオ練習の途中、ふと考える瞬間があった。  今年、俺は34歳になる。 K君は31歳。  いつのまにか、俺の方が歳上になっていた。 俺の知っているK君の姿は、今となっては全部歳下のバンドマンの姿ということだ。  「K君が歳下?は?なんで?」  「あぁ、そうか。K君死んじゃったんだもんな。」  7年経ってようやく、K君の死を実感した。     K君、ありがとう。  みんな長生きしようぜ。   #PTP #paymoneytomypain #SiM #ブレアフェス  📸 1-2 @yamada_mphoto  📸 3-4 @nekoze_photo」2月4日 11時13分 - mahfromsim

MAH のインスタグラム(mahfromsim) - 2月4日 11時13分


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me with Pay money To my Pain at BLARE FEST. 2020

高校生の頃、GUNDOGが地元のライブハウスに襲来。ボーカリストが轟音の中でパーカーのフードを深く被ったまま唄う姿、アクシデントで音が止まった時、「これだから生は良いんだよ」と言い照れ笑いした姿。全てがかっこよくて、その時配られたロゴステッカーをチャリンコに貼って、毎日通学してた。

後にそのボーカリストがPTPというバンドを組んだと知った。

PTPは、俺ら世代ではcoldrainと一番対バンしていたと思う。だから、俺は一歩退いて少し遠くからPTPを見ていた。

BLARE FESTの初回である2010年の「BLARE DOWN BARRIERS」で対バンしたときも、打ち上げで楽しそうに、アツい会話をするMasatoとK君の姿を、テーブルを挟んだ目の前でただ眺めていた。Masatoが俺に話を振ったりしてくれたが、二人の邪魔をするような感じがして、聞こえないフリをして隣の仲間と喋っていた。

少し経って、「This Life」の映像にもなったAIR JAM 2011が開催された。その時に書いたブログの内容について、K君から電話があった。「ああいう書き方はやめた方がいいんじゃない?」と。俺としてはAIR JAM世代のレジェンド達の凄さを書きたかったのだが、稚拙な表現力のせいで一部誤解を招いてしまったからだ。本当に後悔したし、わざわざ注意してくれたK君に感謝し、改めて尊敬したとともに「嫌われちゃったな…」とも思った。こいつダメだなと思われただろうな、と。でもそれも俺の低レベルな邪推に過ぎなかった。

翌年に入ってから徐々に対バンする機会も増えていき、遂にはPTP主催イベント「HOUSE OF CHAOS 〜high definition〜」(2012.9.6)に呼んでもらった。

打ち上げでK君から「これからもっと一緒にやってこうよ!」と言われた時は、社交辞令なんて一切言えない真っ直ぐな人だってわかってたから心底嬉しかった。やっと仲間と思ってもらえた。これから対バンを繰り返して行くうちに、いつかはひとりのボーカリストとしても、認めてもらえるかもしれない。そう思った。

3ヵ月後の、大晦日。

横浜F.A.Dで年内最後のライブを終えた直後、マネージャーからK君の死を告げられた。

告別式で会ったK君は、眠っているようにしか見えなかった。

そのまま、参列者全員で生前のK君も含め当時バンドマン達が毎日集まっていたBARへ行き、泣きながら語り合った。ZAX君から「coldrain、SiM、これからはお前らに任せたからな」と言われたけれど、俺はまだPTPが止まるって事を理解できずにいた。途中トイレに立った時も、「おう、お疲れ」とK君がトイレから出てくるんじゃないかって気がしてた。

3.8の追悼献花式は、当時渋谷の聖地的ライブハウスだったSHIBUYA-AXで行われた。その20日後に同会場でcoldrain / SiMのヘッドライナーツアーが控えていたため、それぞれPTPのカバーをやろうと話し合い、SiMは「Weight of my pride」を選んだ。歌詞も間違えるし歌も下手くそだけど、必死に唄った。K君に聞いて欲しかった。

BLARE FEST. 2020で再び、そして今回はPTPの楽器陣と一緒に演奏するとなって、ステージに出て行く直前までゲロ吐きそうなくらい緊張してたし、1人でスタジオに入って練習もしたのに結局本番では一箇所歌詞を間違えたし、全然思うように唄えなかった。すみません。「俺の方がうめえな」と笑ってただろうな。
当たり前だよ(笑)

スタジオ練習の途中、ふと考える瞬間があった。

今年、俺は34歳になる。
K君は31歳。

いつのまにか、俺の方が歳上になっていた。
俺の知っているK君の姿は、今となっては全部歳下のバンドマンの姿ということだ。

「K君が歳下?は?なんで?」

「あぁ、そうか。K君死んじゃったんだもんな。」

7年経ってようやく、K君の死を実感した。




K君、ありがとう。

みんな長生きしようぜ。


#PTP
#paymoneytomypain
#SiM
#ブレアフェス

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2020/2/4

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