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山口蛍のプロフィール

名前:山口蛍(サッカー選手)
生年月日:1990年10月6日
出身地:三重県

2人兄弟の次男として生まれた山口蛍。“蛍”という名前は、もともとサッカーをやっていた父が、「どんな暗闇でも明るい光を放ち続けられますように」という願いを込めて名付けられたものだ。山口蛍の父は、小学校から高校1年生のときまでサッカーを続けたのち、社会人チームでもサッカーで活躍したことでその経験から「箕曲WEST S.C(現・箕輪ウエストサッカークラブ)」のコーチに抜擢された。そこで、父親は2人の息子に自身がコーチを務める「箕曲WEST S.C」でサッカーを教えていたそうだ。山口蛍が父親にサッカーの基本を教わりはじめたのは、小学校3年生のころ。先にはじめていた兄の影響が大きかったとか。父親にサッカーを教えてもらっていたこのころ、「ボールを細かく触ること」や「一対一なら仕掛けること」などと父親によく言い聞かされながらサッカーに励んでいたため、父によって技術を磨くトレーニングを多く教わっていた。ちなみに小学校時代の山口蛍のポジションはトップ下が多かったんだとか。
中学校に上がるのを機にセレッソ大阪、ガンバ大阪、京都パープルサンガF.C.のジュニアユースの入団テストを受け、入団テスト受験当日に合格の電話が来たセレッソ大阪へ入団を決めた。セレッソ大阪のジュニアユースに入ったのは、もちろんプロを目指してのことだったものの、山口蛍がセレッソ大阪U-15に入団して最初に感じたのは、自分が一番下手だという劣等感だったそうだ。そのため、小学校時代、父に叩き込まれたサッカーの基礎を繰り返し練習し、積み重ねることで中学校1年生が終わるころには、日本サッカー協会のエリートプログラムの1期生に選ばれるほどに成長をし、自分でもサッカーの伸びを実感できたようだ。このころ、セレッソ大阪のジュニアユースでも飛び級して中学2年生チームの練習に参加できるようになっていたのだ。

順調に見えた中学時代だが、ここでは多くの努力があった。というのも、山口蛍の自宅から練習場までは片道約1時間。当時中学生ながらも、練習のある日は毎日午後9時くらいまで練習していたそうだ。練習終わりに駅に迎えに来るのは、父親。山口蛍とその兄に好きなサッカーをやらせたいと、山口蛍が小学校4年生ぐらいのときに離婚してから、男手一つで2人の息子たちを育てた父親は、朝から深夜まで働きづめだったそうだ。そんななかサッカーをする環境を獲得し、多くの人に認められ、高校進学と同時にセレッソ大阪のユース昇格が決まっていた山口蛍は、1ヶ月半ほどサッカーと距離を置くことがあった。中学時代、サッカーに打ち込んでいた山口蛍にとって、地元の友だちと遊ぶ機会があった中学の終わり頃、パッとサッカーの練習へ行くモチベーションが途絶えてしまったという。ジュニアユースで活躍したからといって、ユースにあがれることは容易ではないなか、山口蛍はユースへの昇格が決まっていたにも関わらず練習を休んだそうだ。
それでもなんとなく練習に行けなかった山口蛍の背中を押したのは、家族やチームメイト。サッカーの基礎を叩き込んでくれた父は、常に練習に行けと声を掛け続け、祖母も「また応援に行きたい」とサッカーを続けることを提案していたそう。そして、セレッソ大阪ユースの監督やチームメイトから、練習に来ない山口蛍をやめさせないでという声に支えられ、山口蛍は無事サッカーの道へと戻ることができたそうだ。そして2006年にセレッソ大阪U-18に昇格すると、2008年にはセレッソ大阪U-18のキャプテンに選ばれた。その年に開催された「高円宮杯U-18サッカーリーグ プリンスリーグ」では、見事セレッソ大阪U-18を優勝に導き、リーグMVPに選出される華々しい高校生活を送ることとなった。

そして高校卒業とともに2009年に当時J2のセレッソ大阪のトップチームへ昇格。Jリーグ戦プロデビューを果たす前に3ヶ月間ブラジル全国選手権セリエA・パルメイラスに留学。グラウンドの状態が悪いなかでもしっかりサッカーをするブラジル人たちといっしょに激しい練習に励んでいたそうだ。そしてブラジル留学から戻った同年10月の愛媛FC戦で先発としてプロ初出場を果たしてチームは勝利したものの、自分の持ち味を出すことはできず、プロ1年目、2年目の出場機会はわずかなものだった。そんななか、セレッソ大阪は2010年にJ1へ昇格。山口蛍はというと、Jリーグの最後の節に関わるという事情があって、各クラブの控えメンバーを中心としたU-21日本代表のメンバーに選ばれて広州で行われた第16回アジア競技大会に出場。控えメンバーで結成された日本代表チームだったこともあり、“1.5軍”や“雑草”と揶揄されたこともあったが、蓋を開けてみるとその揶揄を「見返してやる」と臨んだ彼らこそが日本にアジア大会初優勝をもたらすという偉業を成し遂げたチームとなった。山口蛍はこの大会で球際でいかに競り勝つかを意識するようになったそうだ。
この広州アジア大会での活躍をきっかけに、所属チームであるセレッソ大阪での出場機会も2011年からじわじわ増えるようになり、同年8月の浦和レッズ戦で自身プロ公式戦初ゴールを決めた。勢いがついた山口蛍は続けてロンドンオリンピックのアジア予選にも出場し、その後ロンドンオリンピックU-23サッカー日本代表にも選ばれると、本大会に全試合フル出場を果たし、オリンピックではメキシコオリンピック以来、44年ぶりのベスト4進出に貢献した。

ロンドンオリンピックだけでなく、2012年は所属チームのセレッソ大阪で開幕からレギュラーを掴む好スタートを果たしていた。しかし、チームはというと、主力選手たちが相次いで移籍していたこともあって、J1で下位に低迷する苦しいシーズンとなった。そんななかでも山口蛍はチームに貢献し、リーグ戦30試合に出場した。2013年もセレッソ大阪はJ1で下位という厳しいシーズンとなったがなんとか持ちこたえ、迎えた2014年、山口蛍は自ら志願し、セレッソ大阪のキャプテンへと就任した。キャプテン就任後、セレッソ大阪を率いていた山口蛍は8月のFC東京戦で怪我をし、試合を途中退場。その後検査を受けると、右ひざ外側半月板損傷だったことが判明し、手術を受け、全治3ヶ月と診断された。怪我の診断が下ったのが9月終わりごろだったことから、山口蛍のシーズン中のリーグ戦復帰は絶望的となり、キャプテンを失ったセレッソ大阪は17位でリーグを終え、2015年からはJ2降格が決まってしまった。J2降格が決まったこともあり、シーズンオフには海外クラブへの移籍も検討したものの、セレッソ大阪に残留を決め、2015年シーズンから山口蛍は怪我から復帰した。
怪我から復帰した山口蛍は、2015年に行われたキリンチャレンジカップで日本代表にも復帰し、8月には東アジアカップ2015で国際Aマッチ初得点を獲得するなど、怪我の影響を感じさせない活躍を見せた。しかし所属チームのセレッソ大阪の成績は振るわず、2015シーズンはJ2・4位で終えると、J1昇格も逃した。そんななか、山口蛍にはドイツのトップリーグであるブンデスリーガのハノーファー96への移籍が決まり、2016年1月にブンデスリーガ初出場を果たした。ついに山口蛍がブンデスリーガで羽ばたくか、と期待されたところ、3月に日本代表として出場したワールドカップアジア2次予選兼アジアワールドカップ予選でシリアと対戦し、シリア選手のMムバエドと激しく接触。Mムバエドの頭が顔面に入ってしまい、山口蛍は大量の出血をしていたため短歌で運ばれた。このときの怪我は、鼻と眼窩底の骨折。この怪我の影響で山口蛍は試合出場の機会を逃し、ハノーファー96もブンデスリーガ2部への降格と苦しいスタートとなってしまった。

そしてドイツリーグでの出場が6試合というなか、移籍から半年で古巣のセレッソ大阪へ復帰。ファンは待ち望んでいたものの、ドイツから戻るのは早すぎるという声もあるなか、怪我や家族の事情もあり、山口蛍本人の意志でセレッソ大阪への復帰を決めたそうだ。セレッソ大阪復帰後、もちろんチームの主力として活躍している山口蛍は、2016年10月に日本代表としてロシアワールドカップ最終予選のイラク戦で決勝ゴールを決めるなど、日本代表としても存在感を増している。そして2017年にはジュニアユース・ユースとセレッソ大阪を経験した選手としてはじめた背番号「10」番を背負うこととなり、本格的にセレッソ大阪でプレーすることを印象付けた。そんななか、同年11月4日、所属するセレッソ大阪のトレーニング中に負傷し、検査の結果、全治およそ3週間の右腓腹筋筋損傷と診断された。このシーズンはそれまでの全リーグ戦に出場していたこともあり、この怪我で初めての欠場。また、日本代表としても活躍していたこともあり、日本代表戦への出場が常に期待させていたのだが、この怪我により、同年12月に開幕したEAFF E-1 サッカー選手権 2017にも参加できなかった。幾度も怪我に悩まされる山口蛍だが、今回も怪我を乗り越えて2018年にはセレッソ大阪のキャプテンへ就任。預かっていた10番をチームメイトの清武弘嗣に託し、ブンデスリーガ移籍前に背負っていた6番に変更した。
好調期が来ては怪我に挫かれる山口蛍だが、日本代表で活躍するほどの注目度もあるため、髪型も格好いいと評判だ。山口蛍が見せる髪型の特徴はサイドが短すぎないサイドツーブロックや、トップ部分をサイドに寄せたコームオーバースタイル。また、髪色は金髪や黒髪、そして金と黒のミックスなどおしゃれなのだ。そのため、山口蛍の髪型はサッカー選手というよりもEXILEや三代目J Soul Brothersといった印象が強く、山口蛍の髪型を真似するのはサッカー男子たちだけではないとか。ファッションも注目されるようになったサッカー選手のなかでも悪評判があまりない山口蛍の髪型は、本人の雰囲気にとても合っているようだ。怪我に悩まされながらも、日本代表の主力選手として確実に存在感を出している山口蛍。今後も山口蛍のプレーや髪型が注目されていくだろう。

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