豊永阿紀さんのインスタグラム写真 - (豊永阿紀Instagram)「特別な一日のはじまり。  日付が変わるとともにカウントダウンの数字は刻み出し、朝のようですでに9/24時間を消費している。  この歳にもなって、まだ誕生日が楽しみなのはなぜなのだろう。特別にしすぎるのは子供すぎる気もするが、わたしは何度重ねても、近づくと楽しみが抑えきれない。  それは、ひとつ大人になるからであり、祝福の言葉を待つからであり、日頃目に見えないことが見えるからなのだろう。結局は愛されていると実感したいのだ。傲慢である。  ただ、今年は少し違う。  10代が終わる。  あと十数時間で終わる。  二十歳になるということは、成人になるということで、成人になるということは、社会的には大人に分類されるということ。今まで守ってくれていた結界みたいなものはなくなり、自分を守るのも自分になる。 その分きっと楽しいこともたくさんあるし、現に十数時間後を本当に楽しみにしている。  でも、むしろ明日よりも、今日の方が貴重なのかもしれない。  時間はいつも地続きで、昨日がいつの間にか今日につながり、そこにいるだけで、勝手に明日になる。この世の中の何よりも、不変なもの。  やり残したことは?と聞かれるけれど、制服ディズニーくらいなものだけど、それも、幸せなことに少しばかり幼い顔に産んでもらったので、自分さえ気にしなければ、まあ全然できる。成立するする。心持ちの違いなだけで、別に何か制約ができるわけじゃないし。  やり残したこと、もしかしたらあるのかもしれないけど、本当に浮かばない。  やりたいこともやりたくないこともやってきたから今があるわけで、浮かばないってことはさして重要じゃないってことなんだから、まあいいか、という気持ちである。  19年と364日生きてきてわかったこと。  まあいいか、は大事。もういいや、はよくない。周りは一向に大人にならないし、子供みたいな大人もいる。大人のような子供もいる。舐めたらいけないし、舐められてもいけない。つまりは中身は年齢に比例しないということ。それは私も然り。私は違うから大丈夫、と思っていいことなんかひとつもない。引き続き、それを肝に銘じること。  それから、生きてるだけでなんとなく生きていけること。勝手に明日も明後日も来年も10年も来る。でも、なんとなく過ごす時間と、なにかに向き合う時間は全然違うこと。夢中じゃなくても、一生懸命じゃなくてもいい。ただ、それこそなんとなく、大切なものはそこそこ必要。  そして、知識や言葉は身を守ってくれること。 よく物知りだと言われるけれど、思い返せば、何かを詳しく調べたりしたことって、そんなにない。 ただ、道行く人の話し声、流れるニュース、目に入る文字たち、そんなものを人よりも少しキョロキョロと見ていただけ。発見は面白い。 ここまではその浅い知識でも生きてこられたけど、20代は何かひとつ、ものすごく詳しくなってみたい。  そしてこれは、一番大切にしたいこと。 自分の好きなものにはまっすぐでいること。 例えばファッション、例えばメイク、例えば趣味嗜好、他にもたくさん。 よくあるものを好きにならなくても、なにも、自分が特別な存在なわけじゃないんだから、例えそれがマイノリティーだとしても、絶対にそれが好きな人は他にもいる。その力はきっと強いよね。  でも、それに固執するのはよくない。昨日まで遠くにあったものが、次の日すぐ近くにあってもいいと思う。生きてればそりゃ出会うものもかわって、好きなものも変わるよ。それでいいと、19歳最後の私は思う。この考えも、とんでもない何かが起きたら、明日には変わってるかもしれないけど。  先人たちから見れば、たった20年。 でも、私からすれば大切な20年。 生きててくれてありがとう。 生かしてくれてありがとう。 幸せかと聞かれて、幸せだと答えられる日々をくれてありがとう。 近くで支えてくれた家族から、道ですれ違った人まで、出会った全ての人に感謝します。  本当は明日書くことなのかもしれないけれど、10代の感謝は10代で伝えておこうと思いました。  そんな10代最後の日、 大好きな芝居の現場で過ごしてきます。 これが日常になる日のため、頑張ります。  行ってきます。」10月24日 10時06分 - aki_t_official

豊永阿紀のインスタグラム(aki_t_official) - 10月24日 10時06分


特別な一日のはじまり。

日付が変わるとともにカウントダウンの数字は刻み出し、朝のようですでに9/24時間を消費している。

この歳にもなって、まだ誕生日が楽しみなのはなぜなのだろう。特別にしすぎるのは子供すぎる気もするが、わたしは何度重ねても、近づくと楽しみが抑えきれない。

それは、ひとつ大人になるからであり、祝福の言葉を待つからであり、日頃目に見えないことが見えるからなのだろう。結局は愛されていると実感したいのだ。傲慢である。

ただ、今年は少し違う。

10代が終わる。

あと十数時間で終わる。

二十歳になるということは、成人になるということで、成人になるということは、社会的には大人に分類されるということ。今まで守ってくれていた結界みたいなものはなくなり、自分を守るのも自分になる。
その分きっと楽しいこともたくさんあるし、現に十数時間後を本当に楽しみにしている。

でも、むしろ明日よりも、今日の方が貴重なのかもしれない。

時間はいつも地続きで、昨日がいつの間にか今日につながり、そこにいるだけで、勝手に明日になる。この世の中の何よりも、不変なもの。

やり残したことは?と聞かれるけれど、制服ディズニーくらいなものだけど、それも、幸せなことに少しばかり幼い顔に産んでもらったので、自分さえ気にしなければ、まあ全然できる。成立するする。心持ちの違いなだけで、別に何か制約ができるわけじゃないし。

やり残したこと、もしかしたらあるのかもしれないけど、本当に浮かばない。

やりたいこともやりたくないこともやってきたから今があるわけで、浮かばないってことはさして重要じゃないってことなんだから、まあいいか、という気持ちである。

19年と364日生きてきてわかったこと。

まあいいか、は大事。もういいや、はよくない。周りは一向に大人にならないし、子供みたいな大人もいる。大人のような子供もいる。舐めたらいけないし、舐められてもいけない。つまりは中身は年齢に比例しないということ。それは私も然り。私は違うから大丈夫、と思っていいことなんかひとつもない。引き続き、それを肝に銘じること。

それから、生きてるだけでなんとなく生きていけること。勝手に明日も明後日も来年も10年も来る。でも、なんとなく過ごす時間と、なにかに向き合う時間は全然違うこと。夢中じゃなくても、一生懸命じゃなくてもいい。ただ、それこそなんとなく、大切なものはそこそこ必要。

そして、知識や言葉は身を守ってくれること。
よく物知りだと言われるけれど、思い返せば、何かを詳しく調べたりしたことって、そんなにない。
ただ、道行く人の話し声、流れるニュース、目に入る文字たち、そんなものを人よりも少しキョロキョロと見ていただけ。発見は面白い。
ここまではその浅い知識でも生きてこられたけど、20代は何かひとつ、ものすごく詳しくなってみたい。

そしてこれは、一番大切にしたいこと。
自分の好きなものにはまっすぐでいること。
例えばファッション、例えばメイク、例えば趣味嗜好、他にもたくさん。
よくあるものを好きにならなくても、なにも、自分が特別な存在なわけじゃないんだから、例えそれがマイノリティーだとしても、絶対にそれが好きな人は他にもいる。その力はきっと強いよね。

でも、それに固執するのはよくない。昨日まで遠くにあったものが、次の日すぐ近くにあってもいいと思う。生きてればそりゃ出会うものもかわって、好きなものも変わるよ。それでいいと、19歳最後の私は思う。この考えも、とんでもない何かが起きたら、明日には変わってるかもしれないけど。

先人たちから見れば、たった20年。
でも、私からすれば大切な20年。
生きててくれてありがとう。
生かしてくれてありがとう。
幸せかと聞かれて、幸せだと答えられる日々をくれてありがとう。
近くで支えてくれた家族から、道ですれ違った人まで、出会った全ての人に感謝します。

本当は明日書くことなのかもしれないけれど、10代の感謝は10代で伝えておこうと思いました。

そんな10代最後の日、
大好きな芝居の現場で過ごしてきます。
これが日常になる日のため、頑張ります。

行ってきます。


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2019/10/24

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