原日出子さんのインスタグラム写真 - (原日出子Instagram)「忘れてはいけない この日…  カトリック教会のローマ法王庁が教会関係者に向け配布したことで世界的にも知られることになった米国の従軍カメラマン故ジョー・オダネル氏が45年に撮影した「焼き場に立つ少年」の写真。長崎の写真です。本日、長崎の原爆の日。 .  昭和20年8月9日午前11時02分、長崎に原爆が投下されました。原爆は浦上地区の中央で爆発し、この地区を壊滅させました。被災して亡くなった方々の遺体を焼いているところに、幼い弟(妹?)を背負い、はだしで、歩いてきた少年。 男の子は泣いちゃいけない、精いっぱい、涙をこらえて、直立不動の姿勢をとり、唇に血がにじむほど、歯を食いしばっていた少年。こんなちいさな少年でも、その頃の日本人は立派な、サムライだったのです。(ちいさくても強いサムライより) ***** この写真を撮ったのは、米従軍カメラマンのジョー・オダネル氏です。氏はこの写真に次のようなコメントを残されています。 佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。10歳くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中にしょっています。 少年の様子はあきらかに違っていました。重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、強い意志が感じられました。足は裸足です。 少年は焼き場のふちまでくると、硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしています。少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクをした男たちがおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。私は、背中の幼子が、すでに死んでいることに気づきました。 男たちは幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がりました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。 その時です。炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気づきました。少年があまりにきつく噛みしめているため、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。 夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。背筋が凍るような光景でした。 (インタビュー・上田勢子) [朝日新聞創刊120周年記念写真展より  #長崎原爆の日 #黙祷 #この子たちの夏 #戦争放棄」8月9日 17時07分 - hara_hideko

原日出子のインスタグラム(hara_hideko) - 8月9日 17時07分


忘れてはいけない この日…

カトリック教会のローマ法王庁が教会関係者に向け配布したことで世界的にも知られることになった米国の従軍カメラマン故ジョー・オダネル氏が45年に撮影した「焼き場に立つ少年」の写真。長崎の写真です。本日、長崎の原爆の日。
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昭和20年8月9日午前11時02分、長崎に原爆が投下されました。原爆は浦上地区の中央で爆発し、この地区を壊滅させました。被災して亡くなった方々の遺体を焼いているところに、幼い弟(妹?)を背負い、はだしで、歩いてきた少年。
男の子は泣いちゃいけない、精いっぱい、涙をこらえて、直立不動の姿勢をとり、唇に血がにじむほど、歯を食いしばっていた少年。こんなちいさな少年でも、その頃の日本人は立派な、サムライだったのです。(ちいさくても強いサムライより)
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この写真を撮ったのは、米従軍カメラマンのジョー・オダネル氏です。氏はこの写真に次のようなコメントを残されています。
佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。10歳くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中にしょっています。
少年の様子はあきらかに違っていました。重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、強い意志が感じられました。足は裸足です。
少年は焼き場のふちまでくると、硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしています。少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクをした男たちがおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。私は、背中の幼子が、すでに死んでいることに気づきました。
男たちは幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がりました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
その時です。炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気づきました。少年があまりにきつく噛みしめているため、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。背筋が凍るような光景でした。
(インタビュー・上田勢子)
[朝日新聞創刊120周年記念写真展より

#長崎原爆の日
#黙祷
#この子たちの夏
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2021/8/9

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