坂元美香のインスタグラム(mika_saka) - 5月14日 23時45分
#坂元弾丸一人旅!
④#無動寺明王堂
ここには阿闍梨(あじゃり)さんがいらっしゃって
ほぼ毎日11:00から護摩があり
前日までにお電話をしておくと
護摩の後にお昼食をいただくことができ
その後お部屋に通していただき
阿闍梨さんとお話もできます。
(もちろんお気持ち料はお持ちします)
この日は11:00に間に合わないから
お参りのみで訪問したのですが、
こんな雨の中訪れたのは私一人だけだったらしく
もし電話していたら阿闍梨さんとマンツーマンで
お昼食してお話もできたとのことでした。
あーもったいないことした🤣
お堂で手を合わせ家族分の護摩木を書き
明日の祈祷をお願いしました。
我が家はいつも身体健康のみ。
元気があれば何でもできる!
それ以外のことは知恵と努力で
各自なんとかしてください、というスタンス🤣
では、超絶長くなりますが
なぜここに来たのか書きます。
私の母はある時 薬害で間質性肺炎になりました。
血液検査ではリウマチじゃないのに
「そういうリウマチもあるから」と薬を処方され
信じて飲んだ母の肺はレントゲンで真っ白に!
あの悔しさと怒りは忘れられません。
その後、間質性肺炎になると肺がんを患う可能性が
高いと聞いていたので4ヶ月に一回は
胸部内科で肺のCTを撮っていました。
それなのに…
あり得ないことに医師が見落とし
見つかった時はステージⅣの末期癌でした。
こんなに咳が出るのはおかしいと母が訴えても
医師は「間質性肺炎の後遺症です」しか言わないから
私が行って「そんなはずはない!
もう一度よく調べて!
後遺症でこの咳はおかしいでしょ!」と
ものすごい剣幕で強く訴え検査した結果がこれ。
癌は巨大で大動脈に浸潤しており手術は不可。
できることは抗がん剤のみ。
3年 生きられる確率は約20%と言われました。
すぐに胸部内科から胸部外科へ移り
過去のデータを見てもらったら
だいぶ前から癌は見えていて
気づけなかった胸部内科の医師に非があると
外科の先生も仰っていました…
今すぐ走って行って殴ってやりたい!
と本気で思いました。
悔しいし悲しいし絶望的でした。
他の病院へ転院するか悩んだり
保険のきかない最新医療を調べたりしたけど
そんな大金は我が家には無理…
もう何もできない、無力…祈るしかない…
もし本当に神様がいたら助けて…
と苦しんでいたときに
比叡山無動寺の阿闍梨さんのお話を聞いたのです。
「ご利益があるかどうかはわかりませんが
1ヶ月護摩祈祷というのがあるから
行ってみてはどうですか?
気持ち的には落ち着くと思いますよ🙂」と。
その翌週には母を連れて無動寺を訪れました。
山道を何度も休み休み歩きながら。
無動寺で30日分の闘病平癒の護摩木を書き
「ご希望の日から始められます
いつからにしますか?」と言われたので
その日からお願いしました。
そして、阿闍梨さまと昼食をいただいたあと
お話をさせていただけるのですが
それがとても心休まる時間で
母の心の拠り所にもなっていました。
どんなお話をするのかというと
本当に普通の世間話だったり
来てる方の悩みや質問だったり。
常連の方から先祖代々来てる方
久しぶりに来た方、そしてうちみたいに初めての者。
みんなでおしゃべりをする感じです。
母はとても楽しんでいました😌
それから1ヶ月後、事態は一変し
癌を摘出できる可能性は50%だけど
手術ができることになり
最短で3ヶ月後に手術が決まりました。
手術の前、神にすがる思いで
3歳の息子を連れてまた無動寺を訪れ
今度は手術日に合わせて1ヶ月祈祷をお願いしました。
長い手術でしたが大動脈に浸潤しているはずの癌が
奇跡的にスルっと取れたと先生が笑顔で話してくれて
崩れて大泣きしたのを覚えています。
それから抗がん剤が始まる頃
また1ヶ月祈祷をお願いしたり
(お寺を訪れなくても電話でもお願いできるのです)
退院して動けるようになったら
母とお礼参りをしたりと毎年訪れていました。
阿闍梨さんがお山を降りて
琵琶湖沿いの伊崎寺に移られてからも
無動寺のあとに伊崎寺に寄るというのが
我が家のコースでした。
いつの間にか母は元気になり
何度か癌は再発はしましたが
人間には必ず最後に死別は訪れるもの。
末期癌といわれてから7年も生きることができました。
いつかお別れが来るのを覚悟しながらの7年。
親孝行できる贅沢な時間で
たくさんハワイへ行ったし息子の七五三や
ランドセル姿も見せられた。
それなのに母が亡くなってから7年。
一度もお礼参りに来ていなかったのです💦
心のどこかに行きたいという思いがあったのに。
これが今回無動寺を訪れた理由です。
私は無宗教だし占いや風水、霊感とかも
まったく信じない人間なのですが
ここだけは特別な思いがある場所。
もう何も手段がない…どうにもできない
最後の最後にすがる場所です。
あの苦しい10年間は多くのことが重なり
人生で一番辛い時間でした。私の地獄。
だからこそ特別なことがない今の毎日でも
とても幸せな気持ちで生きることができています。
今思えば必要な経験だったのかもしれません。
旅はつづく…
#お礼参り
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2022/5/14