播戸竜二のインスタグラム(ryuji_bando) - 9月27日 09時10分
『コンサドーレ札幌』
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少しずつ振り返ります。
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1999年、ガンバで試合出場が増えない自分は、新しいチャレンジを欲していました。
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スタメンで試合に出て、点が取れる事を証明したい。そんな気持ちでした。
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まだ誰も代理人と契約していなかった時代。契約して移籍先を探していた時に、岡田武史監督が熱烈に声をかけてくれました。あっ、大分の石崎さんも。
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岡田武史のアタックは凄い!イチコロで落ちました。(笑)石崎さんゴメン!
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代理人とは、この時から引退までの20年間。同じ道を歩みました。その話は、また別の時に。
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2000年。初めての移籍、初めての北海道。何もかもが新鮮でした。20歳の俺は、いろいろな事を吸収しました。若い時の移籍はイイモンです。
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エメルソンという相棒と暴れまくりました!バン20歳とエメ18歳の若手コンビでしたが、実はエメルソンは年齢詐称をしていて21歳でした。(笑)
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札幌という土地で、プロでやっていく土台を作りました。
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ススキノという、楽しいけど、恐ろしい街との付き合い方も学びました。(笑)
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今でも付き合いのある、たくさんの人達と出会い、人間関係の作り方も学びました。
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毎日、播ゴハンを作ってくれた大家さんとは、今でも仲良しで、札幌のお母さんです。(笑)
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プロとしての初タイトル。J2優勝も成し遂げました🏆どうやれば優勝するチームになるのか、ナカから見ることができました。
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この写真は昇格を決めた湘南戦。この時のキャプテンは、現コンサドーレ社長の野々村さんでした。(笑)うしろはルーキーシーズンの山瀬です。
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2001年、J1での岡田コンサドーレも破竹の勢いでした。
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相棒がエメルソンからウィルに変わりましたが、両方とも得点王になりました。イヤ、得点王にしました。個性の強い外国人達を、気持ち良くプレーさせる事を学びました。個人としてもJ1で9得点し、J1でもやっていける事を証明しました。
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函館でやったガンバ戦のボレーシュートは、今でも脳裏に焼き付いています。
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レンタルとはいえ、古巣へのいろいろな想いのゴール。というか、信頼してもらえなかった早野さんへの「どうや!」っていうゴール。
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監督と選手ってこんな感じです。(笑)使って貰ったら信頼に答えようとするし、使ってもらえないと見返そうとする。早野さんとは仲良しです。(笑)
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岡田さんの下での2年間。本当に多くの事を学びました。未だに岡田さんには感謝しかありません。岡田さんとは一生付き合っていくと思います。って勝手に俺が思っています。(笑)
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そして、コンサドーレサポーター。20歳の若造に、無償の愛をくれました。それに答える為に、全てを捧げました。今でもあのチャントは心に残っています。若い俺は、かなり生意気やったと思うけど、それも含めて愛してくれました。って勝手に思っています。(笑)
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北海道という土地で、大きな愛に包まれた2000年、2001年。
播戸少年は少し大人になりました。
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続く。
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2019/9/27