清水文太さんのインスタグラム写真 - (清水文太Instagram)「誰のために生きてるのだろう。と思うときがある。 近所に、郵便物を取りに行くために徒歩で窓口に向かっていたら、この建物を見つけた。 もうこの家の'死'を外に晒してくれているかのように、雑多に生えた草や枯れ木が、これまた使われていないであろう自転車と共に寄り添っている。  僕は昔、人と関わり、育むことを怖がっていた。 『大丈夫だよ』と声をかけてくれた友人や恋人の言葉が、枯れ木から飛び出た棘と同じと思っていたのであろう。詳しい記憶は定かではないが、大きな恐怖に感じていた。 本当は、抱きつきたかったし、共に過ごしたかった。 その棘をノコで引き落としてくれたのは、今流れている時間そのものでした。 『あ、大丈夫なんだ』と人を怖くなくなったのは友人の一言でした。 『文太は人のために生きなくていい、人に嫌われたり、好かれたりしても、それは文太のせいじゃない。合わなかっただけなんだ』と。 それを聞いたら、自然と自分のために生きたいと思うようになった。 でも、それはそれで疲れるのだ。理由探しの旅に出なくてはならなくなるから。 本当は、生きることなんてなんの意味もないのに人間は意味を求める。他人のためであれば簡単にできることが 自分のため、となるとかなり難しいこともある。 自分探しの旅をせよ、なんて言われたりしたこともあるが、そんなこんなしているうちに死を迎えてしまうのだろうな。なら、のらりくらりやりたいことをやるのが自分探しなのだなと最近は思う。それが、自分のためにもなるし、結果、人を助けることになるのかもしれない。  きっと、もう少し時間が経ったら生きることを退屈に、あるいは複雑に思って死を意識してしまうことがあるかもしれない。のらりくらり、なんとなくやりたいことをして息をするつもりだから。 そんなときは周りの友人のために、好きな人のために生きようって決めた。 そして生きているとすれば近い未来、僕が成長したら自分のコミュニティ以外の人を助けられたらと思う。 誰のためでもない、人のためでもない、自分のためでもない。 僕らは僕ら全員のために息をして、死んでいく。そんな、深い理由なんてないのだ。誰のためなんて、きっとないのだ。 そう考えていたら、いつか僕らの身体に生えている棘たちが、刺さっても痛くない存在になるのかもしれない。そんなかんたんな話ではないのかもしれないが、僕はそう信じたいのだ。  この家だって、存在している意味が、きっとあるのだ。こんなふうに、考える若者だっているし、この家にもともと住んでいた人からすれば『その人のために』この家は、記憶を空気にして息をしている。 その息をエネルギーにして、周りに少しだけおすそ分けしていた。その証拠に、自転車近くの割れた花瓶に生えた花が咲いている。 また、通ったら、挨拶しよっと。」5月12日 23時10分 - bunta.r

清水文太のインスタグラム(bunta.r) - 5月12日 23時10分


誰のために生きてるのだろう。と思うときがある。
近所に、郵便物を取りに行くために徒歩で窓口に向かっていたら、この建物を見つけた。
もうこの家の'死'を外に晒してくれているかのように、雑多に生えた草や枯れ木が、これまた使われていないであろう自転車と共に寄り添っている。

僕は昔、人と関わり、育むことを怖がっていた。
『大丈夫だよ』と声をかけてくれた友人や恋人の言葉が、枯れ木から飛び出た棘と同じと思っていたのであろう。詳しい記憶は定かではないが、大きな恐怖に感じていた。
本当は、抱きつきたかったし、共に過ごしたかった。
その棘をノコで引き落としてくれたのは、今流れている時間そのものでした。 『あ、大丈夫なんだ』と人を怖くなくなったのは友人の一言でした。
『文太は人のために生きなくていい、人に嫌われたり、好かれたりしても、それは文太のせいじゃない。合わなかっただけなんだ』と。
それを聞いたら、自然と自分のために生きたいと思うようになった。
でも、それはそれで疲れるのだ。理由探しの旅に出なくてはならなくなるから。
本当は、生きることなんてなんの意味もないのに人間は意味を求める。他人のためであれば簡単にできることが
自分のため、となるとかなり難しいこともある。
自分探しの旅をせよ、なんて言われたりしたこともあるが、そんなこんなしているうちに死を迎えてしまうのだろうな。なら、のらりくらりやりたいことをやるのが自分探しなのだなと最近は思う。それが、自分のためにもなるし、結果、人を助けることになるのかもしれない。

きっと、もう少し時間が経ったら生きることを退屈に、あるいは複雑に思って死を意識してしまうことがあるかもしれない。のらりくらり、なんとなくやりたいことをして息をするつもりだから。
そんなときは周りの友人のために、好きな人のために生きようって決めた。
そして生きているとすれば近い未来、僕が成長したら自分のコミュニティ以外の人を助けられたらと思う。
誰のためでもない、人のためでもない、自分のためでもない。
僕らは僕ら全員のために息をして、死んでいく。そんな、深い理由なんてないのだ。誰のためなんて、きっとないのだ。
そう考えていたら、いつか僕らの身体に生えている棘たちが、刺さっても痛くない存在になるのかもしれない。そんなかんたんな話ではないのかもしれないが、僕はそう信じたいのだ。

この家だって、存在している意味が、きっとあるのだ。こんなふうに、考える若者だっているし、この家にもともと住んでいた人からすれば『その人のために』この家は、記憶を空気にして息をしている。
その息をエネルギーにして、周りに少しだけおすそ分けしていた。その証拠に、自転車近くの割れた花瓶に生えた花が咲いている。
また、通ったら、挨拶しよっと。


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2019/5/12

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