小橋めぐみさんのインスタグラム写真 - (小橋めぐみInstagram)「震災から10年の節目に、と「節目」という言葉がここ数日目に飛び込んでくるたび、 思考が止まりそうになる。  全然違う話になってしまうけれど。 例えば大好きな人がいて。 でも諦めなくてはいけなくて。 じゃあ、2年経った節目にちゃんと諦めよう、と考える子はあんまりいない。 気持ちの区切りは、節目でつくものではない。 新しく好きな人ができたり、好きだった人に幻滅したりした時につくものだ。  私は震災で身内を失うことはなかったけれど、 数年前に、事故で叔父を亡くした時、 地獄はここにあったんだ、と暗い病院の廊下で思った。同時に3月11日を思った。 私は被災地のニュースを見ながら、震災関連の本を読みながら、何を分かったつもりでいたのかと愕然とした。  叔父が亡くなった日は、6月20日だった。  1年後の6月19日。 次の日が来るのが怖かった。 ずっと、1年前の今日は、まだ叔父は生きていた、と毎日思い続けていたからだ。  でも明日からは。 明日になったら1年前の今日も生きていない。 この胸が潰れるような日にちの数え方を、 同じように突然身内を亡くした友人と話しながら大泣きしたことがある。 「一年前の今日は、お母さん、生きてたってずっと考えてたの。でも命日が来たら、もう…」 と、そのまま友人は目の前で声を上げて泣いた。  うん、うん、そうなんだよね。 分かるよ。  それだけ言うのが精一杯だった。 友人はその時、「みんなには、母を亡くしたこの悲しさを素直に話せないんだけど、めぐには話すことができる」と言った。それは、めぐも叔父さんを亡くしたからだと。  私は語弊があるかもしれないけれど、叔父を亡くしたことが初めて、少しだけ、プラスになったと思った。大切な人を突然失った、この絶望が、誰かの拠り所になることもあるのだと。  叔父が亡くなった時、医師から「ご臨終です」と告げられ、両親や叔母は諸々の連絡があり病室を出て行ったのだけれど、私はひとり病室に残り、ベッドに眠る叔父を見続けた。 その時確かに、叔父の瞼がほんの少し動いたのだ。 何度か。  その数ヶ月後、生物学者の方にお会いした時、 「ご臨終です、と言われた後に、叔父の瞼が何度か動いたのですが、そういうことはあるのでしょうか?」 と聞いた。 「あります」と学者はおっしゃった。 「死は、点ではないのです。線なのです」と。  「点」ではなく、「線」。 この言葉は、大切な人の突然の死という断絶を、少しだけなだらかにしてくれたようだった。  10年の時の長さを思いながら、 この10年に逝ってしまった人たちを思う。  先日、毎日新聞主催のチャリティー公演「がんばろう日本!スーパーオーケストラ」を母と聴きに行った。このコンサートは、全国各地の交響楽団などで活躍する演奏家有志が集まって、一夜限りの楽団を結成し、震災で保護者を亡くした子どもたちを応援するものだ。  2011年5月に始まってから毎年開催されていたけれど、昨年はコロナのため開催できず、10回目の今回で、コンサートはラストとなるそうだ。 もちろん違う形でも応援は続けていきたい、とプログラムにも書かれていたし、司会の方もおっしゃっていた。  毎回、このコンサートでは最後に会場のみんなで「ふるさと」を歌うことが恒例となっていたそうで、今年はコロナのため飛沫感染の観点から、「心の中で歌いましょう」ということになった。 前奏が奏でられ、指揮者が客席を振り返って、指揮棒を振りおろす。  「兎追いし かのやま〜 小鮒釣りし かのかわ〜」  誰か一人くらい、つい歌ってしまうのかなあ、なんてふんわり思っていたけれど、それはそれは見事なくらい客席が、しん、としていた。  「ふるさと」を声に出してみんなで歌うことも許されない今の世の中と、でも確かに、心の中でみんなが今、歌っているのだという不思議な連帯感が相まって、悲しいのか嬉しいのか分からない、なんともいえない気持ちになった。 10年続いたコンサートのラストが、 こんな静けさに満ちた「ふるさと」になるなんて。 始めた時は思いもよらなかっただろう。  私たちは今、10年の節目に来ていながら、同時にコロナと対峙している真っ最中でもある。  振り返る時間もなく、今も闘い続けている医療従事者の方たちがいる。 最期の時さえ、傍にいることが許されなかった人たちの悲しみは、始まったばかりだ。  深い悲しみに区切りも、節目もない。 少しずつ、少しずつ、薄れたり深まったり昇華したりしながら、一生消えることはないのかもしれない。 その人が生きていた記憶も一つではなくて、 夜空に浮かぶ星々のように散らばっていて、時に結ばれたり、流れ星のようにすごい輝きを放ちながら、胸を横切ったりする。 星が全く見えない夜もある。  この文章も、全く纏まらずにいる。 締めの言葉も見つからず、結論にも至らない。  ただ、10年という線の上の点を、書き残しておきたかった。 それが生きている者が、できることだから。 区切ることなく、終わることのない悲しみと、ともに生きていきたい。 ときどき、点在する星を見上げながら。」3月11日 10時17分 - megumikok

小橋めぐみのインスタグラム(megumikok) - 3月11日 10時17分


震災から10年の節目に、と「節目」という言葉がここ数日目に飛び込んでくるたび、
思考が止まりそうになる。

全然違う話になってしまうけれど。
例えば大好きな人がいて。
でも諦めなくてはいけなくて。
じゃあ、2年経った節目にちゃんと諦めよう、と考える子はあんまりいない。
気持ちの区切りは、節目でつくものではない。
新しく好きな人ができたり、好きだった人に幻滅したりした時につくものだ。

私は震災で身内を失うことはなかったけれど、
数年前に、事故で叔父を亡くした時、
地獄はここにあったんだ、と暗い病院の廊下で思った。同時に3月11日を思った。
私は被災地のニュースを見ながら、震災関連の本を読みながら、何を分かったつもりでいたのかと愕然とした。

叔父が亡くなった日は、6月20日だった。

1年後の6月19日。
次の日が来るのが怖かった。
ずっと、1年前の今日は、まだ叔父は生きていた、と毎日思い続けていたからだ。

でも明日からは。
明日になったら1年前の今日も生きていない。
この胸が潰れるような日にちの数え方を、
同じように突然身内を亡くした友人と話しながら大泣きしたことがある。
「一年前の今日は、お母さん、生きてたってずっと考えてたの。でも命日が来たら、もう…」
と、そのまま友人は目の前で声を上げて泣いた。

うん、うん、そうなんだよね。
分かるよ。

それだけ言うのが精一杯だった。
友人はその時、「みんなには、母を亡くしたこの悲しさを素直に話せないんだけど、めぐには話すことができる」と言った。それは、めぐも叔父さんを亡くしたからだと。

私は語弊があるかもしれないけれど、叔父を亡くしたことが初めて、少しだけ、プラスになったと思った。大切な人を突然失った、この絶望が、誰かの拠り所になることもあるのだと。

叔父が亡くなった時、医師から「ご臨終です」と告げられ、両親や叔母は諸々の連絡があり病室を出て行ったのだけれど、私はひとり病室に残り、ベッドに眠る叔父を見続けた。
その時確かに、叔父の瞼がほんの少し動いたのだ。
何度か。

その数ヶ月後、生物学者の方にお会いした時、
「ご臨終です、と言われた後に、叔父の瞼が何度か動いたのですが、そういうことはあるのでしょうか?」
と聞いた。
「あります」と学者はおっしゃった。
「死は、点ではないのです。線なのです」と。

「点」ではなく、「線」。
この言葉は、大切な人の突然の死という断絶を、少しだけなだらかにしてくれたようだった。

10年の時の長さを思いながら、
この10年に逝ってしまった人たちを思う。

先日、毎日新聞主催のチャリティー公演「がんばろう日本!スーパーオーケストラ」を母と聴きに行った。このコンサートは、全国各地の交響楽団などで活躍する演奏家有志が集まって、一夜限りの楽団を結成し、震災で保護者を亡くした子どもたちを応援するものだ。

2011年5月に始まってから毎年開催されていたけれど、昨年はコロナのため開催できず、10回目の今回で、コンサートはラストとなるそうだ。
もちろん違う形でも応援は続けていきたい、とプログラムにも書かれていたし、司会の方もおっしゃっていた。

毎回、このコンサートでは最後に会場のみんなで「ふるさと」を歌うことが恒例となっていたそうで、今年はコロナのため飛沫感染の観点から、「心の中で歌いましょう」ということになった。
前奏が奏でられ、指揮者が客席を振り返って、指揮棒を振りおろす。

「兎追いし かのやま〜
小鮒釣りし かのかわ〜」

誰か一人くらい、つい歌ってしまうのかなあ、なんてふんわり思っていたけれど、それはそれは見事なくらい客席が、しん、としていた。

「ふるさと」を声に出してみんなで歌うことも許されない今の世の中と、でも確かに、心の中でみんなが今、歌っているのだという不思議な連帯感が相まって、悲しいのか嬉しいのか分からない、なんともいえない気持ちになった。
10年続いたコンサートのラストが、
こんな静けさに満ちた「ふるさと」になるなんて。
始めた時は思いもよらなかっただろう。

私たちは今、10年の節目に来ていながら、同時にコロナと対峙している真っ最中でもある。

振り返る時間もなく、今も闘い続けている医療従事者の方たちがいる。
最期の時さえ、傍にいることが許されなかった人たちの悲しみは、始まったばかりだ。

深い悲しみに区切りも、節目もない。
少しずつ、少しずつ、薄れたり深まったり昇華したりしながら、一生消えることはないのかもしれない。
その人が生きていた記憶も一つではなくて、
夜空に浮かぶ星々のように散らばっていて、時に結ばれたり、流れ星のようにすごい輝きを放ちながら、胸を横切ったりする。
星が全く見えない夜もある。

この文章も、全く纏まらずにいる。
締めの言葉も見つからず、結論にも至らない。

ただ、10年という線の上の点を、書き残しておきたかった。
それが生きている者が、できることだから。
区切ることなく、終わることのない悲しみと、ともに生きていきたい。
ときどき、点在する星を見上げながら。


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2021/3/11

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