【 仏教 キリスト教 イスラム教 3宗教 私には 光と闇がある 】 昨日の「宗教が目指すものは何か」 歌と座談の司会で参加させてもらったのですが、 本当に、よき時間でした。 仏教も、キリスト教も、イスラム教も 等しく詳しくないので、来場者の方々と同じ立場で質問をしながら皆さんそれぞれの教えについて、また、宗教観について、時には一信仰者としての言葉を聞かせてもらいました。 もっと勉強した人が聞くことも大事なのかもしれませんが 3つの宗教をどれも詳しく学び、理解して司会をするなんてことをもしも出来る もしそんな方がいたら 世の中の宗教戦争になんらかの一石を投じれるだろうなと思います笑笑 来場者の方々の質問もとても良いものも多く、私同様 どの方も 共存、共生 もっとソフトな言い方をすれば手を取り合い理解する事は出来るのかという問いをお持ちなんだなと感じました。 それぞれのお立場でお話いただく中 私が印象に残ったのは 「ここで3人が手を取り合うことは簡単だけれどもそのあとが大事だ」というような事でした。 つまりは その場で仲良くすることや、その3人だけが宗派を越えて仲良くして共存する事はできても お互いがいるそれぞれのコミュニティーで居場所がなくなる事もあるわけです 私自身がホストマザーであるように eachfeelingsで核兵器廃絶を思う人間と 核兵器を持つ事も致し方ないと考える中国人留学生が手を取り合い一つの花輪を作る事はできても その後 そのそれぞれの子が 「なんで仲良くしてるの?」とならない事 そうゆう社会であることの方が大事だと感じました。 もちろん、まずは同じテーブルにそれぞれがつき、対話をするところからでは始まらないのだけれど、 それはあくまでスタートであってそのあとはやはり、踏み込んでいかなければならないのかもしれません。 「仲良し対話劇場」にならないよう、突っ込んだ質問も飛び交いました。 イスラム教の中にはテロ行為などにおよぶ人もいることについての質問がでる中で 仏教での、一向一揆 広島でいうなら安芸門徒の軍隊としての素晴らしさ それはつまり信仰の名の下に人を殺めることができたという歴史について キリスト教では、様々な他宗教や先住民を野蛮人としてレイプや、迫害してきた 歴史などそれぞれの話を聞くことができました。 「宗教には、光と そして闇がある」 その言葉は深く私の中に落ちました。 最初にそれぞれの宗教についてのお話を聞いて とても美しく、光り輝き、なにより受け入れてもらえてるというような安らぎさえどの宗教からも感じました。 正直イスラム教と、キリスト教はすごく好きになりました。 だけども 歴史をみると、そしてそこに信仰する人それぞれの考えが入ってくるとやはり、闇が生まれてくるのかもしれないとも思いました。 教え自体はどの宗教も美しいものだと思いました。 今回司会をしてみて 私個人の考えですが なぜ私が こんなにもお寺さんが好きで、お坊さんの法話が好きであるにもかかわらずどれか一つに属さないのかを考えた時に一つだけわかったことは どれか一つに傾倒することに不安があるのだと思いました。 こんなにも沢山神様や仏様がいて、そのどれもが光と闇を抱えているからこそ私はそのどの教えにもたった一つこれが これだけが正しいと入り込むことが怖いのだとよくわかりました。 でも、どの教えもこれだけが正しいというような事は言ってない 私が怖いのはそのように 教えを間違って解釈してしまい 他を排斥してしまうような自分になるのが怖いのだと どこまでも たくさんの人とまじわえる 思想自体薄い存在でいたいのだと思いました でもこの時点で私はある意味ではとても濃いのかもしれません なんであれ、宗教に光と闇があるように 私自身に光と闇があるとそう思いました。

chiharu_tamakiさん(@chiharu_tamaki)が投稿した動画 -

玉城ちはるのインスタグラム(chiharu_tamaki) - 8月8日 09時11分


【 仏教 キリスト教 イスラム教 3宗教

私には 光と闇がある 】

昨日の「宗教が目指すものは何か」
歌と座談の司会で参加させてもらったのですが、
本当に、よき時間でした。

仏教も、キリスト教も、イスラム教も
等しく詳しくないので、来場者の方々と同じ立場で質問をしながら皆さんそれぞれの教えについて、また、宗教観について、時には一信仰者としての言葉を聞かせてもらいました。

もっと勉強した人が聞くことも大事なのかもしれませんが
3つの宗教をどれも詳しく学び、理解して司会をするなんてことをもしも出来る
もしそんな方がいたら
世の中の宗教戦争になんらかの一石を投じれるだろうなと思います笑笑 来場者の方々の質問もとても良いものも多く、私同様
どの方も 共存、共生 もっとソフトな言い方をすれば手を取り合い理解する事は出来るのかという問いをお持ちなんだなと感じました。

それぞれのお立場でお話いただく中
私が印象に残ったのは 「ここで3人が手を取り合うことは簡単だけれどもそのあとが大事だ」というような事でした。

つまりは

その場で仲良くすることや、その3人だけが宗派を越えて仲良くして共存する事はできても
お互いがいるそれぞれのコミュニティーで居場所がなくなる事もあるわけです

私自身がホストマザーであるように
eachfeelingsで核兵器廃絶を思う人間と
核兵器を持つ事も致し方ないと考える中国人留学生が手を取り合い一つの花輪を作る事はできても

その後 そのそれぞれの子が 「なんで仲良くしてるの?」とならない事
そうゆう社会であることの方が大事だと感じました。

もちろん、まずは同じテーブルにそれぞれがつき、対話をするところからでは始まらないのだけれど、
それはあくまでスタートであってそのあとはやはり、踏み込んでいかなければならないのかもしれません。 「仲良し対話劇場」にならないよう、突っ込んだ質問も飛び交いました。

イスラム教の中にはテロ行為などにおよぶ人もいることについての質問がでる中で

仏教での、一向一揆 広島でいうなら安芸門徒の軍隊としての素晴らしさ それはつまり信仰の名の下に人を殺めることができたという歴史について

キリスト教では、様々な他宗教や先住民を野蛮人としてレイプや、迫害してきた 歴史などそれぞれの話を聞くことができました。 「宗教には、光と そして闇がある」

その言葉は深く私の中に落ちました。

最初にそれぞれの宗教についてのお話を聞いて
とても美しく、光り輝き、なにより受け入れてもらえてるというような安らぎさえどの宗教からも感じました。

正直イスラム教と、キリスト教はすごく好きになりました。

だけども 歴史をみると、そしてそこに信仰する人それぞれの考えが入ってくるとやはり、闇が生まれてくるのかもしれないとも思いました。

教え自体はどの宗教も美しいものだと思いました。

今回司会をしてみて

私個人の考えですが なぜ私が こんなにもお寺さんが好きで、お坊さんの法話が好きであるにもかかわらずどれか一つに属さないのかを考えた時に一つだけわかったことは

どれか一つに傾倒することに不安があるのだと思いました。

こんなにも沢山神様や仏様がいて、そのどれもが光と闇を抱えているからこそ私はそのどの教えにもたった一つこれが
これだけが正しいと入り込むことが怖いのだとよくわかりました。

でも、どの教えもこれだけが正しいというような事は言ってない

私が怖いのはそのように 教えを間違って解釈してしまい 他を排斥してしまうような自分になるのが怖いのだと

どこまでも

たくさんの人とまじわえる
思想自体薄い存在でいたいのだと思いました

でもこの時点で私はある意味ではとても濃いのかもしれません なんであれ、宗教に光と闇があるように

私自身に光と闇があるとそう思いました。


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2017/8/8

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