猫沢エミのインスタグラム(necozawaemi) - 1月16日 13時00分
この子はとわちゃん。trois-トワ(三毛猫だから)そして、永遠の〝とわ〟をかけて私が名付け親になった、イオのソウル・シスターでした。
1月14日の夜、天国タクシーに乗ってハワイへ旅立ちました。
拙著「猫と生きる。」の第4章 198p、イオの扁平上皮がんが発覚する3日前に乳がんを告知されたとわちゃん。
にゃんフラの生徒会長の中田佳子ちゃん(敏腕歯科矯正医師です) @carre_blanc_ebisu が浜町公園で出逢い、身請けして、大切に大切にケアしていた。ずっと地域猫で、たくさんの人に愛されはしたけれど、長い野良生活で体のあちこちが痛んでいた。
そんなとわちゃんが佳子ちゃんに保護されたのは、イオが私と出逢う数年前だった。保護すべきかどうか悩んでいた佳子ちゃんの背中を押したのは私だったけど、正直そのときは〝無責任なアドバイスだっただろうか〟と少し悩んだ。だって、私はなにひとつケアしてやれないのに、言うだけだなんて…と。
それからイオと出逢って、1年半の激動を駆け抜けた後、やっと〝あのアドバイスを言えるだけの立場になれたのかも〟と思った。
「猫と生きる。」の執筆で缶詰めになっていた去年の夏、佳子ちゃんがとわちゃんを連れて陣中見舞いに来てくれた。ふだんは抱っこが嫌いなとわちゃんが、スッと私の腕の中に収まって気持ちよさそうに抱かれていた。〝もしかしたらイオに体を貸してくれているのかも〟と思った。そのときのとわちゃんは、生前のイオの表情や仕草にあまりにも似ていたから。
外猫として闘い、懸命に生き抜いた子特有の健気さと強さと優しさがとわちゃんにはあった。
昨夜遅く、とわちゃんを連れてきてくれた佳子ちゃん。それで、プラベートなお通夜をひらいた。ピカとユピは、ご遺体を怖がるだろうなと思っていたら、むしろ反対で驚いた。
ピガは自分からご挨拶にやってきて、ずっととわちゃんのそばに寄り添っていた。うちの子たちはもう知っているのだ。魂が去っても、その体は主のものと。そして、イオの魂だけが去って体を残した、1年前のあの日を覚えているのだなと思った。
優しくて穏やかで厳かな夜だった。
とわちゃんの旅立ちを一緒に弔わせてもらったおかげで、この1年、考え続けていた死への抗いからフッと解放された感覚があった。とわちゃんの旅立ちまでが、イオの弔いのセットだったのだと思った。私にとっては。
とわちゃん、幸せだったね。幸せじゃない時間もすべて贖われる晩年の幸せな数年間だったね。とても大事なことなんだよ。愛を知ってハワイに行けるかどうかって。だって、旅立つ時に愛を風呂敷つづみに抱えていけば、もう永遠に幸せでいられるのだから。
「今ごろハワイで、先代のピキちゃんとイオちゃんととわで、フランダンス踊ってますね」と佳子ちゃんが言った。すごいね。最強の傑女シュープリームスみたいじゃん。ハチワレと茶白と三毛猫で、どんなカラーの腰蓑も着こなしちゃうじゃん😻って。
哀しいけれど、哀しいだけじゃないお通夜だったのは、やっぱり愛と幸せがまさっていたから。
とわちゃん、ありがとう。
いつかまた、ハワイで一緒に踊りましょう。
#猫と生きる #とわちゃんフォーエバー #愛に満ちた穏やかな旅立ちはお悔やみじゃなくておめでとうなのだ #ピガの猫としての死生観の獲得と慈愛に満ちた眼差しにも胸打たれました
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2022/1/16