あさイチのインスタグラム(nhk_asaichi) - 7月4日 15時42分
おうみです。戦争を体験した恩師を訪ね、当時の暮らしのエピソードをたくさん伺うことができました。皆さんは、戦時中の体験を身近な人から直接聞いたことはありますか?
#エピソードを絵で表現 #DAOKO さん
#あちこちのすずさん
#この世界の片隅に
#近江友里恵 アナ
#nhk #あさイチ #8時15分から
[BIHAKUEN]UVシールド(UVShield)
mauakiko
私の祖父は、フィリピンで戦病死しました。
祖母が私たちに祖父について話すことは殆どありませんでしたが、祖母が亡くなった時、仏壇の引き出しから手紙が出てきました。
ひとつは私たちへの手紙、もうひとつは「私の棺に入れて」と書かれていましたが、見てみると、祖父が戦地でご一緒した方が、フィリピンで祖父に何が起きたのかをお知らせくださった手紙でした。みんなで読み、切なくなりました。
祖父が亡くなってから何十年も、祖母はたった1人でこの気持ちを抱えて生きてきたことを初めて知り、改めてみんなで祖母に感謝と労いの気持ちを込めて、手を合わせました。
yossycarter
近江アナの美しい瞳は学生の頃から変わらず、ずーっと美人ですね。
それから、近江アナの恩師、佐原 正さんは今94歳という事は70代で先生をされていたのですね。すごいですね。
どうしたら、佐原さんのように戦争というつらい体験も乗り越えて認知症や寝たきりにならずに元気で長生き出来るのか、その秘訣をあさイチで紹介して頂きたいです。
あさイチのホームページに近江アナと佐原さんの2ショットが載っています。
https://www1.nhk.or.jp/asaichi/archive/190704/4.html
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母は樺太からの引き上げ者です。祖母(母の母)は幼い母と弟を連れて狭く暑い船に乗り稚内に引き上げたそうですが、祖父(母の父)と叔父(母の兄)は、15才以上の男性は樺太に残らなければならず、泣き泣き別れ、その後ロシアに抑留されましたが、叔父は美少年でロシア語も話せた為、ロシア兵に可愛がられ、それ程酷い目には合わなかったそうですが、2年間も抑留されたそうです。樺太では、ご近所に後の名横綱『大砲関』の御実家があり、交流もあったそうです。母はまだ健在なので、時々話を聞いております。
motoyasu2727
飢えを凌ぐ為に、敢えて自ら軍隊に入隊した…近江ちゃんの恩師・佐原先生の御言葉に、私も強い衝撃を受けました…。そこら辺に生えていた雑草を食べていた…今は亡き両親から、私も何度も聞いたことがあります。終戦が 1945年で今年 2019年…73歳の御方ですら完全な戦後生まれ…。近江ちゃん、貴重な母校探訪?並びにインタビュー✨…本当にありがとうございました?✴️ ✨m(__)m✨ …そして、中学1年??&制服来て教室での??…めっちゃ可愛いです?⤴️❤️
yorita_mari
明治生まれの祖母から聞いた話。
終戦のちょっと前…生まれたばかりの私の母をおんぶして、汽車に乗ってたとき
岡山に空襲警報。汽車はとまり、みんな汽車の窓から逃げるけど、赤ちゃんをおんぶしてる祖母は窓からなんて逃げられなくて…『この汽車と運命をともに…』って思ったそうです。
ほんとにほんとに強く逞しい祖母は、明治大正昭和平成を生き、静かに生涯を閉じました。
もっともっと、いろんな話を聞いておけばよかった!と、今さらながら思います。
mix_air
ドラマ等の焼け跡のセットに、「こんなものじゃない、違う❗真っ黒い灰が積もっていた」(間違ってたら、ごめんなさい。)と言う体験談のエピソードを聞き、ドキッと胸が痛く成りました。私の両親に聞けたら、尋ねてみたいと思います。
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2019/7/4