竹渕慶さんのインスタグラム写真 - (竹渕慶Instagram)「‪アメリカに行く前の小学校で、いつも一緒だった親友の女の子がいた。その子は髪が長くて綺麗で、本当に可愛くて優しくて、ウサギを飼っていたけど猫も大好きでいつも想像を膨らませていて、でも少し人と違っていて変わっていたからか、私の他に友達はいなかったと思う。私にはそれがなんでなのか全然わからないほど、本当に面白くて優しくて、大好きだった。いつも、なんでもない空間を見たことのない景色に変えてしまう子だった。 彼女はお父さんと二人暮らしで、そのお父さんという人もものすごく変わっていて面白い人だった。近所のおじさん達と「おじさんロック」みたいな名前のゆるーいバンドを組んでいて、よく学校帰りに呼び止められてクセの強いオリジナル曲を聴かされたのを覚えてる。いつも酔っ払ってるみたいに愉快な人で、しょっちゅう娘に怒られてはおどけてた。不器用な愛に溢れた人で、家に遊びに行った時はよく3人でおやつを作った。 事情はよくわからなかったけど別々に暮らすお母さんにも何度か会って、比べるものではないけどなんとなく、お母さんよりもこのお父さんの方が、彼女がいなかったら生きていけなさそうだなと思った。 アメリカに引っ越すことになった時、真っ先にその親友のことが心配になった。私がいなくなっても大丈夫かな。彼女と彼女のお父さんは、最後に私の家族を家に呼んでお別れ会をしてくれた。彼女のお父さんと私のお父さんがギターを弾いて、みんなで花*花の「さよなら大好きな人」を歌った。 アメリカに引っ越してからは、FAXやメールでやりとりをしてたと思う。お父さんのことやウサギのこと、空想のお話しをいつも教えてくれた。私達が新しい生活に慣れた頃に、一人でアメリカまで会いにきたこともあった。変わらず元気で、人見知りで恥ずかしがり屋で、優しかった。 それからしばらくして、私も向こうの生活と勉強と帰国後の受験の勉強で精一杯な日々を送るようになり、だんだん連絡をとることも少なくなっていた。そしてある時、急に連絡がとれなくなった。メールも手紙も返ってきてしまうし、FAXも送れない。そんな状態のまま、帰国の日を迎えた。 帰国後、いろんな元同級生に彼女の連絡先を知らないかと聞いたけど、誰ひとり知らなかった。そして、彼女は私が引っ越した後すぐ不登校気味になり、そのまま気づいたら転校していたということを知った。だから誰も連絡先を知らないし、どこに住んでいるかもわからない。 自意識過剰かもしれないけど、私のせいだ  と思った。それに、アメリカに会いにきた時には多分もう学校に行かなくなっていたのに、全然気づかなかった自分が本当に情けなくなった。FAXでもメールでも、会いにきた時も、学校のこと、全然話さなかったじゃないか。なんで気づかなかったんだ。 いろんな手段で探してみたけど見つからなくて、どうしようもないままどんどん大人になって。私にも何も言わないままどこかに行っちゃうなんて。何かあったのかな。大丈夫かな。元気にしてるのかな。ずっとずっと心の隅に引っかかってた。 そんな時、大学生になってからかな、歌の活動を始めて、発信も始めてしばらく経った頃、あるSNSに匿名でコメントがあった。匿名のコメントは当たり前だし、確信的な内容でもなかったけど、直感で、絶対に彼女だと思った。今も歌っているんだね  というような内容だったのは覚えてる。 頭が真っ白になって鼓動が速くなって、逃げてしまうものでもないのに急いで「◯◯ちゃん?」と返信した。待っても待っても返事は来なくて、その後また彼女からコメントがくることはなかった。でも元気でいたんだ、そう思ったら嬉しかった。  たぶん彼女はあの時、それまでの自分を一旦ぜんぶ、リセットしたかったんだろうな。それなのに私のこと忘れないでいてくれてて、一度だけでもメッセージをくれた。私の歌を聴いてくれてた。 今はどこにいるかな、今も聴いてくれてるかな、どんな仕事をしてるかな。お母さんになってたりするのかな? ごめんね じゃないんだろうな。 今日もどこかにいるそんな一人一人に届いていて、少しでも希望になってることをひたすらに信じて、歌うことだな。 私にできることは、歌うことだな。  いつかまた会えるといいなぁ」4月3日 11時27分 - keibamboo

竹渕慶のインスタグラム(keibamboo) - 4月3日 11時27分


‪アメリカに行く前の小学校で、いつも一緒だった親友の女の子がいた。その子は髪が長くて綺麗で、本当に可愛くて優しくて、ウサギを飼っていたけど猫も大好きでいつも想像を膨らませていて、でも少し人と違っていて変わっていたからか、私の他に友達はいなかったと思う。私にはそれがなんでなのか全然わからないほど、本当に面白くて優しくて、大好きだった。いつも、なんでもない空間を見たことのない景色に変えてしまう子だった。
彼女はお父さんと二人暮らしで、そのお父さんという人もものすごく変わっていて面白い人だった。近所のおじさん達と「おじさんロック」みたいな名前のゆるーいバンドを組んでいて、よく学校帰りに呼び止められてクセの強いオリジナル曲を聴かされたのを覚えてる。いつも酔っ払ってるみたいに愉快な人で、しょっちゅう娘に怒られてはおどけてた。不器用な愛に溢れた人で、家に遊びに行った時はよく3人でおやつを作った。
事情はよくわからなかったけど別々に暮らすお母さんにも何度か会って、比べるものではないけどなんとなく、お母さんよりもこのお父さんの方が、彼女がいなかったら生きていけなさそうだなと思った。
アメリカに引っ越すことになった時、真っ先にその親友のことが心配になった。私がいなくなっても大丈夫かな。彼女と彼女のお父さんは、最後に私の家族を家に呼んでお別れ会をしてくれた。彼女のお父さんと私のお父さんがギターを弾いて、みんなで花*花の「さよなら大好きな人」を歌った。
アメリカに引っ越してからは、FAXやメールでやりとりをしてたと思う。お父さんのことやウサギのこと、空想のお話しをいつも教えてくれた。私達が新しい生活に慣れた頃に、一人でアメリカまで会いにきたこともあった。変わらず元気で、人見知りで恥ずかしがり屋で、優しかった。
それからしばらくして、私も向こうの生活と勉強と帰国後の受験の勉強で精一杯な日々を送るようになり、だんだん連絡をとることも少なくなっていた。そしてある時、急に連絡がとれなくなった。メールも手紙も返ってきてしまうし、FAXも送れない。そんな状態のまま、帰国の日を迎えた。
帰国後、いろんな元同級生に彼女の連絡先を知らないかと聞いたけど、誰ひとり知らなかった。そして、彼女は私が引っ越した後すぐ不登校気味になり、そのまま気づいたら転校していたということを知った。だから誰も連絡先を知らないし、どこに住んでいるかもわからない。
自意識過剰かもしれないけど、私のせいだ と思った。それに、アメリカに会いにきた時には多分もう学校に行かなくなっていたのに、全然気づかなかった自分が本当に情けなくなった。FAXでもメールでも、会いにきた時も、学校のこと、全然話さなかったじゃないか。なんで気づかなかったんだ。
いろんな手段で探してみたけど見つからなくて、どうしようもないままどんどん大人になって。私にも何も言わないままどこかに行っちゃうなんて。何かあったのかな。大丈夫かな。元気にしてるのかな。ずっとずっと心の隅に引っかかってた。
そんな時、大学生になってからかな、歌の活動を始めて、発信も始めてしばらく経った頃、あるSNSに匿名でコメントがあった。匿名のコメントは当たり前だし、確信的な内容でもなかったけど、直感で、絶対に彼女だと思った。今も歌っているんだね というような内容だったのは覚えてる。
頭が真っ白になって鼓動が速くなって、逃げてしまうものでもないのに急いで「◯◯ちゃん?」と返信した。待っても待っても返事は来なくて、その後また彼女からコメントがくることはなかった。でも元気でいたんだ、そう思ったら嬉しかった。

たぶん彼女はあの時、それまでの自分を一旦ぜんぶ、リセットしたかったんだろうな。それなのに私のこと忘れないでいてくれてて、一度だけでもメッセージをくれた。私の歌を聴いてくれてた。
今はどこにいるかな、今も聴いてくれてるかな、どんな仕事をしてるかな。お母さんになってたりするのかな?
ごめんね じゃないんだろうな。
今日もどこかにいるそんな一人一人に届いていて、少しでも希望になってることをひたすらに信じて、歌うことだな。
私にできることは、歌うことだな。

いつかまた会えるといいなぁ


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2019/4/3

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