三木道三のインスタグラム(dozan11) - 5月17日 14時01分


昨日カエルスタジオの創業者で俺の高1からの親友である、アサオを天国に送り出してきた。

俺がジャマイカに通い出しReggae DeeJayになり始めた頃、あさおもジャマイカにやってきて、Jap JamのプロデューサーBPさん宅で一緒に過ごした。
一時、俺は歌い手でヤツはセレクターのクルーにもなったけど、ヤツはダブプレート文化に惚れて目を付けたから、NYにカッティングマシンを2人で買いに行き、一緒に大阪で録音&ダブプレート制作の「カエルスタジオ」をスタートさせた。

俺のキャリアの初期は彼の実家でバイトもさせてもらったけど、ヤツはその家業を辞め、カエルスタジオをやって生きてくと決心し、エンジニアのコーイチもリクルートして、今まで主にジャマイカやNYで作られてたダブプレートを大阪から安定供給出来る体制とクオリティーを整えた。

俺は運営者じゃなくて、やはりアーチストだったほで早々に離脱したけど、ヤツは日本のサウンドクラッシュの武器をサウンドマン達に与え日本のレゲエを一段本物に近づけて、商売人の子らしいアイデアとエネルギーでミックステープや、ラバダブを録音したCDなど、出版物でもいきなりシーンにインパクトを与えた。

更にRed Spiderのジュニアと組む事でイベントプロデュースの看板を手に入れ、ジュニアによる楽曲プロデュースも全力で後押ししたから自主音源を出すレーベルとしても成長していった。

告別式で飾る写真を色々用意したけど、仕事現場のものが全然見つからない。
裏方の哲学が非常に強い男で、現場での撮影はほぼ必ず撮る側やったから。

人に厳しいこともあったけど、鬼の様な仕事への向上心と責任感の裏返しで、そのお陰でメディアやメジャーレーベルの手もほとんど借りないのに大阪でひたすら成長して、ジュニアやケンティの活躍を支え、大阪を日本のレゲエの一大拠点でいさせ続け、ヒット曲を送り出したアーチスト達も含め、計り知れない影響と足跡を残した。

ジュニアが作った「ドラゴン平成」を奥さんと聴きながら、「若手がこんなにイイんやったらまたブーム来るぞ。もういっちょ頑張ろ」って言ってた矢先なので、惜し過ぎるけど、しかしアサオのイズムを受けたカエルの連中が力強く意思を引き継いでくれると思うし、参加したアーチスト達も頑張って欲しい。

俺が一度引退して外界と接触しなくなってからも、病室まで人材を連れて来て紹介したり、ベスのプロデュース陣に招き入れたり、旅行やイベントに誘って来たり、アイツがひたすらレゲエ界や社会との窓口であったし、俺がステージ復帰出来たのもアサオとカエルスタジオのみんなのお陰。
俺は所属アーチストではないのに。

スタジオの名前を考える時、一緒にバリに行った時に買ってきたカエルの置物をスタジオのスピーカーに乗せてたのを見て俺が「カエルスタジオや」って言ったら「もっとカッコええのないんか」って言うから「世の中を変えるスタジオや」って言ったら「おぉ、エエな」って言って言ってくれて「カエルスタジオ」が誕生した。

ヤツの初志が貫徹出来たかは分からんけど、俺やアイツ本人も含め、色んな人の人生を大きく楽しく変えて来たんちゃうかな。

アイツが褒めてくれるのが、歌を歌い出した頃の励みになったし、アイツが褒めてくれる様にと思ってやってたとこもある。
アイツの運転する車でよくミナミやキタのレゲエクラブに通った。
「生駒山上の山頂から颯爽と参上」ってのは「アサオの車に乗って」ってことやった。

表現し切れない悲しみに、人生はなんと恐ろしいことが起こるんや、と胸や頭が締め付けられるけど、長い間、奇跡的なエネルギーの友達と人生の大事な期間に、色んな場面で楽しく過ごせたことを、文字通り有り難かった、ラッキーやったと思っときたい。これからもそれが続いて欲しかったけど…。 

「裏方なめんなよ」と、よく言って、自分が顔や名前を出すのを嫌ったけど、喪主である奥さんが式で言ったように「人間は2度死ぬ。肉体の死と、人に忘れさられた時」やと思うので、アイツの人生に影響を受けた人達の中で、アイツの人生は永遠のものであって欲しいと思う。

アサオ、今までと、残してくれたものにホンマにありがとう。
さびしくなるよ…。




#カエルスタジオ


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2019/5/17

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