丘咲エミリさんのインスタグラム写真 - (丘咲エミリInstagram)「私ごとではありますが、今日の夕方にばーちゃんが旅立ちました。  昨日のセミナー終わりに車を走らせ、最後に顔を見に行きたいと考えましたが、 コロナの問題で東京からの私は老人ホームに入ることはできない為、看取るという選択は叶いませんでした。  ばーちゃんは認知症ですが、老衰です。認知症での老衰は、なかなかお医者様からは老衰と認めてもらえないというお話を介護士さんから聞きましたが、私も家族も老衰だと思っています。  苦しんでいないか?と聞いたら、苦しんでいない。と。  認知症での最後は、食事が徐々にとれなくなり、眠る時間が増え、そしてゆっくりと旅立つ準備をして、何もなかったかのように眠りについたまま旅立つそうです。  逆に、数年前にお爺ちゃんが亡くなった時の事も思い出してみたんですけれど、お爺ちゃんの時は、難病だった為、病院のベッドの上で、もう見ることも話すことも動く事もできないまま生かされ続けた上で亡くなりました。  苦しかったのか、そうでなかったのか、そんな事も本人以外にはわかりません。  近年では、延命治療が当たり前のようになり、延命寿命があります。  今回は自然寿命です。  家族となると、1日でも長く生きてほしいと、延命治療という選択をしがちだと思います。  けれど本来、生き物全てにはちゃんと寿命があり、そういうサイクルで生きています。  私は自然寿命を迎えるおばあちゃんに、最後会うという事はできなかったものの、昨晩、命の最後と向き合う覚悟を決めてからは、思い出を一つ一つ振り返ったりして、忘れていない事はないだろうかと、思い出に浸っていました。思いは届くと信じています。  悲しい気持ちは当然のことあります。涙も出ましたし、お陰で目が腫れてますが、  それでも、感謝の気持ちとそして生きる大変さを私より知っている大先輩に、今世お疲れ様でしたと、どうか安らかに眠ってほしいと思う気持ちと、  "命のバトン"について深く考えさせられました。  私のばーちゃんは在日韓国人で、一世です。歴史の教科書でしか知らないであろう、あのマンギョンボン号の時代の人です。  ばーちゃんとまだ幼かった私の父は日本に残ると決断し、その他の親族は皆、マンギョンボン号に乗り帰っていきました。父も幼ながら、マンギョンボン号に手を振った記憶があるそうです。  マンギョンボン号に乗り、帰っていった親族は全て、貧しさの上亡くなっています。  日本に残るという決断は結果論では正解だったと思いますが、その決断は計り知れないくらい大きい決断だったと思いますし、そんな大きな決断をしたばーちゃんに私はリスペクトをしています。  血筋を守った1人の女性だった事には間違いありません。  だから私は今ここに存在しているわけですから。  マンギョンボン号の名前を出したので、言わなくてもわかるように、私の血筋は朝鮮民族でした。  韓国に帰還したのが2代前です。私は3世なので。  子供の頃に散々差別や虐めを私も受けてきました。  それでも私は何も恐れてません。差別したければすればいいし、私という人間は、それくらいの事では変わりません。  人間は産まれてきた時におぎゃーと泣き、旅立つ時は周りの人達が代わりに泣く。  何もできない赤子の頃は、人が手助けをして育ち、何もできなくなった老人もまた、人が手助けをして命の最後を迎える。  ばーちゃんのご飯で育った私は、ごりごりの韓国料理で、小学校高学年になるまで私は日本食を知らなかった。  どの韓国料理屋に行っても、あの育った味とは出会えない。ばーちゃん世代や親世代の在日は、日本人はあまり受け入れてはくれず、ばーちゃんも誰かからは愛され、誰かからは愛されない、そんな人だったと思います。  私には計り知れない程に沢山苦労したでしょうし、けれどきっと、沢山の幸せも感じてきたとも思っています。  苦労なくして、幸せを感じることもできないという本質を私は理解しているからこそ、そう思っています。  こうして命のバトンを繋いでいくことと、しっかりと一つの命と向き合い受け止め、世代交代していくこと。  してもらった事や かけてもらった言葉 叱ってもらった事をちゃんと思い出して、感謝し、 次は私がそれを人にしていこうと思う。  子供の頃、両親と過ごせない毎年やってくる最低なクリスマスを一緒に過ごしてくれたのは、ばーちゃんとお爺ちゃんだったから、私の寂しさを埋めてくれたのは間違いなく、ばーちゃんとお爺ちゃんでした。深く感謝している。  ありがとう、そしてどうか安らかに眠ってほしい。  明後日の告別式で最後のお別れの挨拶をしてきます。  勘違いしてほしくないのは、この投稿はネガティブな投稿ではなく、一つの命の最後と向き合った上で、多くを感じ、多くの感謝が生まれた、きっかけとなった瞬間だったからです。  そして託された志もきっとある。  私は、悲しい気持ち以上に これから先の自分の人生や、関わってくれる人達へ ばーちゃんの死と引き換えに気づけた事や思いを、伝えていきたい。  #感謝 #ありがとう #安らかに眠って下さい  #さよならはまだ言わない #命のバトン」10月12日 1時52分 - emiri.okazaki_official

丘咲エミリのインスタグラム(emiri.okazaki_official) - 10月12日 01時52分


私ごとではありますが、今日の夕方にばーちゃんが旅立ちました。

昨日のセミナー終わりに車を走らせ、最後に顔を見に行きたいと考えましたが、
コロナの問題で東京からの私は老人ホームに入ることはできない為、看取るという選択は叶いませんでした。

ばーちゃんは認知症ですが、老衰です。認知症での老衰は、なかなかお医者様からは老衰と認めてもらえないというお話を介護士さんから聞きましたが、私も家族も老衰だと思っています。

苦しんでいないか?と聞いたら、苦しんでいない。と。

認知症での最後は、食事が徐々にとれなくなり、眠る時間が増え、そしてゆっくりと旅立つ準備をして、何もなかったかのように眠りについたまま旅立つそうです。

逆に、数年前にお爺ちゃんが亡くなった時の事も思い出してみたんですけれど、お爺ちゃんの時は、難病だった為、病院のベッドの上で、もう見ることも話すことも動く事もできないまま生かされ続けた上で亡くなりました。

苦しかったのか、そうでなかったのか、そんな事も本人以外にはわかりません。

近年では、延命治療が当たり前のようになり、延命寿命があります。

今回は自然寿命です。

家族となると、1日でも長く生きてほしいと、延命治療という選択をしがちだと思います。

けれど本来、生き物全てにはちゃんと寿命があり、そういうサイクルで生きています。

私は自然寿命を迎えるおばあちゃんに、最後会うという事はできなかったものの、昨晩、命の最後と向き合う覚悟を決めてからは、思い出を一つ一つ振り返ったりして、忘れていない事はないだろうかと、思い出に浸っていました。思いは届くと信じています。

悲しい気持ちは当然のことあります。涙も出ましたし、お陰で目が腫れてますが、

それでも、感謝の気持ちとそして生きる大変さを私より知っている大先輩に、今世お疲れ様でしたと、どうか安らかに眠ってほしいと思う気持ちと、

"命のバトン"について深く考えさせられました。

私のばーちゃんは在日韓国人で、一世です。歴史の教科書でしか知らないであろう、あのマンギョンボン号の時代の人です。

ばーちゃんとまだ幼かった私の父は日本に残ると決断し、その他の親族は皆、マンギョンボン号に乗り帰っていきました。父も幼ながら、マンギョンボン号に手を振った記憶があるそうです。

マンギョンボン号に乗り、帰っていった親族は全て、貧しさの上亡くなっています。

日本に残るという決断は結果論では正解だったと思いますが、その決断は計り知れないくらい大きい決断だったと思いますし、そんな大きな決断をしたばーちゃんに私はリスペクトをしています。

血筋を守った1人の女性だった事には間違いありません。

だから私は今ここに存在しているわけですから。

マンギョンボン号の名前を出したので、言わなくてもわかるように、私の血筋は朝鮮民族でした。

韓国に帰還したのが2代前です。私は3世なので。

子供の頃に散々差別や虐めを私も受けてきました。

それでも私は何も恐れてません。差別したければすればいいし、私という人間は、それくらいの事では変わりません。

人間は産まれてきた時におぎゃーと泣き、旅立つ時は周りの人達が代わりに泣く。

何もできない赤子の頃は、人が手助けをして育ち、何もできなくなった老人もまた、人が手助けをして命の最後を迎える。

ばーちゃんのご飯で育った私は、ごりごりの韓国料理で、小学校高学年になるまで私は日本食を知らなかった。

どの韓国料理屋に行っても、あの育った味とは出会えない。ばーちゃん世代や親世代の在日は、日本人はあまり受け入れてはくれず、ばーちゃんも誰かからは愛され、誰かからは愛されない、そんな人だったと思います。

私には計り知れない程に沢山苦労したでしょうし、けれどきっと、沢山の幸せも感じてきたとも思っています。

苦労なくして、幸せを感じることもできないという本質を私は理解しているからこそ、そう思っています。

こうして命のバトンを繋いでいくことと、しっかりと一つの命と向き合い受け止め、世代交代していくこと。

してもらった事や
かけてもらった言葉
叱ってもらった事をちゃんと思い出して、感謝し、
次は私がそれを人にしていこうと思う。

子供の頃、両親と過ごせない毎年やってくる最低なクリスマスを一緒に過ごしてくれたのは、ばーちゃんとお爺ちゃんだったから、私の寂しさを埋めてくれたのは間違いなく、ばーちゃんとお爺ちゃんでした。深く感謝している。

ありがとう、そしてどうか安らかに眠ってほしい。

明後日の告別式で最後のお別れの挨拶をしてきます。

勘違いしてほしくないのは、この投稿はネガティブな投稿ではなく、一つの命の最後と向き合った上で、多くを感じ、多くの感謝が生まれた、きっかけとなった瞬間だったからです。

そして託された志もきっとある。

私は、悲しい気持ち以上に
これから先の自分の人生や、関わってくれる人達へ
ばーちゃんの死と引き換えに気づけた事や思いを、伝えていきたい。

#感謝
#ありがとう
#安らかに眠って下さい
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2020/10/12

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