三木道三のインスタグラム(dozan11) - 11月15日 17時09分


先日、長年俺の曲やライブ活動のプロデュースをしてくれた山本さんがガンで亡くなった。 

俺が所属してた「大和Recordings」っていうのは彼が外国で「ヤマート」って言い間違えられるのと、日本代表のつもりでやろう、ってことで名付けられた。

俺らの活動や文化が仕事になるかもまだ全然わからない時代から凄い行動力、アイデア、ユーモア、音楽知識、ビジネスセンス、音楽/レゲエ/ヒップホップ文化への強く深い愛情で、俺の活動を、ちゃんと形にし続けてくれたパートナーやった。

96年にマイアミ空港でお互いジャマイカの帰りに出会って、大阪で一緒にミックステープ作って、CD作って、ライブして、ヒット曲出してツアーして、DVD作って、と2002年に俺が引退するまで、二人三脚の非常に濃ゆい時間を共にした。

ライブのバックDJもしてくれていたから、ツアーや、制作で国内外70回は確実に一緒に旅をした。

なのでその頃に交友してくれた人達は、山本さんの訃報を聞いてすぐ俺を連想する人も多いし、俺の東京のヒップホップ関係の友人は大部分が山本さんを通じての縁やな。

彼は日本のヒップホップ、レゲエの兄弟的付き合いに大いに貢献した1人で、関西方面では絶大にその役割を果たした。

そこから作品も多く生まれたし、交友関係や両ジャンルのポジティブな刺激し合いも彼が触媒になったところは振り返って相当大きいと思う。

俺の引退後、彼は様々なレゲエアーチストの制作に携わるようになっていったけど、俺自身も山本さんと「またちょっとレコーディングしてみよか」という場面がたまにあった。
しかし、その機会は俺の体調不良で何回か流れて、俺が2014年にステージ活動再開の際に出したアルバム「Japan be Irie!!」の収録曲は半分以上彼に録音してもらい、また大いに勉強させてもらったけど、彼のプロデュースとマネージメントでの再活動、とはならなかったので、
ずっとお互い考え続けた「また2人でタッグ組んで」というのは実現せずじまいになっちゃった。(そういや「Lifetimeー」の「女編」ってのも一緒に作ったから、実はこれが最後の共作かな)

その後、現在ほとんど連絡を取り合っていない時期であったところの訃報やったから衝撃が大き過ぎた。

それも、アサオの死だけでも、まだ全然消化しきれていないタイミングで....。

関西の2大プロデューサーが相次いで他界。裏方の巨人達がドンドン姿を消す。

それだけでも衝撃なのに、皆その人が死んだら真っ先に俺の顔名前が出てくるという2人が半年の間に...。


山本さんは更に、「故人の望みで通夜も葬式も無し」だったので、ちゃんとお別れを言うタイミングもなく、
「山本さんらしい.....!!」と、なりながら俺も共通の友人達も大いに戸惑っていたところ、ZeebraとHab I Screamが
「俺らはホントにお世話になったから、せめて集まって語り合おう」と言ってくれて先日、渋谷で「山本さんを偲ぶ会」をやれた。

金曜だったので、みなライブなどで集まりにくかったし、心はまだ全然整理しきれてないけど、最長20年ぶりとかの人が集まって、
「あれも山本さんだった、ここも山本さんが繋いでた」という感じで皆で振り返って色々話せて、来てくれた人も
「ちょっと気持ちに区切りつけれました」と言ってくれたりしたので、まぁやれて良かった..。
Zeebraはアサオの時もWREPで追悼番組やってくれてホントに優しいよ。
山本さんが繋いでくれた友人達にこうして救われるってのも“後効き”してくる言動が多い山本さんらしさでもある。(この為に写真探したけど、アサオ同様山本さんも全然写真がない。自分は写真を撮る方であって撮られる方ではない、っていう裏方魂。だからこの表紙にも山本さんの写真は使わない。)

大阪でも似たようなことやるかはまだ考え中....。 

「通夜葬儀なし」は、彼自身が「生きてる時の顔の方をその人の印象にしときたい」と言ってお葬式を嫌っていたので、一貫してるんやけど、
残された方としたら凄くモヤモヤしてしまう、ってことが今回よく分かった。

誰かの人生ってその人だけのものでは全然ないよな。 

文字が入りきらないので次に続く…。


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2019/11/15

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