. 2011.3.11 . いつもと同じバスに乗り、いつもと同じ歩道を歩き、いつもより早く中学校舎に着いた。 . 校舎はいつもより静かだった。3年生の教室前を通ると物音ひとつ聞こえない。すでに3年生とのお別れを告げ、第2学年に上がることに心が弾む頃になっていたのだ。 . 1時間目、2時間目、3時間目…と刻々と時間は過ぎていく。美味しいお母さんのお弁当を食べ、昼休みも終わり、教室に戻って5時間目をむかえた。 . 私の学校は1クラス40人、4クラス構成であった。 教室は机2つをセットに横に4列縦に5セットずつ並ぶ構造。 私は廊下側、壁際の前から2つ目の席に座っていた。 たしかあの時は数学の時間だった気がする。 数学の先生は私の担任でもあった。 私たちの担任は"ベストフレンズ"という名で定期的にA4プリント一枚分の学級紙を作成してくれる素敵な先生。 ちょうどその時間の始めの数分はホームルームの時間として使われ、担任はベストフレンズを読み上げてくれていた。 静かな教室に先生の読み上げる声だけが通る。 . そして14時46分 あの地震が起こった。 . 初期微動を感じた瞬間、私は何も考えずにとっさに隣にあった廊下の窓を全開にした。今までも学校にいて地震が起きたことは何度もあったが、窓を開けようと思うことはなかった。 ただこの日は反射的に体が動き、変な予感がした。 . 次の瞬間、 黒板が大きく揺れ、「地震だ!」と誰かが叫び皆机の下に潜った。 放送が入り、泣き出す子や震え出す子が出てきた。 校庭にみんな避難し説明を待った。 先生方が親に連絡をし、迎えに来るよう指示がでた。 余震が続く。 何も落ちてくるわけでもない安全なはずの校庭なのに、揺れるたびに恐怖に襲われる。 私は震えが止まらない子や泣き出す子に、大丈夫だと言い続けた。 1人、2人…と生徒が帰っていく。 だんだんと周りの様子がみえなくなり、密になっていた集団に隙間ができる。風通りがよくなり、寒さを感じ始めた。 そして、クラスメイトが減っていくとともに私の不安は増していった。母は大丈夫であろうか?父はどこにいるだろうか?祖父は無事だろうか?祖母に怪我はないだろうか? 弟も同じ学園内にいるだろうけど見当たらない。 胸が一気に熱くなり、気がついたら顔から水滴が落ちてくる。 一度出始めたら止まらなくなり、どうすることもできなかった。 周りにいた子たちが背中をさすってくれていたが、顔をみることさえできなかった。 感謝の言葉ひとつさえできなかったことに今でも後悔している。 この後の記憶は曖昧である。 親に会い、泣きながら抱きつき、車に乗り、その後は覚えていない。 きっと眠ってしまったのだと思う。 . 毎日余震が絶えなく続き、毎日恐怖におののいていた。 . 節水、節約、防災バッグの用意 そんなことを考え続けた毎日だったのに… . 6年経った今、自分は何を考えているか、何を覚えているか。 . #311私たちは忘れない #私たちは忘れない #311 #東日本大震災 #20110311 #覚えていよう #大切なこと

ayakawilson_officialさん(@ayakawilson_official)が投稿した動画 -

アヤカ・ウィルソンのインスタグラム(ayakawilson_official) - 3月11日 21時39分


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2011.3.11
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いつもと同じバスに乗り、いつもと同じ歩道を歩き、いつもより早く中学校舎に着いた。
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校舎はいつもより静かだった。3年生の教室前を通ると物音ひとつ聞こえない。すでに3年生とのお別れを告げ、第2学年に上がることに心が弾む頃になっていたのだ。
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1時間目、2時間目、3時間目…と刻々と時間は過ぎていく。美味しいお母さんのお弁当を食べ、昼休みも終わり、教室に戻って5時間目をむかえた。
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私の学校は1クラス40人、4クラス構成であった。
教室は机2つをセットに横に4列縦に5セットずつ並ぶ構造。
私は廊下側、壁際の前から2つ目の席に座っていた。
たしかあの時は数学の時間だった気がする。
数学の先生は私の担任でもあった。
私たちの担任は"ベストフレンズ"という名で定期的にA4プリント一枚分の学級紙を作成してくれる素敵な先生。
ちょうどその時間の始めの数分はホームルームの時間として使われ、担任はベストフレンズを読み上げてくれていた。
静かな教室に先生の読み上げる声だけが通る。
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そして14時46分
あの地震が起こった。
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初期微動を感じた瞬間、私は何も考えずにとっさに隣にあった廊下の窓を全開にした。今までも学校にいて地震が起きたことは何度もあったが、窓を開けようと思うことはなかった。
ただこの日は反射的に体が動き、変な予感がした。
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次の瞬間、
黒板が大きく揺れ、「地震だ!」と誰かが叫び皆机の下に潜った。
放送が入り、泣き出す子や震え出す子が出てきた。
校庭にみんな避難し説明を待った。
先生方が親に連絡をし、迎えに来るよう指示がでた。
余震が続く。
何も落ちてくるわけでもない安全なはずの校庭なのに、揺れるたびに恐怖に襲われる。
私は震えが止まらない子や泣き出す子に、大丈夫だと言い続けた。
1人、2人…と生徒が帰っていく。
だんだんと周りの様子がみえなくなり、密になっていた集団に隙間ができる。風通りがよくなり、寒さを感じ始めた。
そして、クラスメイトが減っていくとともに私の不安は増していった。母は大丈夫であろうか?父はどこにいるだろうか?祖父は無事だろうか?祖母に怪我はないだろうか?
弟も同じ学園内にいるだろうけど見当たらない。
胸が一気に熱くなり、気がついたら顔から水滴が落ちてくる。
一度出始めたら止まらなくなり、どうすることもできなかった。
周りにいた子たちが背中をさすってくれていたが、顔をみることさえできなかった。
感謝の言葉ひとつさえできなかったことに今でも後悔している。
この後の記憶は曖昧である。
親に会い、泣きながら抱きつき、車に乗り、その後は覚えていない。
きっと眠ってしまったのだと思う。
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毎日余震が絶えなく続き、毎日恐怖におののいていた。
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節水、節約、防災バッグの用意
そんなことを考え続けた毎日だったのに…
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6年経った今、自分は何を考えているか、何を覚えているか。
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#311私たちは忘れない #私たちは忘れない #311 #東日本大震災 #20110311 #覚えていよう #大切なこと


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2017/3/11

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