丘咲エミリさんのインスタグラム写真 - (丘咲エミリInstagram)「「自由とは」  先日 @synchronicity.community  のメルマガにて配信した内容です。  コミュニティでのコンテンツをここにシェアすることは基本的にありませんが、私的にかなーり発信したい内容だったので、ここにも載せます🙏  「自由が欲しい」 「自由になりたい」  よく皆んなが言う、その「自由」とは一体なんなのだろうか?  「本当にあんたは自由人だよね」  私は物心ついた頃から今の歳になっても、そう言われ続けているし、自分でも、自由人だと認識しているし 束縛や拘束は大嫌い。  だからこうして自分で仕事も作っているし、人からとやかく言われないよう、自立しているつもり。  そんな私がたまに感じる 「俺は私は、自由人だから」という "言い訳"   私は、許される自由な時間や自由なライフスタイルを築くまで、数多くの不自由と戦ってきました。  だからこそ思うことも多々あります。  私の価値観で言うと、 自由とは、数多くの不自由の中に存在していて、不自由がなければ、自由もない。という事である。  だからこそ、たまに耳にする 自由人だからという"言い訳"が耳に触ったりもする。  自立してこその自由があるだろうし それは、例えば、 子供が親の管理下で育つのは、まだ子供が自立していないから、であるし、逆に自立したなら管理下から離れるのだろうし…  管理されない=自由という受け取り方もできる。  そのかわり、自分で管理しなければならない、という責任がある為、それが自由なのか?と聞かれれば、  自由でありながらとても不自由である、と私は答える。  事務所に所属していた頃、 身の回りの世話、仕事のスケジュール管理、全てをマネージャーさんが行い、私は自分で自分のことを管理する必要がないという生活を過ごしていた。  スケジュールをメモらなくていいし 営業電話も全て代行でしてくれるし 、何せとても便利で自由だった、はず。  しかし、その頃わたしが感じていた事は、 "あー息がつまる"   人はとても無いものねだりな生き物で、便利は不自由、不便は自由 ♾  だからこそ、自由の定義はとても難しいだろう。  「自由に生きたいんです!」 という人に、私は「自由ってなに?」と聞く。  答えられた人は過去に1人もいない。  いきなりパッと答えられる、定義付けがないものなのだろう。  自分にとっての自由を突き詰めていった末、私は今の自分が存在している、と思っている。  "自分らしく、自由に生きていきたい"  しかし、これにはいくつもの条件がつく。  人に迷惑をかけないだとか、秩序を乱さない、だとかそんな当たり前のことである。  その条件をクリアしていれば、自分が描く自由な人生を歩んでも誰からも文句は言われないだろう。  "言い訳"と私が受け取る自由とは 秩序を乱したり、人に迷惑をかけたりしながら、私は俺は自由人だから仕方がないんだ、という感じで発言する人のことで、  迷惑をかけた事実を 「自由人だから」で片付けてしまう内は、自由人には、なれない。  周りも世間もそれを許さないし 自我だけで貫いても、息が詰まる時が必ず来るからである。  その時に、「理解されない」 「不自由だ」と深く感じる。  これは昔の自分がそうだったので、よくわかる。  自分が描く、自由な人生を送る為には↓  ・自立 ・社会との適合性(許されるかどうか)  が、とても重要になってきます。  この上記二つはクリアしていないと、ただのダメ人間になってしまう、という事を忘れずに、自分らしい自由な人生を送れるように励みたいものですね^_^  "だから" ではなく "だけど"が言える人になろう^_^  写真スクロール→ 最近の私の作品達とお気に入りキャンドル💖  #自由とは #自由人になりたい #自由の定義 #言い訳にしない #キャンドル製作 #キャンドルのある暮らし」8月30日 2時02分 - emiri.okazaki_official

丘咲エミリのインスタグラム(emiri.okazaki_official) - 8月30日 02時02分


「自由とは」

先日 @synchronicity.community
のメルマガにて配信した内容です。

コミュニティでのコンテンツをここにシェアすることは基本的にありませんが、私的にかなーり発信したい内容だったので、ここにも載せます🙏

「自由が欲しい」
「自由になりたい」

よく皆んなが言う、その「自由」とは一体なんなのだろうか?

「本当にあんたは自由人だよね」

私は物心ついた頃から今の歳になっても、そう言われ続けているし、自分でも、自由人だと認識しているし
束縛や拘束は大嫌い。

だからこうして自分で仕事も作っているし、人からとやかく言われないよう、自立しているつもり。

そんな私がたまに感じる
「俺は私は、自由人だから」という
"言い訳"

私は、許される自由な時間や自由なライフスタイルを築くまで、数多くの不自由と戦ってきました。

だからこそ思うことも多々あります。

私の価値観で言うと、
自由とは、数多くの不自由の中に存在していて、不自由がなければ、自由もない。という事である。

だからこそ、たまに耳にする
自由人だからという"言い訳"が耳に触ったりもする。

自立してこその自由があるだろうし
それは、例えば、
子供が親の管理下で育つのは、まだ子供が自立していないから、であるし、逆に自立したなら管理下から離れるのだろうし…

管理されない=自由という受け取り方もできる。

そのかわり、自分で管理しなければならない、という責任がある為、それが自由なのか?と聞かれれば、

自由でありながらとても不自由である、と私は答える。

事務所に所属していた頃、
身の回りの世話、仕事のスケジュール管理、全てをマネージャーさんが行い、私は自分で自分のことを管理する必要がないという生活を過ごしていた。

スケジュールをメモらなくていいし
営業電話も全て代行でしてくれるし
、何せとても便利で自由だった、はず。

しかし、その頃わたしが感じていた事は、 "あー息がつまる"

人はとても無いものねだりな生き物で、便利は不自由、不便は自由 ♾

だからこそ、自由の定義はとても難しいだろう。

「自由に生きたいんです!」
という人に、私は「自由ってなに?」と聞く。

答えられた人は過去に1人もいない。

いきなりパッと答えられる、定義付けがないものなのだろう。

自分にとっての自由を突き詰めていった末、私は今の自分が存在している、と思っている。

"自分らしく、自由に生きていきたい"

しかし、これにはいくつもの条件がつく。

人に迷惑をかけないだとか、秩序を乱さない、だとかそんな当たり前のことである。

その条件をクリアしていれば、自分が描く自由な人生を歩んでも誰からも文句は言われないだろう。

"言い訳"と私が受け取る自由とは
秩序を乱したり、人に迷惑をかけたりしながら、私は俺は自由人だから仕方がないんだ、という感じで発言する人のことで、

迷惑をかけた事実を
「自由人だから」で片付けてしまう内は、自由人には、なれない。

周りも世間もそれを許さないし
自我だけで貫いても、息が詰まる時が必ず来るからである。

その時に、「理解されない」
「不自由だ」と深く感じる。

これは昔の自分がそうだったので、よくわかる。

自分が描く、自由な人生を送る為には↓

・自立
・社会との適合性(許されるかどうか)

が、とても重要になってきます。

この上記二つはクリアしていないと、ただのダメ人間になってしまう、という事を忘れずに、自分らしい自由な人生を送れるように励みたいものですね^_^

"だから" ではなく
"だけど"が言える人になろう^_^

写真スクロール→
最近の私の作品達とお気に入りキャンドル💖

#自由とは #自由人になりたい #自由の定義 #言い訳にしない #キャンドル製作 #キャンドルのある暮らし


[BIHAKUEN]UVシールド(UVShield)

>> 飲む日焼け止め!「UVシールド」を購入する

1,796

28

2021/8/30

ルミカのインスタグラム
ルミカさんがフォロー

丘咲エミリを見た方におすすめの有名人