松永祥兵のインスタグラム(matsunaga.shohei) - 8月10日 18時17分


GANTUNG SEPATU

Saya memutuskan untuk gantung sepatu. Saya merasakan banyak kenangan manis dan buruk. Tetapi, saya sangat bahagia karena bisa bemain di Indonesia selama 9 tahun di stadion yang selalu dipenuhi oleh pendukung. Dan banyak orang yang tahu "Shohei Matsunaga" sehingga ke manapun saya pergi dimintai berfoto. Saya sangat bahagia.
Karena saya menikah di Indonesia, kedua anak saya lahir di Indonesia, saya sangat sedih harus meninggalkan Indonesia. Saya akan bekerja keras di Jepang agar suatu hari nanti bisa bertemu lagi di Indonesia. Saya ingin mengucapkan terima kasih banyak kepada semua orang yang pernah ketemu maupun kenal dengan saya.
Terima kasih persib bandung
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プロサッカー選手を終える決意を致しました。

19歳にドイツに渡り、僕のプロ生活がスタートしました。日本を出て、世界知り、プロになれた喜びを感じ、毎日が刺激的で新鮮でした。その中でテレビでしか見たことのなかった、小野伸二選手に出会い、謙虚さやサッカー選手としてのあり方、社会人としてのあり方全てを教えてもらいました。

21歳で日本へ戻り、愛媛FCに入団しました。ヨーロッパとのサッカーの価値観が違い、自分のサッカー感と合わせるのが難しく、更に若かった為、それを受け入れられず、わずか2試合の出場チャンスしかもらえなかったことは今まで自信のあった自分の大きな挫折となり、自分に自信を失いました。

22歳インドネシアへ渡りそこから9年間プレーしてきました。正直、ドイツと日本でプレーしていた経験から、インドネシアのサッカーを初めは下に見ていました。しかし、インドネシアという国のサッカー熱を感じ、毎試合サポーターが4万人ほど入る環境に驚きと興奮を感じたのを今でも覚えています。超満員のサポーターを見て、自分の失われ始めたサッカーへの熱を再び取り戻すこととなり、ここで頑張っていこうと決意を固めました。インドネシアでユベントスと対戦したり、エッシェンとチームメイトになれたことは自分のサッカー人生の財産です。

日本に帰国後、最後に地元に貢献して引退と掲げて、トレーニングしていましたが、コロナの影響、そして自分の力不足により、某jチームのトレーニングに練習参加することさえできませんでした。
半年間毎日練習しているうちに気持ちの変化、心の整理もつき、今がベストの引き際かなとも思っております。

振り返るとなによりもこんな僕が12年間プロとして生活できたことに驚きと感謝しかありません。人との関わり方を自分なりに大切にしてきたのでここまでやってこれたのかなとも思います。

12年の間に様々な方に出会い、支えて頂きました。この恩は一生忘れません。

サッカーで培った努力することの大切さ、忍耐、周りの方への感謝を忘れない気持ちを忘れずに、次のステージで活躍して恩返しができるように引き続き応援して頂けると幸いです。

このようなご報告がSNSになって申し訳ありません。僕に関わる全ての方々がこれからも健康でいられますように願っております。
これからもよろしくお願い致します。

感謝 

松永祥兵


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2020/8/10

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