大河内志保のインスタグラム(okouchi_shiho) - 1月17日 03時24分
26年前の今日
5時46分
私は4ヵ月の子犬メリーと芦屋にいました。
東京に帰る支度を始めようとサイドボードの側から立ち上がろうとした時でした。
「カタカタ…」
メリーが異変に吠えたのは3秒くらい
その直後爆弾が落ちたかの如く下からつき上がったと思った瞬間から家の中は巨大なシェイカーと化しました。
天地左右全ての物が凄い勢いで宙を飛び破壊されていく中でサイドボードの下敷きになりながらうずくまっていました。
暫くして一度静まった時に辺りを見まわしますが一点の灯りもありませんでした。
ぐちゃぐちゃな家財道具とガラスの破片だらけで身動きが取れない…。
やがて暗闇だった窓の外にはあちらこちらから赤い炎が見え始めました。
そして女性の泣き叫ぶ声
正直、その時点でも地震だとは思えませんでした。
地震は揺れるものだと思っていたので…爆弾が落ちたという表現が一番しっくり来ます。
メリーの安否が気になって仕方がありません。
サイドボードから抜け、真っ暗な中床を探り硝子の破片の上を這いつくばり「メリー!」と叫けび続けますが何一つ物音がしませんでした。
とにかく明るくなるまで待つしかない。
そして
明るくなって遠くに見えた小さな子犬は中腰でガタガタ震えて立っていました。
「生きてた…」
駆け寄り近くにあった大きなコートを羽織り大きく震えた小さな命を胸の中で抱きしめました。
一日中二人は恐怖と寒さで震えが止まりませんでした。
外に出るとほとんどの家は崩壊し、地面は割けアパートは3階建ては潰れてほとんどは1階建ての低さに…
私達は生かされましたが
どの瓦礫の下にもまだ生きようとしている命がありました。
逃げたくても逃げられない、目の前にいる家族を助けてあげられず立ち尽くすご家族の光景は一生心に焼き付いています。
犠牲になられた方々の尊い命を無駄にしてはいけないですし
残された者が語り継ぎ他人事ではなく、いつこのような事が自身の身に起きてもおかしくないと普段からいざという時の為のシュミレーションを考えておくのも大切だと思います。
その時に私が大変役に立ったのが下駄箱の上の小銭でした。
現代は携帯があるのでどうなるか分かりませんが…
小銭を握り締めて駅の公衆電話に一番に行き東京の両親に連絡が出来ましたが、関西同士は繋がりませんし、東京とも2度程の連絡の後は繋がらなくなりました。
その直後公衆電話は長蛇の列になりました。
どうか語り繋いでお亡くなりになられた方の命を無駄にしたくないと思います。
ご冥福をお祈り致します
#阪神大震災
#鎮魂
#記憶のバトン
#復興#当たり前の日常に感謝
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2021/1/17