清水文太のインスタグラム(bunta.r) - 4月15日 04時06分
こんばんは。雨の降る東京の深夜に考えていたことを綴ります。 「寂しい」という感情についてです。
心細くて、満たされない。誰かといても独りでいる感覚に出会うこと。
僕は昔、ずっと寂しかった。
どんなに大好きな人とと共に時間を過ごしていたって、どんなに楽しいことをしていたって。
僕の心は、「本体」を動かすためのリモコンで、離れた違う世界から、僕の身体を動かしているようなとても不思議な感覚で生きていました。
社会と世界から分断された'孤独'を味わっていたのかもしれません。
今も、その感覚の残骸が僕のことを襲うことだってあります。
誰も味方が実はいないんじゃないか。
僕の話なんて、誰も聞いてくれるわけがないと相談もせずに落ち込んでしまうこともある。
だけど、きっと誰にでもそんな瞬間はよくあるんだなと思う。
そして、僕らには僕らのそれぞれの世界があるんだなと気づいてきた。そう考えたら、少しだけ楽になった。弱い自分と戦わなくていいんだって思ったんだ。
でも、たまに戦っちゃうんだけどね。僕はそんな器用じゃないから。
助けてくれる人がいるんだってことにも、最近気づいてきたんだ。
鬱になっても、苦しくても、「文太、相談してな。独りで抱えるな」って言ってくれている人がいることにも気づいた。
実際、いた。
そう、僕は 沢山の人に助けられていることに気づいた。
そんな声も、昔の僕は聞こえていなかった。聞こうとしていなかったんだ。
強い僕でいたいと思う自我もあった。
だけど、それも最近首にロープを巻いていることに気づいた。
「男らしく」なんて、和太鼓や陸上をやっていたからこそ刷り込まれているくだらない感情を、くだらないと自分の中で噛み砕いて殺さなければならないと思うこともあった。
男らしくとか女らしくとか、本当はないはずなのに考えてしまう。
昔のことで引っ張られることもたくさんあった。
昔起きた、苦しい出来事や悲しい出来事が化け物になって追いかけてくることもあった。
だけど、そんなことばかりじゃない。
楽しいことだって、思い出すこともあるんだ。
強く、自分を見せる必要がないってことにも気づいた。
僕は、人を頼っていいんだってわかったんだ。
そうしたら、寂しい気持ちが少しだけ、消えた。
でも、強く見せたいのも、弱い自分から逃げたいのも僕の感情。
弱い僕と強くありたい僕を喧嘩させる必要なんてなかった。
元々、持ち合わせている弱い部分をかき消すんじゃなくて、僕の持つ「得意技」を使って、カバーすればいいんだ。
人間同士だって、そうやって助け合っているはず。
子供達を守るのは大人。
頭が良い人が、知識を分けて皆学ぶ。
皆んな幸せになれるような方法を模索する。
それができていない世の中が存在するのは、そんなシンプルなことに気づいていないからだ。
僕らの人生は気づきの繰り返しで、何が苦しいのか、何が楽しいのかって、皆んなと交信しながら、進んでく。
僕の、この離れた世界にいるような感覚は、捨てないんでいいんだって 気づいたんだ。
その交信を、沢山して、いつか「本当同士」が出会える瞬間が'愛'だと気づいた。
そこにたどりつくために、相手の思考の海の境界線を渡ることが'恋'ということにも気づいた。
そしたら、好きな人と話すのがとても楽しくなった。
寂しいという言葉は、とても僕を苦しませたけど、この沢山の気づきを得て深呼吸をしたら、ほんの少しだけ、ほんの少しだけ
「独りじゃない、僕は一人でいま、布団の上でこの文章を書いてるだけなんだ」って
気づいた。
そしたら、人にも少しずつ相談できるようになってきた。本当に、ここ1ヶ月の話。
さて、明日も楽しい日々が待っている。
来月も、来年も、死ぬ前も、どんなことが待っているんだろう。見えないけれど
僕のこの「寂しさ」は、生きていくうちにどんどん無くなっていくと信じよう。
楽しもう、人生。
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2019/4/15