末吉 弦太のインスタグラム(gtx_777r) - 12月4日 07時20分
実家の老猫、チャオ爺が本日亡くなりました。
手のひらに収まる子猫の頃に、姉妹のルネと一緒にうちへ来て20年と7ヶ月。
ルネが先立って4年ちょっと。
平均寿命よりも少し長く生きた、立派な大往生です。
チャオにはあまり好かれていなかったため、これといって可愛いエピソードはありません。
ただ、猫が苦手な自分が猫と関わりをもった最初のキッカケは、ひょんな事から押し付けられたチャオとルネであり、きっと二人と暮らしていなければマイケルたちとも出会えていなかったし、写真は続けていたでしょうが、インスタに猫の写真を投稿して皆さまと繋がることも無かったでしょう。
そんな初めての猫との暮らし。
わからない事と失敗の連続でした。
まだ離乳食が必要だった頃にカリカリを食べさせたり。
よくトイレに行くなーと思ったら尿路結石になってたり。
ピンクの鼻が妙に白いなーと思ったら酷い貧血だったり。
数え出せば枚挙にいとまがありません。
今にしてみれば「あんなんで、よく長生きしたなぁ…」と思うのですが、そうした失敗の数々は今、マイケルたちの健康管理に活かされており、彼らが輸血ドナーに参加できるほど健康なのもチャオとルネの存在あってのものです。
これまで野良っこ達も何十匹と見送ってきました。
それこそ、チャオとルネに匹敵するくらい付き合いの長い子もいて、野良っこも家の子も区別なく、差別なく接してきたつもりです。
それでも、やっぱり人生で最初に家族となった猫だからでしょうか。長い時間を身近に過ごしたからでしょうか。チャオとルネの死は他の子達とは少し異質な寂しさが募ります。
人よりもずっと足早に老いていく姿を見て、心の準備をしてきた筈なのに、いざ別れを前にすると、どうしても胸の奥の方がザワザワしてしまう。
野良っこ達を見送る時に「もし、ウチに連れて帰っていたら…」なんて答えの出ないたらればが頭の中をぐるぐる回る悔恨とは違う、できることをやりきって、寿命を寿命として受け入れているのに、それでも去来する遣る瀬なさを何と呼べばいいのでしょう。
まあ、感情に名前なんてつけなくてもいいのかもしれませんね。
生まれてきてくれてありがとう。
ウチに来てくれてありがとう。
20年間楽しかったよ。
いつか、また。どこかで。
#僕らの居場所は言わにゃいで
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2019/12/4